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「100分de名著」で学ぶブッダ「真理のことば」 」1回目その3

1.前回のおさらい

前回ブッダの教えとはどのようなものなのか、学びました。その教えとは以下の通りです。

この世の中は苦の連続であり、物事がつねに移り変わっていく世の中である。
人は自分が世の中の中心であるという間違った考え方をし、自分の意識とは関係なく変化する環境や自分の欲望から生み出される差異に苦し
みを感じながら生きるものだと、ブッダは説きました。
そしてブッダは、人生から苦しみを解放するために、苦しみを生み出す4つのメカニズムと、8つの解決法を説き、世に広めました。

出演者:
司会 --- 堀尾正明さん
アシスタント --- 瀧口友理奈さん
講師 --- 佐々木閑(しずか)さん

2.悟りに生きたブッダの半生

ナレーション:
苦しみの原因を追求し、解決する方法を説いたブッダ。
ブッダはどのようにして、悟りの境地に至ったのでしょうか。

3.自我を見つめたブッダ

司会者:
ブッダというのは、かなり特殊な人だったのですか。それとも、普通の人だったのですか。

講師:
人間であるのは間違いありませんし、キリスト教やイスラム教の神様のようなものとは違います。

本来のブッダは歴史的な人ですから、普通の人です。

ただ、我々と違うのは、どうやったら人生の苦しみを、逃れることができるかを真面目に考えた人で、そして、それを集中的に修行することにより、その道を見つけ出し、さらに大事なことは、私たちにそれを教えたということです。

司会者:
ブッダはどのように悟りを開いて、教えを説くようになったのか、その半生を簡単にご覧ください。

ナレーション:
ブッダは釈迦族の王子、ゴータマシッダールタとして生まれました。

16歳で結婚し、子供をもうけ、何不自由なく暮らしていました。

しかし、ある時、王宮の外で人々の姿を見たことが彼の運命を変えました。

それは人生が、生、老、病、死の苦しみに満ちていたからです。

それはやがて自分の身に起きることに気がつきました。

シッダールタは苦しみを克服する術を得ようと、29歳で出家を決意、修行しながら思索を続けました。

そして35歳で遂に菩提樹の下で悟りに目覚めた人、ブッダとなったのです。

4.ブッダの悟りと「心の病院」

司会者:
16歳で結婚して、家庭もあったんだけれども、そのようなものをすべて捨てて、外に出ていったという、ある意味、非常にアンテナのある感受性の豊かな人だったんですね。

アシスタント:
生、老、病、死とは、悩んでもしようがないのかなと思ってしまうような、なかなか真正面から向き合えないことだと思うのですが。

司会者:
宿命として、あきらめてしまうことが多いことですよね。

講師:
長い修行が終わって、遂に悟りを開いたときのブッダは、大変な喜びを感じたんですよね。

それが、歓喜の言葉としてありますので、ご紹介いたします。

「私は、苦しみの基盤である「自分」という家の作り手を繰り返す輪廻の中を得るものもなくさまよい続けた何度も何度も繰り返される生(しょう)は苦しみである。

だが家の作り手よ。
お前は見られたのだ。
もう二度と家を作ることはできないその垂木はすべて折れ、棟木(むなぎ)はくずれた。
心はもはや消滅転変することなく、割愛の終息へと到達したのだ。」

家というのは枠組みを考えていただいたらいいのですが、私が私の世界というものを作っている様子です。
私という枠組みの周りに、私の世界、私の持ち物が存在するような、私を中心に組み上げられた私の自我の世界というのが、家の意味です。

アシスタント:
家というのは、自分の基準で世界を見て、作り上げた虚構のような世界のことをいうのですか。

講師:
そうです、誤った自我意識ですね。
ですから、輪廻の中を得るものもなく、さまよい続けたというのは、そのような本当の私の世界はどこにあるのだ、私中心の世界はどこだということを探し求めるということなんですが、しかし見つからない、探しても見つからないから、それが苦しみの連続になるわけです。

ところがブッダは自分の体験によって、虚構の世界だということに気がつきます。

気がついた途端に、今まで作ろうとしてきた家の構造は一遍に崩れてしまいます。
これが、「垂木は〜すべて崩れた」ということになり、気がついてみると、今まで探し求めていた私という世界はないことに気がつき、そのときに初めて、ないものを探していた苦しみは消え、本当の安楽を手に入れることができる。

長い修行の結果、到達した境地になります。

アシスタント:
この状態というのは、日常に置き換えると、どういう状態を指すんですか。

講師:
例えば、自分中心の世界というものを考えますと、例えば私がお金持ちだとすると、このお金持ちの状態はこれからもずっと続いて欲しいと思うわけです。

そうすると、その世界を邪魔するようなものが出てくると、それに対しる非常に強い憎しみと苦しみ、様々な妬みというものを生み出します。

それが現実社会との中で、必ず食い違いをおこしますから、苦しみとなって現れてきます。

こういう自分中心の世界から苦しみが生まれてくるというのが、ブッダが考えた世界観です。

今言ったような話は、世界中の人に当てはまる話ではありません。

つまり心の中に苦しみを感じて生きている人生がそういう苦しみに満ちていることを自覚した人だけに役に立つ考え方です。

だから、ブッダの言葉は、「心の病院」と言われていて、そのような人を待っているわけです。
自分の方から出かけて行って、健康な人を引っ張り込むような病院というのはありません。

苦しんでいる人が来たときには、全員で引き受けて、真面目に治療する、そのような世界です。

今回の震災にしても、国全体が病気を抱えた重病人になったのではないかと思います。

皆んなが心の中に何かを抱えた苦しいわだかまりをもって生きている、その病気はなかなか消すことができないから、物理的には直すことはできないけれども、しかし病気になりながらも、その病気を抱えながらも、しっかりと生きていく道があるということで、それがブッダの教えになります。

アシスタント:
心の病院という言葉が印象的でしたね。
苦しんでいる人が拠り所にできる場所、それが真理のことばなんだというのが、印象的でした。

司会者:
ブッダというと、非常に禁欲的でものを断ち切らなきゃいけないというのがありましたし、出家というと身構えるようなところがありますけれども、ブッダのことを正直もっと知りたくなりました。

アシスタント:
身近なものになりましたね。

5.ここまでの感想

ブッダの教えは、社会全般の人に対する教えではなく、自分中心の世界があるという間違った考えにとらわれて、元々ない世界を求め苦しんでいることを自覚している人に対する、心の拠り所となる教えであることが分かりました。

ブッダは元々王子で、結婚し、子供もいて、何不自由なく暮らしていたのに、悟りを開くため、全てを捨ててしまいます。
ブッダにとって、悟りを開くことは、それだけ人生をかけて、解決しなければならない大きな問題だったことが伺えます。

ブッダは長い修行の後、目に見えない自我の存在に気付き、自我と外の世界との関係性について考え抜いた結果、苦しみの原因を解明し、その解決法を編み出すことができました。

心理学や西洋哲学が生まれる遥か昔の時代に、そのような思想を確立したブッダは、偉大な人物だと思いましたし、思想に説得力があるからこそ、今でも通用する教えを得られるのだと思いました。

学ぶことで救われることを知っていたブッダの教えは、それだけでも尊いものだと思いましたし、それだからこそ多くの人を救うことができ、生き残ることができたのだと思いました。

※NHKオンデマンド、U-NEXTなどの動画サイトで、ご覧いただけるNHK番組「100分de名著」を元に、学んだり、感じたりしたポイントをお伝えしています。


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