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ユニバーサルデザインの強化書204 認識的不正義とは何か――証言的不正義と解釈的不正義の視点から考える

認識的不正義とは何か――証言的不正義と解釈的不正義の視点から考える

はじめに

認識的不正義(epistemic injustice)は、当事者の知識 や経験が社会的に不当に扱われることを指します。これは、個人や集団が持つ知見が軽視されたり、誤解されたりする状況を生み出し、社会の中での不平等を助長します。本コラムでは、哲学者のミランダ・フリッカーが提唱した証言的不正義(testimonial injustice)と解釈的不正義(hermeneutical injustice)の概念を用いて、認識的不正義を説明し、その後、当事者研究との関連性について考察します。

証言的不正義とは

証言的不正義とは、ある個人の発言や証言が、偏見や先入観により不当に信用されないことを指します。たとえば、障害者が自らの経験を語る際、その証言が「感情的すぎる」「客観性に欠ける」といった理由で軽視されることが挙げられます。このような状況では、当事者が持つ知識や経験が社会の中で正当に評価されず、声を上げる機会が制限されてしまいます。
ほかに、黒人の証言が白人に信用されない状況もこれに当てはまるでしょう。

具体例:障害者の声の軽視

障害者が公共の場でバリアフリーの必要性を訴えても、彼らの証言が「特定の個人の意見」として片付けられ、政策に反映されないことがあります。これは、障害者の知識や経験が「特殊なもの」として扱われ、社会全体の問題として認識されないためです。結果として、彼らの証言が本来持つべき社会的な価値が損なわれるのです。

解釈的不正義とは

解釈的不正義とは、特定の経験や現象に対して適切な解釈枠組みが欠如しているために、当事者の経験が社会で正しく理解されないことを指します。これにより、当事者が自らの経験を表現することが困難になり、結果として社会的な抑圧や孤立が強まります。

具体例:精神疾患の解釈

たとえば、うつ病を患っている人が「疲れやすい」や「意欲が湧かない」といった感覚を表現しても、その経験が周囲に理解されず、「怠けている」と捉えられることがあります。社会の中で精神疾患に対する適切な解釈枠組みが存在しないために、当事者の経験が誤解され、正当な支援や理解を得ることが困難になるのです。
「産後うつ」も、特に2000年代以前はこれに当てはまり、今なお啓発は必要です。

当事者研究との関係性

当事者研究は、当事者が自らの経験を語り、他者と共有しながら自己理解と社会的な理解を深めるプロセスです。認識的不正義、特に証言的不正義と解釈的不正義は、当事者研究と密接に関連しています。以下に、その関係性を述べます。

証言的不正義と当事者研究

当事者研究は、当事者の声を「正当な知識」として位置づけ、社会の中でその声を認めさせることを目指しています。証言的不正義によって当事者の証言が軽視される場合でも、当事者研究はその声を集約し、コミュニティの中で共有し続けることで、その証言の価値を社会に認めさせようとします。

解釈的不正義と当事者研究

当事者研究は、当事者自身が経験を解釈し、表現するための枠組みを共同で創り出す場でもあります。解釈的不正義が生じる状況では、当事者が自らの経験を表現できずに苦しむことが多いため、当事者研究はその解釈枠組みを発展させ、社会に新たな理解を促します。これにより、当事者が自らの経験を語りやすくし、社会に適切な理解を広めることができます。

おわりに

認識的不正義は、社会の中で当事者の知識や経験が正当に評価されず、誤解されることを通じて生じます。証言的不正義と解釈的不正義は、当事者の声を封じ込め、社会的な理解を阻害する重大な問題です。これらの不正義に対して、当事者研究は当事者の声を尊重し、適切な解釈枠組みを提供することで、社会に変革をもたらします。私たちは、認識的不正義を理解し、当事者研究の重要性を再認識することが求められています。

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Generated by DALL-E3 (OpenAI).

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m.m

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