論語と算盤「①処世と信条 1.論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの」の朗読
澁澤栄一
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国会図書館で著作権フリーで公開されている澁澤栄一の「論語と算盤」の「①処世と信条 1.論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの」を音読したものです。
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000782366-00
原文は以下のとおり。
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今の道徳によって最も重なるものとも言うべきものは、孔子のことについて門人達の書いた論語という書物がある。これは誰でも大抵読むということは知っているがこの論語というものと、算盤というものがある。これは甚だ不釣合いで、大変に懸隔(けんかく、かけはなれていること)したものであるけれども、私は不断にこの算盤は論語によってできている。論語はまた算盤によって本当の富が活動されるものである。ゆえに論語と算盤は、甚だ遠くして甚だ近いものであると終始論じておるのである。ある時、私の友人が、私が七十になった時に、一つの画帖を造ってくれた。その画帖の中に論語の本と算盤と、一方には「シルクハット」と朱鞘の大小の絵が描いてあった。
一日、学者の三島毅先生が私の宅へござって、その絵を見られて、「甚だ面白い。私は論語読みの方だ。お前は算盤を攻究している人で、その算盤を持つ人が、かくのごとき本を充分に論ずる以上は、自分もまた論語読みだが算盤を大いに講究せねばならぬから、お前とともに論語と算盤をなるべく密着するように努めよう」と言われて、論語と算盤のことについて一つの文章を書いて、道理と事実と利益と必ず一致するものであるということを、種々なる例証を添えて一大文章を書いてくれられた。私が常にこの物の進みは、ぜひとも大なる欲望をもって利殖を図ることに充分ではないものは、決して進むものではない。ただ空理に走り虚栄に赴く国民は、決して真理の発達をなすものではない。ゆえに自分等はなるべく政治界、軍事界などがただ跋扈 (ばっこ、のさばること)せずに、実業界がなるべく力を張るように希望する。これはすなわちといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要のつとめと自分は考えているのである。
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000782366-00
原文は以下のとおり。
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今の道徳によって最も重なるものとも言うべきものは、孔子のことについて門人達の書いた論語という書物がある。これは誰でも大抵読むということは知っているがこの論語というものと、算盤というものがある。これは甚だ不釣合いで、大変に懸隔(けんかく、かけはなれていること)したものであるけれども、私は不断にこの算盤は論語によってできている。論語はまた算盤によって本当の富が活動されるものである。ゆえに論語と算盤は、甚だ遠くして甚だ近いものであると終始論じておるのである。ある時、私の友人が、私が七十になった時に、一つの画帖を造ってくれた。その画帖の中に論語の本と算盤と、一方には「シルクハット」と朱鞘の大小の絵が描いてあった。
一日、学者の三島毅先生が私の宅へござって、その絵を見られて、「甚だ面白い。私は論語読みの方だ。お前は算盤を攻究している人で、その算盤を持つ人が、かくのごとき本を充分に論ずる以上は、自分もまた論語読みだが算盤を大いに講究せねばならぬから、お前とともに論語と算盤をなるべく密着するように努めよう」と言われて、論語と算盤のことについて一つの文章を書いて、道理と事実と利益と必ず一致するものであるということを、種々なる例証を添えて一大文章を書いてくれられた。私が常にこの物の進みは、ぜひとも大なる欲望をもって利殖を図ることに充分ではないものは、決して進むものではない。ただ空理に走り虚栄に赴く国民は、決して真理の発達をなすものではない。ゆえに自分等はなるべく政治界、軍事界などがただ跋扈 (ばっこ、のさばること)せずに、実業界がなるべく力を張るように希望する。これはすなわちといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致せしめることが、今日の緊要のつとめと自分は考えているのである。