不透明な時代を生き抜く獣道のすゝめ
街を歩いてると原状回復のためか工事を行っている飲食店が増えたように感じる。新型コロナ感染症対策による営業自粛から数ヶ月、自粛は解けたが相変わらず客足は遠のき、いつまた緊急事態宣言が出るかも分からない。いくつもの大学が後期についても遠隔講義を続けることを決めた。
飲食店の中には廃業を決めて、急には賃貸契約を解除できないので、しばらく営業を続けている店舗も少なからずある。1ヶ月、2ヶ月の間はしのげるけれど緊急事態宣言後も客足が戻らず、いつまでこの不透明な状況が続くのか見通せない中で、廃業を決める店舗は増えるだろう。
不動産は半年前通告の契約が多いらしく、4月に廃業を決めたら10月、緊急事態宣言解除後の客足を見て6月に決めたら12月の廃業になるとすると、秋から冬にかけて街の姿は更に寂しく変貌してしまう。残念なことだ。
JALやレオパレスといった気の早い会社は21年卒の新卒採用見直しを早くも表明した。秋冬には各社の業績に与える影響は概ね見えて、22年卒の各社の新卒採用計画には大きく影響を与える。いわゆる就職氷河期の再来だ。
バブル経済崩壊後の経済停滞期に学校を卒業した世代は就職難のため、非正規雇用のまま不安定な雇用形態を強いられた人が多い。20年以上たった今でも、安定的な収入を得ることができず、独身者が多いのも、この世代である。高度な教育を受けても、卒業のタイミングが不景気と重なれば、キャリア形成の扉が閉ざされるという理不尽な状況を生んだ原因は何か。
背景には、新卒一括採用という日本企業固有の雇用慣習があった。
これまでとは異なり、今回のコロナ危機で就職難に直面する若者を活用できる下地が日本経済にはでき始めている。職場でのデジタル化が急速に進む局面で、デジタルリテラシーの高い人材の確保は企業の死活問題になりうる。卒業年次や年齢に関わらず、スキルで付加価値を生み出せる人材を採用・育成していく企業が今後の日本経済の主流になるだろう。
わたしは2001年に大学を卒業したが、1997年に起きたアジア通貨危機、秋から翌98年にかけて山一証券や北海道拓殖銀行といった大手金融機関の破綻が相次いで、この就職氷河期が一層冷え込むところを間近に見てきた。
証券市場論のゼミにいて同級生たちは金融ビッグバンや銀行の不良債権問題を卒論のテーマとして取り組んでいるのに、就職活動ではみんな銀行に入りたがっているのを不思議な目で眺めていた。
わたし自身は悶々とP2Pとか地域通貨なんかに興味を持ちながら、卒論では電子マネー発行体の収益構造について調べた。シニョリッジなんてうまい話はないんだろうけど、何だかこれまでの仕組みが変わりそうな気がしたからだ。ちょうど日銀とNTTが電子現金を研究していた時代のこと。最近やっとCBDCが話題になってるけど当時も電子マネーブームで、日経BPからは日経デジタルマネーシステムというニューズレターが出るほどだった。
私はそのニューズレターの編集記者としてICカードやら海外製品なんかの紹介記事を書きながら、とはいえライターだけでは食っていけそうもなく、大手町の電話会社に派遣されて床を開けて光ファイバーを引いたり、携帯向けサイトの構築を手伝いつつシングルサインオンの特許を書いたり、ECサイトやらインターネット・バンキングに繋がる電子請求書の処理システムなんかを構築していた。
電子投票は遠い先だし、電子マネーの仕事もそうそうなくて、けれども電子商取引で構わなければ案件が転がっていた。当時はオフライン決済とか匿名性の確保によって電子商取引の時代が花開くと信じられていたが、蓋を開けてみればECサイトがブランドさえ確立してしまえば、いとも簡単に顧客は単純なSSLによる通信路の暗号化だけでカード番号を預けてくれた。暗号のパズルは複雑すぎて何がどうすごいのか誰にも分からなかったし、SETをはじめとした複雑な仕組みは教科書で読むとカッコいいんだけど、往々にしてちゃんと動かなかったからだ。
留年の後に大学3年となった1999年、アルバイトの延長でスタートアップで働いていたけれども、そろそろ就職活動をやるべきか悩んだ。僕はもともと記者になりたかったけれども、あまり立派ではない大学に入ったところで、立派な新聞社や出版社に入るのは無理だろうと諦め、IT技術×文章力であれば生きていけるだろうと片手間でライターを続けながらITの仕事に忙殺されていた。にも関わらず記者やら編集者のようなものに憧れがあって、連日のように新宿ゴールデン街で飲み歩いては、編集者と戯れて小さな仕事をもらったり、新聞記者相手に人生相談なんかをしていた。
朝まで飲んだ新聞記者からは、人はなりたいものではなく周りから頼られるものになるんだ、いまさら君が新卒で記者になったところで君の経験やらを活かすことはできない、入ったら地方支局で夜討ち朝駆け、40を過ぎて思い通りに何か書けるようになった頃にはきっと目が死んでいる。このまま必要とされる場所にいた方がずっと幸せだろうという話だった。
その記者は30代半ばだったと記憶するけれども、目は輝いていただろうか?もう思い出せない。親しい編集長から、そんなに入りたければ紹介してやるよといわれて、ある程度その気になってたんだけれども、どれくらい本気だったか全く思い出せない。結局のところ応募もせず面接にも行かなかったので、そこまで本気ではなかったのだろうか。
それから10年くらい経って、ちょうどリーマンショックの後くらいに、電子書籍について学んでいるという学生さんにオフ会で会って、新宿ゴールデン街に興味があるというので、僕が人生相談をした行きつけの店に連れて行った。なかなかの好青年だったので文壇バーにまで連れ回した。
この不況のまっただ中、大手出版社なんて宝くじみたいな倍率だから入れると思っちゃいけない。君が自分のやりたいことを因数分解すべきだ。看板に憧れるんじゃない、やりたいこと、やっていて自分が手応えを感じることってあるだろう、それがどういう時なのか、自分が何に対してであれば情熱を持てるのか、そういうことを問い直してみれば大手出版社以外にも自分が行きたい、フィットするようなところがきっと見つかるはずだ。学生の誰もが知ってるB2Cのブランドだけでなく、B2Bにもたくさんの優良企業があるから目を向けてみることだ。日本中にある仕事のうち99%は僕も君も知らないし、それが自分にとって面白いかどうかなんて、やってみなければ分からないんだからさ。君が出版社に憧れているのだって、文化的な仕事を他に想像できないだけだろう。僕も憧れたんだから、よーく分かるんだよ。もちろん腕試しに出版社は受けたらいい。構造不況業種だから将来は分からないけれども、大手であれば今のところ給料はいいし、ちゃんと育ててくれる。
自己アピールでは付け焼き刃の業界研究なんて話さない方がいい。殊に電子書籍の話なんか絶対に持ち出してはいけない。ほらさっき自転車で日本一周の話をしてくれたとき目が輝いていただろう。そういう君にしかできない話をした方がいいんだよ。ワイワイみんなで好き勝手にアドバイスしたら、彼はトントン拍子で面接を突破して日本を代表する出版社に入ってしまった。後日、丁寧にお礼に誘われて、どうやら連れ回した新宿ゴールデン街やら文壇バーにも手土産を持って丁寧にお礼回りをしたらしく、こりゃ天性の編集者かも知れないぞと驚嘆した。そういう訳で、夢を諦める前提で説教してしまうのもオッサンの悪い癖だから、あまり真に受けてはいけない。閑話休題。
授業なんか今どき、世界で最も素晴らしい内容を、コーセラなりで聞くことができる。お金を払えば単位だって取れる。大変な入試を乗り越えて留学で何百万もかかっていた昔とは大違いだ。洋書だって安くなったし、ネットで世界中の最先端の内容に触れることができるようになった。これは本当に素晴らしいことだ。知の高速道路に乗って、僕らよりずっと速く遠くまで辿り着くことができるだろう。そうやって学んできた新人たちは、会社にとって未来からの贈り物だから、本当に大切にしなければならない。
けれども大学というのは講義を受けるためにあるだけじゃないし、学生時代は大学に通うためだけにある訳でもない。出歩くことができないと、立場の違う大人と話す機会はない。Twitterには粗探しをしてくる怖い大人ならいっぱいいる。前途洋々の若者をみんなで応援するような雰囲気にはなり辛い。大概どこかで妬んで雰囲気を台無しにするような輩が現れてしまう。
飲み屋ってのは本当にいいものだ。時には絡んでくる輩もいるが今その場所にいる人しか話に入ってこないし、勝手に会話を録音されたり世界中に拡散されることも普通はない。その場を共有している者たちだけで、わいわいと話に巻き込まれてしまう。知り合いじゃなかったお隣さんの会話に聞き耳を立てて、ちょっとした間合いで共通の話題を振るのとか、本当に面白い。大人との話し方や世の中の仕組みは、みんな飲み屋で学んだ。だから学生さん達が大学に通うこともできず、ましてや飲み屋で飲むこともできず、これから普通に就職の道を閉ざされるのだとすれば、それはかなりまずいことだし、これからの世界にとって計り知れない損失になると憂慮している。
昔から鉄は熱いうちに打てというけれども、鉄だけでなく人間の人生にもフェーズというものがあるらしくて、あんまり歳を取ると人様の話を素直に受け取ることができなくなるし、周りの人たちも遠慮して叱ってくれなくなってしまう。僕ら就職氷河期世代も30歳くらいまでに己の道を見つけた人たちは自分なりの獣道を疾走したけれども、そういう機会に恵まれないまま中堅と呼ばれるような歳になってしまうと、なかなか苦労が多いようだ。ようやく昨年からロスジェネ支援政策が立ち上がったものの、現実には苦戦していたようだし、それとて今回の新型コロナ不況で吹き飛んでしまうだろう。
僕らロスジェネ世代の死屍累々を経て、流石にこれではまずかろうということで、来たる新ロスジェネ世代に対しては、数年以内に手を差し伸べられることが期待される。特別な施策を打ってくれる必要はない。すでに役所がそうしているように新卒採用の条件を30歳未満くらいまで引き上げるだけでも効果がある。これから5年から10年つらいままということもなかろう。
「ジョブ型雇用」を標榜するのであれば本来、年齢は不問とすべきだ。しかし殆どの新卒採用とはポテンシャル採用で、普通は職務経歴も何もあったものじゃないからすぐには難しい。会社として何年もかけて育てるのであれば、それから何年くらい働いてくれるかは重要なことだ。もちろん途中で転職する輩が多いのだから、気にし過ぎても仕方ないけど。海外であれば学歴も経歴だ。会社が人を育てない代わりに、社会に職業訓練の場がある。学校で訓練された人がすぐ働き始められるように職務も標準化されている。
標準化されて必要なスキルも明確な職務だから、学校なりで職業訓練ができる。この十何年か経済界は教育に対して即戦力の育成を求めているが、これはないものねだりだ。職務の標準化もやらず、内部育成を前提とした独自の働き方をさせている限り、いきなり外から飛び込んで働かせることは難しい。これから「ジョブ型雇用」を標榜する企業の人事がやることはまず、それぞれ持ち場の職務記述書をつくりながら一般的な職種で求められるスキルを標準化して経験や職業訓練の内容とマッピングしていくことだ。それだけで何年もかかる、つらく厳しい取り組みだ。そうやって企業内配置転換を円滑にしつつ、どこかのタイミングで新卒採用を再開するのだろうか。
雇用の流動性が高くジョブ型雇用が進んでいる米英や中国では、総じて若年失業率が高い。若者にはスキルも手に職もないからである。日本の新卒一括採用の良いところは企業が大量の若者を受け入れて、一通りの教育を施してくれるので、均してみれば若年失業率は低く抑えられ、企業の負担によって訓練された労働力が市場に供給されることである。その代わりに新卒採用数が各企業の雇用の調整弁となるため、ひとたび不況が来ると社会に出るための門戸が閉ざされてしまう。
以前からジョブ型雇用を標榜していた外資系企業やベンチャーは、いってみればそうした大企業の教育システムにフリーライドしてきた。そして経団連企業にあって面倒見がいいことで知られてきた日立や資生堂がジョブ型雇用に転換するということは、短期的には景気悪化の中でコア人材を繋ぎ止められるフェアなルールをつくろうとする試みかも知れないし、長い目で見たならば新卒に対しても一括採用から通年採用へと移行して、横並びの年功賃金ではなくて、中途採用と同じように経験や能力に応じて応募できる職種に応募する仕組みへと転換していく可能性がある。
これが杞憂であることを願うけれども、これから新しい就職氷河期がやってきて、これまであった新卒就職の門戸は狭く険しいものとなるだろう。日本だけでなく世界中で若年失業率が上がる。けれども不況期こそイノベーションを起こすチャンスでもある。多くの優秀な若者達が成熟産業に囲い込まれることなく野に放たれて、新しい取り組みを始める。安い値段でオフィスを借りることができ、優秀な人材を採用できる、新しい事業を始めるにはまたとない時期だ。2000年代半ばに頭角を現したポストネットバブル世代のIT起業家達はまさに僕らロスジェネ世代だ。次に来るのがどんな分野か分からないけれども、旧産業が身を縮める時代は、明らかに時代の変わり目を意識して種を撒く上では最高のタイミングだ。
振り返ると1990年代末と2000年代初頭も、新興市場が生まれて、ネットバブルは弾けたけれども、それからブロードバンドが普及して、モバイル・コンテンツ市場も立ち上がり、ブログやSNSが立ち上がるまで、たったの5年ほどの出来事だった。普通に就職しようとすれば他の世代の何倍も苦労したけれども、モバイル向けに何かを立ち上げる、Webで何かやってみるには、これほど素晴らしい時期もなかった。新卒で会社に入るだけが、履歴書に書ける職務経歴ではない。いまやGitHubにプルリクを上げることも、OSSプロジェクトを旗揚げすることも、たくさんの人から読まれる記事を書くことも、何だって記録に残って実績となる時代だ。おいそれと人と会えないのはみんな同じだけれども、その制約条件の中でプロジェクトを回したり、人の心を動かしたり、何かしらの営為を行ってフィードバックを得ることは、それ自体が手探りの経験となる。そして新しいやり方を編み出すことに長けているのは、それを当たり前と感じている若者たちに決まっている。
敷かれていたはずのレールが新型コロナの大波によって浚われてしまった。そのまま突っ込んでいけば、僕ら就職氷河期世代と似たような苦労をすることになるだろう。しかし新しいレールが敷かれるまでの短い間ここには様々な獣道が走っていて、大人達とて手探りで試行錯誤している中で、短い間だけたくさんの獣道に通じる窓が開いている。その獣道の先には行き止まりや谷もあれば、山頂への近道にも通じている。よくも悪くも不況とはそういうものである。既に二匹目の泥鰌をを狙って、人脈や経験を抱えて獣道を探し回っている大人達もいる。けれどもそういった大人達よりも、急勾配の獣道を登ることが得意なのは君たち若者だ。何より歴史がそれを証明している。
もちろん世の中について知らないこと、新型コロナによって奪われた「経験する機会」は少なからずある。そのハンディは世代が丸ごと抱えている中で、それを乗り越える方法を見つけたり、心の壁を乗り越えて先に社会と触れることができれば大きな強みになり得る。嘆いたところで始まらない。現実を受け止めて、自分なりに泳ぎ始めたらいい。君たちの冒険はまだ始まったばかりだ。残念ながら飲み屋という場所と機会は新型コロナによって奪われてしまったが、飲み屋でクダを巻いていた我らがオッサン達は今日も家に息を潜めて、刺激的な話をする機会を待ち望んでいる。