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思索メモ

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ぼくの思考バブル(2018/06/24)

ぼくの思考バブル(2018/06/24)

ぼくは日々、スマホのメモ帳にその都度浮かんできたことをメモしている。

通常、このメモはだれにも見せずにただメモ帳に保管してあるだけなのだが、今日からしばらく実験的に、ぼくの思考メモをのせてみることにする。

なお、編みがけしてある文字が、本日スマホのメモに書いたことだ。矢印で、そのメモの補足をしてある。

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時間がすべてをながす。

→今現

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「意識」とは、脳ダイナミクスからうまれた概念であるように思える。それは、事物を認知した結果であるように思える「空間」や「時間」とおなじだろう。
「神」を考えたとき、それはすべての現象の総体の結果なのではなかろうか?
「神さまの言うとおりにしろ!」って、それは流れに身を任せるry

「神」を考えるのアンマ好きじゃないけどさ、神って、自分の心や理性にしたがった結果あらわれるんじゃない?
というのも、「貧乏クジひいた!」や「ラッキー!あたった!」は自分の行動の結果なので。
「ある確率において期待したした通りになること」の原因を「神」と定義するのもアリだろうけど。

LINEの送信取り消しや自分がツイートしたやつ削除って、時間を逆行しているように見えるんだ。だから、極力削除ってしたくないのよね。自然の摂理にさからっているようにみえるから。自然にでてきたコメントやメッセージって、消さなくてもいい。歩いている!それは、意図したからだ。コメントも。

鵜呑みにするな。
違和感を感じたら、頭をつかって変えていけ。

まとわりつくもの取っぱらっていくと、勝ってに身がうごく。どこかへと、うごく。

ちょっとの差が、時間発展することで多大な差となる。
だからこそ、「これかな?」のちょっとした感覚が大事なのだ。その決断は、いずれ大きな影響を及ぼしうる。

すべての感覚が統合される脳内現象を楽しめ。

解釈はどこまでいっても解釈なので、そこに合っているも間違っているもない。
世界は、解釈がつくる。

人と人とにはそれぞれの次元があり、それぞれの理解・意味によって媒介されている。
あまり、人のことに突っ込むな。わからないだけ。

選択と集中とは、興味ないことは徹底的に無視し、興味あることは徹底的にもぐってみる、ということだ。
もちろん、「チガウ!」とおもったら、違うとこいけ。

「丸写し」はバカですよ。だって、自分の頭を使ってないってことなんですから。
「マネ」をするにしても、ちゃんと考えて自分の中に落とし込まなきゃ。自分のものにできない。

人をあおるってのキライ。
焦らして、なにがしたいの?人は人だろ。あなたはあなたのことだけしてればいいの。人のことにかまうな。
ま、この考えは人それぞれだ。おせっかいをやきたいひとは、どうぞ。

自分にとっての「良い」と他人にとっての「良い」は必ず一致するわけではないので、自分の意見をおしつけたり、「なんで動いてくれないの!」とムシャクシャしないように。