余白【エッセイ】六〇〇字
早大のオープンカレッジ「エッセイ教室」。冬講座が、先週の土曜日にスタート。6課題。七転八倒、七難八苦の日々が続く。最初のお題は、「余白」(600字)。さて、どんな「余白」を書くか。またまた悩み通したが、今回は、翌日の日曜日に書きあげた。急ぎ過ぎて、ちょっとトンチンカンだったかな・・・。
向田邦子が、森繁久彌に「余白の魅力」を感じると、『眠る盃』で書いている。
まず演技だが、それ以外にもある、という。
「このひとの芸の特色は、描く色紙と同じに『余白』の魅力である。セリフとセリフの間。歌う前の、短い一瞬がおもしろい。このひとの一滴胡散臭いところが大好きだ。
正義を説き純粋な感動をさそいながら、どこか1パーセント嘘っぱちな、曖昧なところのまじるおもしろさ。ローレンス・オリヴィエも、中村勘三郎も、みんなこの匂いがする」、と。
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84年に、タイムシステム手帳が上陸し、ブームが起きた。スケジュール管理がストレスを軽減するツールとの、触れ込みだった。
30歳から17年勤めた会社で宣伝担当のとき、私も使っていた。代理店との打ち合わせでは、人数分の革のバインダーが並ぶ。いまなら、ノートPCかタブレットだろうが。
93年にWIN93からパソコンを使い始め、95年には、インターネット新規事業部に移った。事業部といっても、社長と衝突し、部下1人の閑職。むろん、予定はなし。厳密な管理の必要がなく、普通の手帳に戻った。
97年に起業することになるのだが、2年間は、売上も少なく手帳もほぼ、空欄。
新世紀になり、事業が好転。空スペースに、徐々に予定が入り始めた。しかし、システム手帳が復活することは、なかった。
興した事業がWEB関連で、まだ黎明期。メールを送信し、「いまメールを送りました。確認をお願いします」と電話する時代。単価も工程も、こちらのペースで進められたので、追われることは、少なかった。次の予定の前に30分、ボケーっとする「余白」を作ることにした。散歩やシャワーの時、アイデアが浮かぶことが多いように、ファジーな時間が、立案にもストレス軽減にも役立ったと、思う。
しかし、引退後に思う。「以下、余白」になってしまうのは、あと10年? 20年?