争わずに勝つということ
競争社会は、勝つか負けるかの世界だ。
個人レベルでは、ライバルには負けたくない、という感情が湧き上がる。
会社からは、勝つことが至上命令だ。
確かに良い結果を出さなければ競争には勝てない。
個人であれ、企業であれ、結果を出すことは最終目的であり、生き残りでもある。
競争社会に身を置く人間には、三つの選択肢がある。
①結果を出し続ける
競争社会に身を置くならば、結果からは逃れることは出来ない。
②そこから離脱する
もしも、結果が出せないのなら、そこから離脱するしかない。
しかし、結果がすべてなら、こんな殺伐とした世界はない。
どんどん、疲弊するのみだ。
そこで、第三の選択肢が残されている。
③競争をせず、離脱もせず、結果を出す
でも、そんなことが出来るのか…?
結論から言えば、
「自分の心のベクトルをどこに向けて行くのか?」
ということだ。
ベクトルとは、向きと大きさを持つ量のことだ。
別の記事でも書いたけれど、わたし自身は第三の選択肢を選んで営業の仕事をしていた。
営業所のホワイトボードには、各営業マンの目標ノルマや売り上げ成績が貼り出されていた。売り上げの上がらない営業マンは、会社から厳しく突き上げを受けることになる。
そうすると、毎日ホワイトボードの自己売り上げとにらめっこすることになってしまう。
売れない営業マンは売り上げを上げることに死に物狂いになる。
それはそれで間違ってはいないけれど、お客様のことが ”金の卵を生むニワトリ” にしか見えなくなってしまう。
強引なやり方をする営業マンもいた。
しかし、お客様は血走った顔の ”くれくれ” 営業マンから物を買おうとは思わない。
すると、売れない営業マンは、どんどん負の無限ループにハマってしまう。
わたしは、ホワイトボードを見ないようにしていた。
お客様だけを見ようと決意していた。
お客様の役に立てる営業マンになることだけを考えて仕事をした。
すると、自分の顔から「我欲」が消える。
「買わなくて結構」とさえ思っていた気がする。
しかし、そこから売り上げがグングン伸び始めた。
わたしは、自分の心のベクトルを会社からお客さまへ方向転換した。
その結果、競争に勝つこともできた。
つまり、争わず、競わずして勝てたのだ。
これが「第三の選択」というものだった。
パナソニックの創業者である松下幸之助さんは、創業時は人の生活に役立つものを作りたいと言う思いしかなかったといいます。
たとえば、これを人間関係に置き換えてみるとどうなるか?
・自分が持つ倫理
つまり自分が思う正義
・自分が望むこと、欲望
みんなのためではなく「我欲」
これを勝ち取るための生き方は、競争社会と同じ原理かもしれない。
たとえそれが得られなかったとしても、そこから離脱しようがない。
離脱したくても自分の人生からは離脱できない。
嫌な職場、嫌な上司、嫌な同僚。
これらと競うことは、とても苦しいことだ。
苦しみを生むきっかけは、外の世界にあったかもしれないが、それを増幅・増大させてしまうのは内なる世界、つまり自分の心だ。
ベクトルが「我欲」だけに向かえば、それが叶わない現実世界は、ただ辛く苦しいだけのものになってしまう。ちょうど、ホワイトボードとにらめっこしている売れない営業マンと同じだ。
どこかで、自分のベクトルを変えなくちゃいけない時が来る。求めることだけに、心を使えば、求めること(売り上げ)は、どんどん逃げて行く。
与えること(お客様の役に立ちたい)にベクトルを向ければ、求めることは近寄ってくる。
より良き人間関係を築くこと、より良き結果を得ること。
そのためには、求めることより与えることが先なのだろうと思う。
嫌な出来事や、嫌な人は、これから先も現れるかも知れないけれど、自らの心のベクトルでそれらを辛いものにしないように生きたいと強く思う。
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