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多様性【エッセイ】一〇〇〇字

 弟は、「きつ音」だった。
60年以上前。2歳違いの弟を連れて近所の子と遊んでいるとき、弟の話し方が変だと、よくからかわれていた。「何が変なんだよ」とかばい、ケンカになったこともある。
 でも近所の駄菓子屋では、人気者だった。店のおばさんがお菓子をくれると、「う、う」と唸り、「うまにゃ、うまにゃ、う、う、うまにゃ」。食べるのが可愛いと、何個もいただける。私も便乗していたので、私にとっては都合の良い“特技”、と思っていた。
 味をしめ、なおさら調子にのって、「うううう、うまにゃ、うまにゃ」。そのせいか、しばらく治らなかった。中学までには、症状は治まっていたのだが、少し緊張すると大人になってからもあった。その弟は、いま測量会社の社長として役所などへの営業や接待でも、ちょっと変わった話し方を活かし、仕事をいただいているようだ。
 「きつ音」は、20人に1人にある症状らしい。同じ割合で「色覚異常」があると、川端裕人著『「色のふしぎ」と不思議な社会』(筑摩書房)にある。いま30代以上のひとは。「色覚検査」を受けたと思う。大円の中に、カラフルな大小の丸がモザイク状に描かれていて、見えにくい数字を読み上げる、検査である。
 一時期、進学や就職に制約があった。識別できないが由の、弊害があるとのことで。しかしいまは、パイロットのように色を正確に判別しなければならない職業以外は、解除されている。
 筆者は、「異常」ではなく多様性の一部だと、主張する。狩猟採集をしていたころを例に出す。投槍名手、韋駄天、獲物を運ぶ力自慢。加えて、緑の草原に隠れた獲物や、襲おうとする獣を発見できる「目がいい」(いま言う色覚異常)者でチームを組むだろう、と。
 「きつ音」や「色覚異常」の症状があっても、逆手にとって活躍した有名人は多くいる。「きつ音」で例を挙げれば、アナウンサーや落語家など話すことを仕事にしているひとも。「きつ音」であることをバネに、「山のアナ、アナ、あなた」で人気者になった、三代目三遊亭圓歌。そして、バイデン米国大統領も告白している。「色覚異常」では、諦めがちな職業、画家にもいる。フィンセント・ファン・ゴッホがそうだった、と言われる。
 駄菓子を得た弟の「きつ音」も、「愛嬌」という得意技だったのだろう、と思う。
「みんなちがって、みんないい」


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