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錯覚【エッセイ】六〇〇字

 運転中、こんな体験をしたひとは多いはず。直線道路が、いま登りなのか、下りなのか、分からなくなってしまう。登りを下りと感じ速度が落ち、渋滞の原因に。下りを登りと感じ、アクセルを踏み、事故を招いたりもする。錯視という、人間の曖昧さの面白さでもある。
 錯視でお馴染みなのが有名なアート、エッシャーの『滝』がある。滝から流れた水がそのあと登っていく。どう見ても登っている。
 『美女と老婆』という絵も、よく見る。見方によって、美女にも老婆にも見える、錯視絵。思い込みや目の錯覚を理論化した、「ゲシュタルト効果」と言われるもの、らしい。
 コロナ禍の中、「マスク美人」という言葉をよく聞く。化粧技術の進化のおかげか。2020年の流行語大賞にノミネートされるかと思いきや、アベノマスクは入ったが、なかった。
 ただ、「鼻出し」は、素材が美人だろうが、イケメンだろうが、よろしくない。「間抜け」に見える。また、マスクの弊害か、同じ顔に見える。個性が感じられない。となると、隠れた部分に、そのひとの個性を生み出す何かがあるのかもしれない。鼻? 唇? 頬?
 コロナ禍が長引けば、マスクを着用した顔が普通になり、以前の顔を思い出せないということになりかねない。終息後、マスクなしの顔に、「あれ、あんた、誰だっけ」なんてことも、あるかも。「マスク美人」も、「ゲシュタルト効果」と言ったら、ボコボコにされるだけでは済まないことに、なるだろうか。

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