子供の不登校から得たこと
自分が変わると周りが変わる。
どうも本当らしい。しかも、物理的にどう考えてもリンクしていない関係のところにもそれは波及するようだ。
要は、事象の受け取り方は自分次第。
比較、評価しないこと。ジャッジしないこと。善し悪しで区別しないこと。受け入れること。
そして、良いことにも悪いことにも感謝すること。
そうしたことで受けるフィードバックは自分にとって良いことばかりではない。
実は私の小学校の子供が不登校である。
どうも、学校に行けないらしい。
最初は、妻と一緒に何とか学校に行かせようとしたが、抵抗が激しくなり、その内、暴言を吐いたり、家中の物に当たるようになってきた。
それは朝から寝る前まで続く。妻は疲れ果てた。私も言うことを聞かない子供に対して躍起になって子供に対しても自分に対しても疲れ果てた。
最初はネガティブに受け取っていたこの出来事も、無理矢理にでもポジティブに考えた。
これは鏡なんだ。子供も含めて、家族や周りで起こる出来事は全て鏡である。要するに自分の心が反映しているのである。
それに、子供して欲しいことは、それが出来ていないことが前提にあり、子供はそれを受け取ってしまう。
宿題しなさい!ゲーム止めなさい!お風呂入りなさい!
(あなたは宿題をしない子だから)宿題をしなさい。
(いつもゲームばかりしてるんだから)ゲームを止めなさい。
などなど。
特にうちの子はとても頭良くて感受性も高い。ビンビンに受け取ってしまう。
子供でなく、自分なんだ。
そう気付いてから、話し方を変えた。
いつ宿題するの?宿題で分からないとこあればいつでも言ってね!など。
「子供達は宿題をする」ということを前提として話した。
そうすると、「これ見終わったらする」とか「分かった」とかと言って割と素直に宿題に取りかかる。
子供も自分で決めてやりたいのだ。これは自己決定理論といって、心理学的にも認めたれた事である。
言われたことをするのでは無く、自分で決めてやる、という習慣が人の成長にとってはとても大事な事のようだ。
これはどんな環境にも当てはまる。子供に対して、パートナーに対して、生徒に対して、選手に対して、部下に対して、友人に対して。是非、皆さんにも実践して欲しい。
それと、仕事場や家でも上機嫌でいるようにした。仕事場では、スタッフに対して常にありがとうと感謝の気持ち、そして笑顔で明るく接するようにした。相手は関係ない。自分からそうする。そして、気にかけることも心がけた。
家では機嫌良く帰ってきて、携帯は自分の部屋に置き、自分だけの都合で見るテレビや携帯を止めた。
子供が話すときは、目を見て聞いた。そうなんや。それでそれで?なんでだろう?どう思った?などと興味を持って聞くようにした。
妻が毎日行っているお皿洗いや洗濯物を畳むことを時間のある限り手伝った。
妻と話す時間を増やして、妻への感謝も伝えるようにした。
そして、これは誰にも言ってないことだが、トイレ掃除も始めた。
トイレ掃除と言っても、用を足した後に便座や便器の周りや足下の汚れを拭き取るだけ。
家や仕事場だけでなく、例えばコンビニやカフェや外食時に使用したトイレも拭いた。
他人が飛び散らかせた尿や便を拭くのだ。時には数分かかることがある。
これは、中々メンタルが必要で徳が積めると感じて続けている。これを全人類が行えば、どこもトイレは常にピカピカである。
こんな感じの事を2~3週間ほど続けている。
子供は少しは落ち着いては来ているが、相変わらず不登校である。暴言や物に当たるのも続いている。
でも、それがなんだ?俺は幸せだし。妻も子供も元気だ。それ以上に望む事はない。
実は子供は学校には行かないが、毎日のように家には友達がくる。時々遅れて学校に行くのだが、その日の帰り道では沢山の友達を引き連れて楽しそうにやっている。とても不思議な光景である。
周りからはどう思われているかは分からないし、そんな事はどうでも良い。
事実として、私は幸せをより感じるようになった。家に早く帰る頻度も増えて子供と一緒に食事したり、お風呂に入ったり、遊んだりする時間も増えた。
妻とも更に分かり合えているし、子供とも仲良くやっている。
何より、みんな健康で明るい。
大丈夫だ。これでいいのだ。
最後までお読み頂きありがとうございました。
ネガティブだが周りからポジティブと思われている見栄っぱりな45歳のおっちゃんのブログ