ランドセル【エッセイ】六〇〇字
10年。4万人を超えるひとびとが故郷に戻れていない、と言う。津波の傷跡は、いまも消えない。それ以上に今回の大震災は、原発事故の影響が長き時を経ても、残っている。
14時46分。取引先との会議で、大阪にいた。梅田にある駅前第3ビル。JR大阪三越伊勢丹(いまは、ない)の開店にむけて、東京から出張していた。上層階にある準備室の会議室。ブラインドが大きく揺れた。「地震だ!」。みなが口にした。「大きい! テレビつけよう」。間もなく、テロップで、震度7を伝えたあと、大津波警報が流れる。そして、あの衝撃映像。しばらく呆然と見つめていた。が、妙に冷静だった。回線が混まないうちにと、事務所に電話をできていたし、宿泊先にネットでつなぎ、2泊の延長もしていた。
ホテルに戻り、深夜まで津波の映像を見ていた。が、映画を観ているかのように、知らぬ間に眠っていた。ただの鑑賞者だったと思う。阪神・淡路大震災のときも、そうだった。
翌日、新幹線が動き、なんとか東京に着いた。駅前のタクシー乗り場は、気味悪いぐらいに静寂につつまれていた。視点が定まらないままボーっと、順を待っていた。「非日常」の世界から浜辺に戻った、浦島太郎のように。
原発がある大熊町。町の約6割は、いまも帰還困難区域で、立ち入りが制限されている。
昨日、震災の報道番組を観ていてショックだった。区域の熊町小学校の教室。机に置かれたままの、カラフルなランドセルが。
※画像は、伊勢丹新宿店のランドセル売場
※「全ての机の上に、カラフルなランドセルが映っていた。」の25文字を、「机に置かれたままの、カラフルなランドセルが。」に修正しました。(3/11)
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