「日本の仏教概説(6)」鎌倉時代(禅系仏教・日蓮宗の時代)
■禅宗
◇概要・歴史
・開祖は達磨。6世紀初めに中国へ赴く。
・多くの分派があり、その中で日本に伝わったのは臨済宗と曹洞宗である。それぞれ栄西と道元によって日本にもたらされた。
◇教え
・坐禅を組んで悟りを開いた釈迦を追体験することで自らも悟りの境地に至ろうとするもの。
・坐禅は雑念や邪念を追い払い一切は無であるという仏法の真理を実感でき、その境地に到達できる。
・禅の思想を4つの聖句で表現している。
①不立文字:悟りに言葉は役立たない。修行を通じて自覚すべき。
②教外別伝:既に悟りを開いた師が弟子を指導し追体験させる。
③直指人心:あれこれ考えず、ひたすら坐禅で心を見つめる。
④見性成仏:自分に備る清浄な本性(=仏性)に気づくことが、禅における悟り。
・禅の教えは言葉ではなく、「師が弟子と直接向き合い、師は生き様を教える。(面受嗣法)」「説教の場での問答」「日常生活に中の作務や炊事」などこれらを通じて師から弟子へ心から心へ伝えられるもの。(師資相承)
・経典はない。
■臨済宗(座禅[看話禅]の実践を通じて、内なる仏心を見出すこと)
◇概要・歴史
・宗祖は栄西。28歳で宋に渡る。わずか半年の滞在で天台山に上り天台宗の典籍を持ち帰り、帰国後も密教の研鑽に励んでいた。47歳で再び入宋。帰国時に暴風に合い船が引き戻される。再び天台山に上ったところ、虚庵懐敞(黄龍派8世)に出会い密教も禅も同じと諭され、臨済禅を学ぶ決意を固める。5年の修業を終え、当時の最新仏教(禅)を持ち帰り、九州に禅寺を建てて布教を始めた。その後、鎌倉へ下った栄西は2代将軍頼家や北条政子の帰依を受け、鎌倉幕府の庇護が約束された。その後京都に三教(天台教学、密教、禅)の道場になる建仁寺を開き、晩年に至るまで鎌倉と京都を往復した。
・宗祖は栄西とされているが、現臨済14派のうちで、栄西の教えを受け継いでいるのは建仁寺派のみ。その後中国から次々ともたらされのは楊岐派を源流とするものである。
・栄西の孫弟子の円爾弁円は禅(退耕行勇より)、密教(見西阿闍梨より)を学び、入宋後無準師範に学び、帰国後北条時頼の帰依を受け東福寺を開く。その後、蘭渓道隆や無学祖元の来日で、禅専修の臨済宗本来の寺院が建立され、室町時代を通じて朝廷・幕府の庇護を受け続けた。
・夢想疎石はあの曹源池庭園で有名な天龍寺を建て、足利尊氏・後醍醐天皇・北条高時らの帰依を受け、その後も円覚寺、恵林寺などを建立した。そしてこのころ宋に倣った五山制度(統制のための自社の格付け)が確立される。
【京都五山】
<別格>南禅寺
<第1>天龍寺(@嵯峨嵐山)
<第2>相国寺(@烏丸今出川)
<第3>建仁寺(@祇園南側)
<第4>東福寺(@東山九条)
<第5>万寿寺(@東福寺北側)
【鎌倉五山】
<第1>建長寺
<第2>円覚寺
<第3>寿福寺
<第4>浄智寺
<第5>浄妙寺
・五山を中心に都市部では貴族・上級武士層に広まり、一休宗純や太原雪斎などを輩出。鹿苑寺、慈照寺も臨済宗の寺である。
・多様な派に分かれていて、現在でも14派ある。
①建仁寺派(1202年、開基:源頼家、 開山:栄西)
②東福寺派(1236年、開基:九条道家、 開山:円爾弁円)
③佛通寺派(1394年、開基:小早川春平公、 開山:愚中周及@三原市)
④建長寺派(1253年、開基:北条時頼、 開山:蘭渓道隆)
⑤円覚寺派(1282年、開基:北条時宗、 開山:無学祖元@鎌倉)
⑥南禅寺派(1291年、開基:亀山法皇、 開山:無関普門)
⑦国泰寺派(1296年、開基:慈雲妙意@高岡)
⑧大徳寺派(1325年、開基:赤松則村 開山:宗峰妙超)
⑨妙心寺派(1342年、開基:花園天皇、 開山:関山慧玄)
⑩天龍寺派(1345年、開基:足利尊氏、 開山:夢窓疎石)
⑪永源寺派(1361年、開基:近江守護佐々木氏頼、開山:寂室元光@近江)
⑫向嶽寺派(1380年、開基:武田信成、 開山:抜隊得勝@甲州市)
⑬相国寺派(1382年、開基:足利義満、 開山:夢想疎石)
⑭方広寺派(1595年、開基:豊臣秀吉、 開山:古渓宗陳@浜松)
⑮黄檗宗 (1654年、開山:隠元隆琦@黄檗山萬福寺)
◇教え
・弟子は師の言葉・行動を手本にし、それらを体得することに日々努めなければならない。
・「殺仏殺祖」:
仏や祖師について自分勝手なイメージで崇拝するなという意味。悟りや仏を自分の外部の存在と捉えるのは錯覚。禅の実践を通じて、何ものにもとらわれない主体性のある心を涵養し、内なる仏心を見出すこと。
・「公案禅」:
白隠が始めたもの。師が問題を出し、弟子が回答する禅の修行形式、つまり禅問答。
①「古則公案」は典籍に残された古人の言行を身体全体で体得するもの。坐禅を組みながら回答を考え出す。回答を得たならば師を訪れて示し、師が納得するまで繰り返す。
②現成公案は現実の世界をそのまま公案に見立てたもの。
私たち各人が今ここに置かれた状況というのはそれぞれ仏の現れとも言うべき絶対の真理(=「現成」)なのであるから、その境遇の中で、高い志を持って学問なり仕事なり(これらに限るものではありません)に打ち込み、一生懸命やり抜くことが、すなわち悟りである。
■曹洞宗(悟りや功徳を求めず、ひたすら坐禅[黙照禅]に打ち込み仏性を見出すこと)
◇概要・歴史
・宗祖は道元。14歳で比叡山で仏門に入り、栄西の高弟明全を師として禅を学び始め、1223年明全とともに入宋。天童山景徳寺の如浄禅師と巡り合う。如浄の教え(曹洞宗)は「坐禅することで悟りを得られる」というもの。ある日道元の隣で坐禅をしていた僧が居眠りをし、如浄が「坐禅は一切の執着を捨てるものだ」と大喝するのを見て「身心脱落」の境地に達した。2年後帰国し、建仁寺に身を寄せ様々な書を著し、37歳で禅道場の興聖寺を建立。禅が流行の兆しを見せるにつれ、道元は嫉視の対象になり、1244年越前の地頭波多野義重が道元を越前に招き難を逃れさせた。その後山中に大佛寺(後の永平寺)を開創、1253年に没するまで弟子の育成に励んだ。
・道元は宗派に名を冠することを否定したので、曹洞宗の名は第四世代の瑩山紹瑾(えいざんしょうきん)の時代から始まる。第三世代の義介と義演の間に争いが起こり、義介が永平寺を追い出される。その後義演までもが後援者(波多野氏)の支持を失い永平寺は衰退する。
・義介の弟子である瑩山紹瑾は僧俗問わず戒を授け、仏弟子とすることで広く民衆に曹洞宗を浸透させ、一方で加持祈祷などの密教的要素を取り込む。その後1321年能登に總持寺を創建、後醍醐天皇の帰依を受け、「日本曹洞賜紫出世之道場」と定められた。
・瑩山の弟子峨山のその弟子達が南北朝~戦国時代に全国に教線を拡大、全国に339カ所に輪番地と呼ぶ寺を成立させた。臨済宗は権力者と結びついた一方、曹洞宗は民衆に広まった(土俗信仰、葬祭などと結びついた)
・永平寺は16世紀初頭から復興が始まった。一方總持寺との対立も始まり、両寺間で盟約が結ばれる1872年まで続くことになった。
・總持寺@能登は1898年に火災で焼失、1911年に現在の鶴見へ移転。旧地は總持寺祖院と改称された。
◇教え
・悟りや功徳を求めず、ひたすら坐禅に打ち込むことで仏性を見出す(只管打座)。悟りや功徳を求めることは打算である。逆もしかりで、悟り無用も逆に執着なってしまう。身心脱落状態で目的を持たず坐禅に励むのが正しい姿である。
・坐禅を通じて自己と宇宙が一体となる姿こそが仏である(即身是仏)。
・臨済宗の看話禅(かんなぜん:公案問答を繰り返す)に対し、曹洞宗は黙照禅(ひたすら黙って壁に向かい坐禅をする。)と呼ばれる。これが両宗の主な違いである。
・起床・食事・入浴など日常の作務を含む生活の全てが修行で、修行と悟りは一体である(修証一如)
■黄檗宗(坐禅と念仏で自分を明らかにし、自分の仏性を磨き、自分の中の阿弥陀に気づくべし)
◇概要・歴史
・宗祖は隠元。1592年福建省生まれ。29歳で萬福寺にて出家。費隠道容の下で禅を探求。34歳で悟りを開き、43歳で臨済の正法を継いで、46歳で萬福寺の住職になった。基本的には臨済宗の一派である。・江戸幕府の寺請制度によって在留中国人は自分たちの寺を建立する必要があり、その要望を受けて隠元が渡日を決意した。
・日本では徳川家綱・後水尾天皇の帰依を受け、京都宇治に黄檗山萬福寺を創建、住職となって浄土教と密教を加えた新しい禅を伝えた。日本に滞在すること20年、82歳で生涯を終えた。
・栄西のもたらした臨済宗が日本で独自の進化を遂げたのと同様、中国で臨済宗から進化したものの1つで、日本に最後に伝来した禅宗。浄土教・密教も包括し、日本の臨済宗とは異なる。当初は臨済宗黄檗派と呼ばれていたが、明治になって黄檗宗として独立。萬福寺には中国僧が住持、読経も中国語で行われた。後水尾天皇、徳川将軍家、諸大名の帰依を受け興隆、2世木庵の時代に瑞聖寺@東京白金を建立、宗勢を拡大した。
◇教え
・臨済宗の流れを汲んではいるが、臨済宗とも曹洞宗とも異なる。浄土教・念仏・真言・道教を融合した浄禅一致という特徴を持つ。
・隠元は「一心浄土の法門、弥陀の整号を示す」と述べていて、「本来我々が備えている仏性を坐禅と念仏で見出し、心の中で浄土を明らかにし(唯心浄土)、その中の阿弥陀に気づくべし」という意味であり、あるいは「自分を明らかにして、自分の仏性を磨いて、修行に励みなさい」という意味でもある。念仏と言っても浄土教のような他力本願ではない。
■日蓮宗(法華経が真理であり、「南無妙法蓮華経」を唱えることで救われる)
◇概要・歴史
・何かとお騒がせな日蓮宗の宗祖はその名の通り日蓮。12歳で安房清澄寺に入門し、その後比叡山へ。更にその後10年以上、真の仏道を追い続け、比叡山を拠点に京都・奈良の大寺、高野山、南部仏教、密教、浄土教など多くの寺の門を叩き、得たその答えが「法華経」にあると確信した。そして1253年に郷里の清澄寺に戻り、日蓮宗を開宗した。
・念仏宗の最盛期で、法華経がないがしろにされていると感じた日蓮は鎌倉へ出て、時の幕府の実力者である北条時頼に「浄土宗は邪道であり、法華経を重んじなければ国内が乱れ他国から侵略される」と苛烈な主張を行った。多くの念仏者から激しい反発を受け、4度の法難に巻き込まれている。傍からは口難とも言えるが。
①松葉ヶ谷の法難(1260)
北条時頼に「立正安国論」を献上し改宗を迫ったら、念仏信徒に草案を焼かれる
②伊豆の法難(1261)
鎌倉で布教を再開したら、捉えられ伊豆へ配流される。
③小松原の法難(1264)
故郷で母親を見舞う際に念仏信徒に襲われ、弟が死亡、本人も眉間にケガ。
④龍口の法難(1271)
鎌倉の片瀬龍口で処刑される直前に謎の光が周りを包んで中止。佐渡へ配流。
・「南無妙法蓮華経」というお題目に法華経の教えが全体に示されているとし、中心に題目を大書きして周囲に神仏の名を配した文字による曼荼羅を制作して信徒に与えた。
・61歳の時、池上で没・日蓮は釈迦の教えが法華経に集約されていると見い出して日蓮宗を開宗。元々は法華宗と呼ばれていて、日蓮宗という公称は1876年から。死期を悟った日蓮は6弟子(=六老僧)に後事を託した。六老僧により法脈が全国に広まる一方、例によって、法華経の解釈をめぐって分脈が始まっていた。
【六老僧】
①日昭
②日朗
③日興
④日向
⑤日頂
⑥日持
・六老僧は日蓮の墓所として久遠寺を建立、輪番で墓守をすることにしていたが、だんだん久遠寺へ戻る機会が減り寺が荒廃してしまった。その後日興と門弟が管理にあたったが、地頭の波木井氏と対立して下山。次の日向を波木井氏は認めたので、日興は大石寺(@富士宮)を建立し袂を分かった。→富士門流が形成
・富士門流以外に、浜門流(@鎌倉)、日朗門流(@池上本門寺)、身延門流(@久遠寺)、中山門流(中山法華経寺@千葉市川市)の5派が誕生、これらを源流にした更に多くの分派に分かれた。
・16世紀初頭には21ヵ所の本山を擁するようになった。
・戦国時代は、比叡山勢力に敗れ(天文法華の乱)て16本山に減少、安土宗論で浄土宗に敗北し折伏の布教姿勢が禁止され、勢力が減退。
・立正佼成会、創価学会などの源流にもなった。
・現在日蓮宗は久遠寺を総本山として10前後の派を持つ。また日蓮宗富士派、法華宗、本化政宗としての分派もある。
【日蓮宗富士派】
①日蓮正宗(派祖:日興、本山:大石寺@富士宮)
②日蓮本宗(派祖:日尊、本山:要法寺@京都)
【法華宗】
③法華宗真門流(派祖:日真、本山:本隆寺@京都)
④本門仏立宗(派祖:長松清風、本山:宥清寺@京都)
⑤本門法華宗(派祖:日隆、本山:妙蓮寺@京都)
⑥法華宗本門流(派祖:日隆、本山:本能寺,本興寺@尼崎,光長寺@沼津,鷲山寺@茂原)
⑦法華宗陣門流(派祖:日陣、本山:本成寺@越後三条)
⑧顕本法華宗(派祖:日什、本山:妙満寺@京都)
【本化正宗】
⑨不受不施日蓮講門宗(派祖:日奥、本山:本覚寺@岡山)
⑩日蓮宗不受不施派(派祖:日奥、祖山:妙覚寺@岡山)
◇教え
・人は皆仏性を持つ。それを導くのは法華経の功徳のすべてが内包された「南無妙法蓮華経」の7文字である。
・分かりやすく説明する為に、日蓮は五義と三大秘宝を示した。
・五義は法華経が全てである5つの理由で、理由になってない気もするが、
①教:仏教があらゆる教えの中で最高で、法華経はその中で最高。法華経以外は衆生の性質に合わせて説かれた方便に過ぎない。
②機:末法の世の人を救うのは法華経しかない。
③時:末法の時、仏教の教えが形骸化してきたので今が法華経浸透の時期。
④国:インドの東北の日本は法華経に相応しい国である。
⑤序:密教や念仏より法華経は優れている。次は法華経の番である。
・三大秘宝は、
①本門の戒壇:本門の本尊を安置し、南無妙法蓮華経を称えればどこでも本門の戒壇(題目と衆生が感応する場所)
②本門の題目:南無妙法蓮華経と称えることで、南無は「帰依する」、妙法蓮華教は「経典の題目」で、題目に仏の全ての功徳が内包されていると説く。
③本門の本尊:久遠実成の釈迦が説く救いの世界を著わした曼荼羅。
本門とは法華経28品ほんのうち、後半の従地涌出品から普賢菩薩勧発品までの14品で、それ以外は迹門と呼ばれる。
久遠実成とは法華経の教えにおいて、釈迦がこの世に出現して,菩提樹の下で成仏したとするのは,仮に示された現象にすぎず,本当は釈迦は永遠の過去から仏としての教化を行なってきたのだとする説。つまり釈迦は30歳で悟りを開いたのではなく永遠の過去から仏(悟りを開いた者)となっていたが、 輪廻転生を繰り返した後についに釈迦として誕生して悟りを開くという一連の姿を敢えて示したという考え方。
以上で、13宗の解説は終了します。