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「鯨とともに生きる〜太地町訪問」 行政が描く未来図 ②

シリーズでお届けしている「鯨とともに生きる〜太地町訪問」 行政が描く未来図その2になります。

その第1回目は以下からご覧ください。

太地町(和歌山)と言えば古式捕鯨発祥の地として知られています。1606年から組織だった捕鯨を日本で初めておこないました。
それだけに鯨への敬意というものを今なお忘れていません。

上は鯨の骨で作った神社の鳥居だそうです。このように街中の至る所に鯨に関するものが多く飾られています。

ここは燈明崎と言って、その昔はここで鯨を見つけ出し、船にその場所を知らせていたそうです。

もうひとつ梶取崎というのもあって、ここからも見つけていたそうです。

長い歴史の中、太地では捕鯨を止めていた時期もあります。
1878年大背美流れという海難事故が起こりました。セミクジラの親子を追った挙げ句の果て、100名以上の命が奪われたと。
その年はあまり揚がることがなかったので、多少無理してセミクジラの、しかも親子に狙いを定めたのが良くなかったと言われています。

大背美流れについては色々とネットに出ているのでそちらをご覧ください。

地元にある順心寺には大背美流れで還らぬ人となった方々の供養塔が建てられています。

同じく順心寺には古式捕鯨を始めた和田忠兵衛の墓もあります。

ここ太地町は自分たちが歩んできた400年の歴史を大切にしている人たちだということがよくわかります。

続く・・・

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