2章・8つの転換でつながる行動力 ▼2・他人の評価は他人の価値観
あなたは人の評価が気になりますか?
私は、人にどう思われているか?全く気にならないか?といったら
ウソになりますが、以前よりは大分受け止められるようになってきました。
年齢を重ねていくなかで、人との関わりから様々な評価をいただきました。振り返ると、とてつもなく落ち込んだ時は、「さぁこれから!」と言うときにうまくいかなかったり、、、どこか自分で過剰評価をしていたり、相手に対して勝手に期待をして、自己嫌悪に陥ることもありました。
例えば「この人はこういう方」という勝手な思い込みから、自分への評価を期待していなかった時、、、、逆にとても高く評価してくれ、人事異動で推薦してくれたり、、、^^これはちなみに最初に勤めた会社の上司です(笑)
これには、とても驚きましたし、自分が人を見る目がないことも反省したものです。その逆もありました。これはショックな勘違いです。その時に感じたのは、人の心はそう簡単に読めないですし、上辺だけのつきあいだったこともわかり、コミュニケーションの難しさを感じた出来事の一つです。
そして、子どもに共有していることの一つは、「自分が選んだことに対して、誰が何といおうと自信を持つこと」「恥ずかしいと思う必要はないし、自分の人生だから自分で考えること」「そして、からかわれたり、いじわるなことを言われたときは、私がいいと思ったから」とはっきりと伝えることで、それ以上相手は諦めて言ってこないはずだと伝えています。時には耳を傾けて人の意見を聴く素直な心を持つことは必要なことだと思っていますが、自分の意見や考えを持つことは大切ですね!
なぜなら、私が小学4年生の頃に、友達の意見に振り回された経験から自分が自分らしくいられなかった時期があったことからです。人に合わせることで嫌われなくて済むとか、、、自分の個性を出さずにいることが面倒なことにならないこともわかっていた気がします。何に恐怖を持っていたのか?それはいじめが流行っていた頃、自分を出すのが怖かったことも覚えています。でも、なるべく目ただないように気を付けていてもやっぱり目立ってしまうこともあり(;'∀')、それは自分の個性が強いことも自覚していた気がします。ww
本当は、自分の個性を自由に表現することが好き!「やりたいことをやる」
「自分がおもったことを発言してみる」そう在りたいと思っていたし、それがとても生きやすいことだということも自覚していた気がします。でもそれがうまく表現できないことで子どもながらに、無理をしていたんですね。
でもなぜ、そんな思考のクセが出たのか?これは、父と母との関係性の影響もあったと思います。母は父に言いたいことを全て言えない、父は思い通りに母は我慢、、、そんな状況を母はいつも愚痴をこぼしていました。そのため、私はいい意味でそんな状況を反面教師として「自分だったら」という意見を自然と持っていたような気がします。
そんな過去の状況から、自分を持つことに対してとても強く思っていたこともあって、人の価値観、自分の価値観が合わないと、そこで『その人とはうまくいかない』と思い込んでいたことも20代後半から30代まで強くありました。
しかしながら、ただ、深くはつきあわないだけで、視野は広く持ちたかったので広く浅くの付き合いが多かった様に思います。ずるいですよね。。。
この浅い付き合いで終わらせていた部分は、分かり合う必要がないとか、分かり合えないからだめだという、まさに二元論で判断していたことから、とてももったいないつきあい方をしていたこともわかります。
そもそも、価値観の合う人と出会うことが何より珍しく貴重なわけです。
生きてきた環境が違えば、出会った人も違う、色々な方との出会いから
自分の考えだって作られてきたんです。
考え方生き方が自分とは違い、新鮮だと思ったことや、とても魅力的だと思うことで自分を変化してきたことも思い出されます。
逆に海外に渡航した経験から日本人の価値観の良さもわかった20代でした!
他人の評価は、他人の価値観だけど、耳を傾けることは情報を得ることにもつながるので、一概に自分の意見を曲げない!と思うことが正しいわけでもなく、これまでの経験や信念があればこその価値観だと思っています。視野を広げるためには柔軟な気持ちで人の話に耳を傾けること、これが自分を進化させることだと40代になって身に染みています。
あなたは人の評価が気になりますか?そしてあなたは、家族であっても
異なる価値観の場合、どの様に向き合っていますか?
私も家族の中であっても、価値観の違いを楽しめるような人間性で在りたいと思っています。特に子どもに対しては日々チャレンジ中です(笑)