国際法は「極道(マフィア)の掟」と同じ
少し話が変わりますが、最近の報道や専門家のご発言に関して、国際法初心者の私ですら「エッ?」と思うものが相当あるので、一度国際法に関する私のスタンスをご紹介しておいた方が良いかなと思ったので整理してみました。ここで言う国際法は近代欧州で発達し、現在は国連加盟国で認識されているもののことです。(それ以外のものは知らないですが(^^;))
(1) 国際法の始まり:
・欧州で何故発達したかと言うと、欧州の少々特殊な歴史事情があります。
・歴史の授業で習ったように、欧州ではいろいろな「国」が興亡していますが、ほとんどはキリスト教という共通宗教(=文化、行動様式、価値観)を持っており、ローカル言語はあったようですが貴族層はラテン語という共通言語を持っていました。また国をまたいだ結婚も頻繁で、ある国の貴族はよその国の貴族と結婚することはあっても、その国の平民と結婚することなどありえなかったようです。そんな「国」は日本の江戸時代の「藩」のイメージの方が当てはまるような気がします。で、欧州全体が日本って感じでしょうか。
※イギリスの名誉革命を学校で習った時、イギリスの国王にオランダ提督が迎えらえたということに驚きました。他にあまり驚いた人はいなかったようですが(^^;)
・その頃の欧州の王と貴族の関係は、王(封主)は領主(封臣)に土地を与え、領主は王に忠誠を誓う。その内容は「契約」によるものでした。日本のように全人的忠誠義務を負うわけではない。矛盾やコンフリクトが発生しなければ複数の封王に仕えることも可能。つまり、欧州の忠臣は「契約に忠実」であればよく、日本の忠臣は「主君に全人的に忠実」である必要があります。それ以外の人は基本的に農奴で彼らは土地に付属する奴隷に近い存在。
・したがって、王には国境も国民もいないし、中世欧州人には「国民」意識は当然なかった。欧州では王や貴族がバラバラに群雄割拠。それぞれは国のようだが国とは言えず、「国(国内法)はなかったか、国際社会(国際法)はあった」というイメージ。という環境の中、国際法(普遍性については議論がありますが)らしきものが育ってきた。
(2) 国際法とは(教科書的解説)
まずは少々古いですが定番の教科書「新版国際法概論(上):高野雄一」を元に説明します。少々堅苦しいですが、しばらくお付き合い願います。
1)国際法は「国家間の関係を規律し、国家間の『合意』に基づいて成立する」
→但、組織的統一的に国際社会を直接的・全体的に規律するものではなく、合意した範囲の国で成立する。
→国際社会を代表する立法機関はいない。
→原則個人を規律するものではない。
→強行法規(=当事者間の合意を問わず適用される規定)は存在しない。
→条約は締結国間でしか有効ではない。
2)「合意」には明示(文書による条約)と黙示(国際慣習)があり、これらが国際法の法源(これを元に判決を下せるもの)である。
→そして大部分は「慣習法」。(国内法のような成文法主義ではない)
→一般的に慣習法は成立時期がはっきりせず、内容も確定的ではない。
3)「国家」とは「他の国家や地上のいかなる存在にも制約されない、最高の意志の主体、つまり主権国家のこと。主権国家とは国際法上の権利義務を果たせる地位を持ち、その地位が他国との関係で制限されない国家」のことである。
→世界は多数の「平等」な主権国家によって構成されている
→他国との関係で主権が制限される国家は「半主権国」「半独立国」と呼ばれる。(かつての日本もこんな扱い)
→主権国家は他の主権国家に責任が取れなければならない。そうでない国家は相手にされない。相手にされないとひどい目に遭う。
→国際団体(国家間の条約等で設立された組織)も制限的だが規律する。
4)法を執行する権力も組織的・統一的には行われない。国際紛争は、基本的には当事国間で。
→基本は自力救済(外交交渉→謝罪・処罰・賠償、実力による復仇・戦争)
→第三者の斡旋・仲介・調停はあるが、法的拘束力は持たない
→国際裁判は当事国を法的に拘束するが、従わない国に対するそれ以上の執行はできない
(3) 国際法のもう少し簡単な解説(少々乱暴ですがご容赦ください)
1)慣習法とは
・国内法は基本は成文法で憲法を頂点に階層構造となっていて、問題があれば頂点の憲法にまで遡れる。そして司法組織がその実行性を担保する仕組みがある。
・一方の慣習法は不文法である。つまり法典にはない。六法全書にはないが社会に存在する一定の慣行のうち、その社会の成員によって法的拘束力があるものと認識(法と確信)されているもの。条文があっても、慣習として確立していなければ効力を発揮しない。逆もあり。
・国際法の理解には国際間にどういう慣行があったのかを知る必要がある。それは日々変わる。絶えず追っかけておく必要があり、事実を掘り下げていく必要がある。つまり、人によって理解が異なる可能性が多々あるので、議論となるが、決め手は「何時・誰と誰が・どうした」という事例になる。従って、新たな「法の発見」や「事実の進展」で変わっていくが、結局は成員間の合意が前提になる。
・最も問題なのは複雑で奥深いので切り取ってプロパガンダに使われやすく、中途半端に国際法といって人民を惑わし、分断する手段になる。(この投稿は注意してますが、100%の自信はない(^^;))これはテレビの「専門家」がよく使う手。まず眉に唾をつけた方が良い。
・ちなみに憲法も実質的には慣習法である。破られても違憲立法審査に相当するものもない。なので、憲法は簡単に破られる。
・いくら屁理屈をこねても自衛隊はどこからみても戦力だし、地鎮祭や神社参拝は宗教的活動です。自衛隊は政府の最も重要なミッションである国家安全保障上「欠くべからざる」ものだし、いくら政府でも何らかの価値が絡む常識的な活動(国の為に命を捧げて下さった御霊に国民の代表が感謝するのは人間として常識)から宗教的なものを切り離すのは「不可能」である。それが「公人ですか私人ですか」みたいなアホな議論(どうやって分けるねん?)になってしまうのは慣習法としての弱みが見える。国会は小学生の学級会みたいに見える。
2)国際法は合意法で、国内法は強制法
国内法が「強制法」という意味は、主権を持つ統一政府に遵守が強制されるということ。不法な行為は法執行機関が取り締まる。
国際法が「合意法」というのは、そんな強制力や罰則はないということ。
つまり国際法では、(多分、ここが最重要!)
・破った国に守らせるためには、実力制裁しかない。
・破った国をそのまま放置したら、その法は無効になる。つまり消える。
・守らない奴がいたら、必ずしもそいつが悪いとは言えないが、少なくとも相手が守らなければ自分も守る必要はないということ。
だから「極道(マフィア)の掟」と同じと思えばいい。似てるでしょ?その極道の構成員は、後で詳述しますが、まず国連常任理事国の5つ(わかりやすいように「列強」と呼びます)、そしてそれ以外の核保有国、残りの加盟国はゴマメです。次の投稿で触れますが、日本は更に特殊な位置にいます。この世界は究極的にはマフィアの世界と言い切っていいと思います。
(例)(かの有名な)不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)
・これは「当事国が国際紛争解決のために戦争に訴えることを非とし,国家の政策の手段としての戦争を放棄することを宣言するとともに,国際紛争を平和的に解決すべきこと」に合意したとはいうものの、英米が「『自衛』戦争までは禁止できない」「自国外でも『死活的利害地域』では自衛権を行使する」と留保をつけたので、この留保はもちろん全員に適用される。
・ここでの自衛や死活的利害地域の定義は「自国で判断」して良い。なら「何でもあり」にならざるを得ない。
・かと言って、列強に話を通さず内緒で勝手に判断すると「馬鹿野郎!身の程を知れ!」と叱られる。弱小マフィアは弱い。
・こんな風に「自衛」「死活的利害地域」に主観的な定義を残すと、結局は紛争になる(これが列強の狙いかもしれないが)
・満州は日本の「死活的利害地域」だったと主張は出来たはず。事実そうだし、日本は当時は列強の末席にいたので。
・いずれにしても「お前(不戦条約)は事実上既に死んでいる」
3)国際法上の用語は特別の意味がある.(例:「侵攻・侵略(aggression)」)
・Aggressionには「残虐さ」はないので「侵攻」の方がぴったりくる。
・先制攻撃すれば何でも侵攻という訳ではない。「挑発もなしに先制攻撃をすること」が侵攻。つまり「酷くいじめられたら殴り返しても良い」のが国際法。でも相手を見極める必要はあります。倍返しされます(^^;)「挑発」の定義も当事者間で決めるので、何をか言わんや。
(例)満州事変は支那からの度重なる挑発(3千件以上記録されている)があった。真珠湾攻撃はアメリカの挑発があった。烏露戦争はどうだろう?
・「自作自演」でも侵攻にはならない。挑発に対する自力救済なら。
(例)柳条湖事件
支那人による日本人(適法に住んでいる)への虐殺が頻発。中華民国(蒋介石、張学良)に言っても収まらない。仕方なく、「自力救済」を発動しただけ。(国内法ではダメでも、国際法ではOK)
(例)アメリカなんて自作自演だらけ
アラモ砦、メーン号爆破、トンキン湾事件、ルシタニア号事件、真珠湾攻撃、911(ん?)
4)国際法の背景には自然法がある。
・自然法とは何か? 国際法の父と呼ばれるグロチウスは「民族や時代に関係なくすべての人間に通用する普遍的な法律」を想定しているが、具体的に何が自然法かと言うと、正直言って国によってマチマチでしょう。
・アメリカの解釈は「人権問題では内政干渉して良い。」「資本主義は自然法の要請である。」「自国に経済的不利益がある場合の改善要求は干渉ではない。」とまあ控えめに見ても手前みそというか、何でもありです。この辺りは列強のエゴが見えていて、結局のところ世界は力勝負の強い者勝ちなのが現実でしょうね。
(4)最後に、ビスマルクから伊藤博文や大久保利通への直言をご紹介
「いわゆる公法(国際公法)というのは、列強の権利を保全する不変の道とはいうものの、大国が利を争う場合、もし自国に利ありとみれば公法に固執するけれども、いったん不利となれば、一転、兵力をもってするのである。だから、(大国視点では)公法はつねにこれを守らなければならないというものではないのだ。」
「これに反して、小国は孜々として外交の辞令と公理とを省顧し、決してその枠を越えるようなことはない。そして、自主の権を保とうと努めるのだが、大国からの『黒を白といいくるめや、相手を侮辱したりする政略』にあえば、ほとんど自主の権を保持することはできないのがつねなのだ。」
「即ち、小国がその自主の権利を守ろうとすれば、その実力を培う以外に方法はない」
<続く>