ロックシンガー サム

ロック詩人、文化評論家、絵描き。

ロックシンガー サム

ロック詩人、文化評論家、絵描き。

最近の記事

感情表現について。

絵における感情表現とは、演技や音楽におけるそれに似た物がある。しかし絵の学校ではそれは教えませんね。 実はそれも技術の内の筈だけど、どこか情緒とは「神聖にして触れざる物」といわんがばかりに避けている印象すらあります。 結果そういった事に対し「個性」の一言で逃げるか、もしくは放棄し、古典から続く光学的事実に基づいた「正確なデッサン」みたいな、技術のための技術の話に終始してしまう状態になっております。 これは「情緒」ばかりか「感性」についても同様です。内面に関わる一切を神聖

    • 特別か?

      作詞:ロックシンガー サム 一人でも エライ事 それを 同時に五人とは その欲の 底の深さ 恐れ入る エロス 彼だって 聖人じゃない いわゆる 普通の人 だから許せと 言うのには ちょっと 無理がある 彼は 特別か? 彼は 特別か? 彼の その 影響力 普通じゃないよね 彼は 特別か? 彼は 特別か? 彼の 旺盛な 肉欲 そこだけは特別 (間奏) 不倫した タレントは 仕事を 干された 不倫した 代議士は 議員を 辞職した 不倫したい 貴方とならと それ

      • 日本でバンドデシネが上手くいかない理由。

        絵描きなら一度は作る事を夢想する、高品質なイラストレーションと高品質なシナリオで構成された珠玉の漫画。いわゆるバンドデシネ。 80年代頃から入り始め、90年代に特に歓迎されてもいたが、今はトンと流行っていない。 本家本国のバンドデシネはさておき、日本の漫画シーンにおいてはジャンルとして殆ど定着せず、一部のマニアものためだけの市場が残っただけというのが現状だろう。 その原因は様々あるかと思うが、一番のそれは「読みづらさ」にあったと思われる。 日本の漫画の絵(一コマ)は、

        • 不惑の。

          作詞:ロックシンガー サム いい人を 演じるのに 正直 つかれてる デキル人で いるのも もう ちょっと限界 今まで受けた 仕事は 概ね好評 今後も頼むよ と 言われるけれど 報酬はずっと 低空飛行で 俺の中で育つ ドス黒い影 何かが 溜まる 何かが 裂ける 忍び寄る 不惑の 男の欲望 (間奏) あいつが 捕まったと 朝から大騒ぎ 通勤電車で 痴漢の 現行犯 ヤツは いい人と 評判の男 仕事もデキるし 家庭もある身で 出世街道を 走っていたのに ヤツの中

          職人的充足感。

          物を描くにあたって、あんまりパッとしないサムネ、スケッチ、エスキースから「意外と良いのでは?」というモノにまで持っていけた瞬間って結構ガッツポーズだ。職人的な充足感みたいなモノを感じる。 逆に「これは傑作の予感」と「とっておき」にしておいたサムネ、スケッチ、エスキースから無様なモノに仕上がってしまった瞬間ってのは、何だか学んできた全てが否定された様な敗北感さえ感じる。勝てるゲームを落としたみたいな例のアレ。 最近は「傑作スケッチ」が上がらなくなった(自分基準)というのもあ

          「スリル、スピード、テクニック」

          今って80年代頃にもてはやされた様な「スリル、スピード、テクニック」みたいなカッコ良さではなく、「まったり、ゆるり、ナチュラル」みたいなのが求められているのかも、と、色々作ってバラ撒いてみた上で実感しつつある。 但し「求められている」のであって、決してそれが価値観全部を支配し切っているのかというと微妙でもあろう。 と、いうのは、この世界の社会基盤自体が「スリル、スピード、テクニック」という価値観で作られており、当然支配されているわけで、現代人は決して逃れる事が出来ないから

          「スリル、スピード、テクニック」