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文句無しの秋で気づいたのは「もう記憶なんて要らないよね」って事だった

どんな時、自分は楽しい?
(苦しい、怖い、文句言う、悲しい、嬉しい、嫉妬、逃避などなど
…にも言える事)」

私の主催するスクールで この質問をする機会が多いんです。
私もよく自分の過去を振り返ってます。ゆっくり遡って書き留めてます。

(いまだに覚えている事は割とショックな出来事多めです)

その内容そのものでは無く、
「今の自分はそれをどう感じるか?」
をノートしてます。

最近はちっさいノート多め


まるで絡まった毛糸玉を解いて再度巻き取る様な作業です。絡まりが奥から出てくる…でも不思議と嫌じゃ無い。

俯瞰出来てる、大人になったな、と思います。


…ふと、母が昔 古いセーターを解いては縮れた毛糸を一旦お湯の入った小さなヤカンの様な謎の容器に通して、干していた事を思い出しました。湯気で毛糸の癖が取れるんです。

今、私はノートとペンで同じ作業をしているんだね。

「一旦解いて また編み直す

もっと自分を見て、言葉にならない感覚や感情も大切に味わってきたらよかったなぁ…なんて思いました。


事実と思っているその出来事の顛末だけでなく、その時、それを感じてる自分の感情の輪郭をなぞって確認する事は必要ですね。


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自分なりの世界感や宇宙感から「自我」を外す…
自我は
「自分がやった、知ってる、コントロールする」が大好き。
自己の能力を自己評価するのも好き。

それは人類何千年の歴史で培われた癖かもしれない。その中で肯定感を増やしたり効力感を書き直したり。エフィカシーを高める事だって
出来そうよね。

でも
「自分」(自我)が関わっていない所や意識していない所でこそ癒しは起こる(シータ波が出る)。
強い引き寄せも起こる…
だから驚く…

もうこうなったら
大事なとこほど
「自分」は いない方が良い(笑)

えー、だったら意図なんて
要らないよねー


本当に欲しいゴールは頭の中には無くて、自動で設定されているってわかりだす。手放す事も怖く無くなる。
更に勝手にそっちへ進む。


つーまーりー

努力が必要な事はそもそもゴールじゃ無い。違う。社会生活で必要なだけ。

それAI出現で変わる。
ひたすら抽象度も上がるからセルフイメージすらいらなくなる。

(セルフイメージってさ そもそも本質とは違うよね)


すなわち
過去は全く未来に関係ない。
と腑に落ちた今回の長野旅。
頭は 激しく抵抗するけど
そうなんだもの、仕方ない。

『長野での気づき』

偶然が怖い位に起こり過ぎて、未来のゴールの臨場感と既視感が常にありました…

もう過去の記憶っていらない
と強く思った。

そして
「心地よさ」は、まやかしだった。

コンフォートゾーンは常に狭くして
おこう…
まさにバシャールの言ってる針の穴…


長野に行くことは前から決めていた。何故その日になったか?というと、関係者諸々の空いたスケジュールがたまたま秋分だっただけ。

出発の前日から偶然は重なり出し
フルオーケストラの様相…

サインなどの生優しいレベルじゃ無く、実際目の前に.ヒトとか物になってハッキリと与えられ出す現実。

それが来たらお猿さんでもわかる…
意味付けや説明は要らない。
起こってる事が答え。

起こってる事にしか
自分の答えはない。

何一つ 自分の考えや計画が無いからこそ、ピタっと重なって起こる。

いろんな過去が繋がりあった三角形はまた別な三角形と繋がって、神聖幾何学のマカバ?フラーレン?だったのかも。

パーツを繋げてるのは誰?
そのメカニックは?

死んでもわからない。
説明されたって証明は出来ない。
わかったところで こんな奇跡が起こる訳じゃ無い。

全ては自我の無い所で
周到に芽を出しているんだね。

今朝、長野でお世話になった友人からメッセージが来ていた…

新しい不思議は まだまだ続くよ、
どこまでも

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