「100分de名著」で学ぶブッダ「真理のことば」 」2回目その2
1.前回のおさらい
私たちの人生は、苦しみに満ちている。
なぜなら私たちには煩悩があり、煩悩は苦しみを生み出すからである。
うらみは、煩悩のひとつであるが、うらみを起こさないように生きていけば、苦しみは減り、私たちは安楽に過ごすことができる。
出演者:
司会 --- 堀尾正明さん
アシスタント --- 瀧口友理奈さん
講師 --- 佐々木閑(しずか)さん
2.サンフランシスコ講和条約と仏教の教え
ナレーション:
日本と世界の国々で平和条約を結ぶために行われたサンフランシスコ講和会議。
領土や賠償に関して日本に厳しい条件を提示する国も少なくありませんでした。
こうした中、セイロン(現在のスリランカ)の代表として出席したジャヤワルデネは印象的な演説をします。
ジャヤワルデネは、戦争中に受けた日本軍による空襲などの被害を指摘した上で、こう語りました。
我が国は日本に対して賠償を求めようとは思いません。
なぜなら、我々はブッダの言葉を信じているからです。
憎しみは憎しみによっては止まず
ただ愛によってのみ止む
今の演説による言葉は、真理のことばの5番目の詩です。
「この世では
うらみがうらみによって
鎮まるということは
絶対にあり得ない
うらみは、うらみを
捨てることによって鎮まる
これは永遠の真理である」
司会者:
一個人ではなくて、国の代表者がこういうことを堂々と世界に向かってアピールできるというのは、器が大きいですよね。
講師:
ここで言います、「うらみを鎮める」というのは、いわゆる日本で言うところの「全部水に流してチャラにする」という意味とは全然違うんですね。
物事の対立に関しては勿論、その責任の所在も明らかにしないといけない、謝罪すべきことは謝罪する、反省すべきことは反省する、全てのきちんとした手続きが終わった上で、さらに自分の心の勝手な思いとして、相手を憎むということはやめましょう、それをするといつまでたってもお互いのうらみというものが消えることはない、あるいはそれが増幅していって、また次の争いを生み出す、そういうことを言っているんです。
司会者:
個人の人間同士なら分からなくもないんですが、国同士でいうと、今でも戦争が止まない地域もあるわけじゃないですか。
うらみがうらみを呼んで、次々に争いが起こっていくというケースがありますよね。
講師:
ですからうらみというのも煩悩のひとつなんですが、煩悩というのは元々人間の心の中に最初にあるものなんです。これは消せない。何もしなければ、そのまま煩悩のままにトラブルを起こし、苦しみを生み出していくんですね。
ブッダと言う人は、この煩悩を消すために一生懸命努力をしたわけです。
煩悩とは一体何だ、煩悩の正体とは何なのかと、じっとこころを見つめることで、見定めていったわけです。その結果現れてきたのが、うらみも勿論、煩悩のひとつで、執着もそうです。それから傲慢もそうです。
しかしその大元に実は、親分のような大元の煩悩があることに気づいたんです。
それは無明(むみょう)というものです。
3.無明とは
「たとえば
物惜みは恵む者の汚れ
悪行は、過去・現在・未来の
いかなる生まれにおいても汚れである
その汚れよりも
一掃汚れた汚れの極み
それが無明だ
比丘(びく)たちよ
その無明という
汚れを捨て去って
汚れのない者となれ」
インドという国を想定すると分かります。
良い行いの代表者が人に物をあげる布施なんです。
ですから、恵む者というのは、インド人にとって良いことをする当たり前のこと、それを物惜みのこころでしないというのは、悪いことです。そして、汚れというのは煩悩で、物惜みも煩悩だと言っています。
そのほかにもいろいろな事柄がいっぱいあるけれども、それは全部心の煩悩だ、しかし、いろいろな煩悩の中の極み、最大の煩悩は無明であると言っています。
明というのは知恵という意味です。
知恵とは前回もいいましたが、この世の有様を正しくみていく力のことで、無明とは、その力がないことです。
つまり、この世の有様を正しく見ることができない愚かさということです。
ですから、無明とは、おろかさの別名なんですね。
司会者:
無明について、もう少し分かりやすく説明していただけると嬉しいです。
講師:
たとえば、一般的な友達関係のような場合、友達付き合いしているのに、些細なことで喧嘩をしてしまう。本来なら些細なことなので、すぐに仲直りできるはずです。
ところが、私たちは勝手にいろいろなことを考えて、彼は本当は自分のことを嫌いだったんじゃないか、私のことよりもあっちの方の人が好きになって、私と縁を切ろうとしてるんじゃないか、ということをどんどん考えるわけです。
そうなると、意味のない事柄までも敵対行為のように思えてくるし、最終的にはあいつは敵だというような憎しみにつながっていく。
本来は全くなんでもない状態なのに自分が勝手に捻じ曲げて、心の葛藤を生み出して、苦しみにつながっていく、まさに自分自身が作っている人工的な不幸です。
無明というのはそのような不幸、苦しみの大元になるわけです。
4.ここまでの感想
ブッダは、自分の心と向き合い、苦しみの元凶となるものが、人が生まれながらにして持つ煩悩であることを見出し、さらにその大元となる無明を突き止めました。
人は生まれながらにして、自分中心の考え方をしているため、自分の周りで起きていることを正しく見ることができずに、自分が見たいように物事を見たり、自分が聞きたいように話を聞いてしまいます。
その原理を知らないと、自分の都合のいい解釈で世の中を捉えるようになり、現実とのギャップが起きたとき、苦しみに覆われた世界の中で暮らすようになってしまうと思いました。
ブッダの教えは、原因と結果が見事に成立した教えで説得力があります。
客観的な視点を持って行動するための指針となり、現代でも役立つ教えだと思いました。
※NHKオンデマンド、U-NEXTなどの動画サイトで、ご覧いただけるNHK番組「100分de名著」を元に、学んだり、感じたりしたポイントをお伝えしています。
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