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尻ぬぐい【エッセイ】一八〇〇字

 参議院選挙です。月曜日に行ってきました。ん? 誰に入れたって? そりゃ、もちろん、“便乗軍拡論”の政党、軍需産業をもうけさせようとするような政治家には、入れません。
 「五本に一本は政治ネタを書かないと、筆が腐る」ということを言っておきながら、最近、書いていないことにハタと気づき、そろそろ“腐りそう”なので、書くことにします。
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 物価が上がってはいるが、賃金は上がらず。悪性インフレの危険性がある。なけなしの蓄えの価値がさらに下がり、収入や年金も目減りしている。他の国でも物価が上がってはいるが賃金は上がっている。2020年の平均年収ランキングでは、韓国にも抜かれ、先進国の中で下のほう22位に甘んじている(出典:OECD)。政治の失敗ではないのか? 成功したと宣っていたアベノミクスの失敗ではないのか? このまま失敗を続けさせるのか? 方向を切り替えないで、泣き寝入りするのか?
 経済問題も命に関わる問題ではあるが、ここでは、直接的に国民の命・安全に関わる防衛問題、安全保障について、疑問を呈したい。
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 「戦争をしなければならない状況を招くのは、政治の失敗です。戦争になったら終わりです」と、元内閣官房副長官補を務めた柳澤協二氏は、よく語る。民主党時代ではなく、小泉、安倍などの内閣のときの安全保障・危機管理を担当していた人物が、である。同じようなことを、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、ローマ教皇フランシスコが2月25日、ロシア語で訴えた。「戦争は恥ずべき降伏。政治と人類にとっての失敗だ」と(東京新聞WEB版)。
 「国防の安全保障に、絶対はない」。なにが正解かは誰にもわからない。だが、はっきりしていることがある。それは、「戦争は、攻める国の“口実”によって始まる」ことだ。過去も現在も、そうだ。だとすると、相手に、その“口実”を与えないようにすることが戦争を回避することにつながる。
 しかし、弾道ミサイルの発射基地など敵国の基地や拠点で侵攻する兆候があったときに先制攻撃する装備能力、いわゆる「敵基地攻撃能力」(批判を受け「反撃能力」と、姑息にも言い換えたりしているが)は、その“口実”を与えることにならないか。侵攻しようとする国も同じことを主張するだろう。日本側に攻める兆候があったから、攻めた、と。現実として、北朝鮮のミサイル発射でさえ正確に察知できていないのに、だ。さらに、戦争による唯一の核被爆国である日本が、抑止力として米国との核シェアを、と主張する政党まである(議論するだけだと、本音を隠しているが)。それは、自民党だけでなく、日本維新の会も、である。加えて防衛費を、これまでの「対GDP比1%」を倍にすべき、と熱弁を振う自民党タカ派議員までいる。実現されると、世界で第3位の「軍事力」をもつことになる。その軍事力が、敵が攻撃する意思を萎えさせることにつながると主張するが、「口実」になってしまうだけではないか。“賭け”に等しい。最近の世論調査では、ウクライナ情勢の影響か、軍事力強化を選ぶ国民が増えた。冷静になってほしい。軍事力に軍事力で対抗しようとすると悲劇的な結果を産むことを。歴史が証明しているではないか。何度でも言うが、“戦争になったら、終りなのだ”。そんな金が日本にあるなら、日本を攻める「口実」を失くすような外交、友好関係を保つための活動に使ったほうが良いではないか。
 万が一、日本が戦争に巻き込まれたら、柳澤氏が語るように「終わり」だ。ウクライナがそうであるように、多くの無辜むこの民(先日、重信房子もつかっていたけども。罪のない民)の命を失う。「国防の安全保障には、絶対はない」にも関わらず、持論は絶対に正しいと声高に言う輩が多いが、失敗を犯した政治家は、「切腹」してでもその責任を取る覚悟があるのか。安全な場所に身を置き、「戦え」と命じるだけだろう。その「尻ぬぐい」をさせられるのは、多くの国民なのだ。
 そんな理不尽なことを招く政治家を選ぶのも、国民である。その選挙が、7月10日にある。参議院の選挙ではあるが、政権与党が圧勝すれば、全てが委任されたとして、“賭け”ともいえる軍拡の道を突き進むかもしれない。そうならないように、政党間でチェックできるような緊張感をもたせなければならない。圧勝では、一強与党のやりたい放題である。すでに後進国になっている現実を直視する必要がある。政治の失敗を、国民が尻ぬぐいをさせられるのだ。与党の政治家は、税金を自分の金のように湯水のごとく使っているというのに———。
 極端ではあるが、日本がまったくの非武装であったとしたら、相手は何を“口実”にするだろうか。だからと言って、戦争に巻き込まれないためには、“非武装中立”が絶対正しいとは言わない。「国防の安全保障には、絶対はない」のだから。しかし、“戦争もやむなしという現実”に合わせる月並みな国のままでいるのか、“戦争は絶対にしないという、崇高な理想”に近づくように世界をリードする国をめざすのか、その選択である。
 さてあなたは、(竹野内豊風に)「さあ、どうする?」

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