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言葉がわからない自由が、心の平和につながった話

私は海外だと、雑踏の中に居ても
心の静寂を感じられます。

それは

私の英語力が中1レベルだから。。。

英語はかなり意識しないと聞き取れないし
多民族国家であるマレーシアでは
英語、マレー語、中国語、タミル語、なんかわからん現地語(?)、たまに中東っぽい語(??)が飛び交っていて

ローカルの会話は、意識してもしなくても
意味がわからない。。

どんな意味なのか頭が理解できないので
私にとってそれは、音でしかありません。

なので、その響きが
心地よいのか、不快なのか
感覚的に認識するクセがついてきました。

これが習慣になることで
私の内側に驚くほど
ポジティブな変化がゆっくりと
しっかり根付くようになったと思います。

ちなみに、日本にいる時は

お笑い番組が好きで
テレビをつけっぱなしにしていたり
会社で多くの人が話してる空間に長くいたり

今思えば、
無意識でも意味のわかる言葉を耳から拾って
いろいろな人の念や
作為的に注意を引くように計算された音が
積もりに積もって溜まっていた気がします。

いつも頭の中では
思考がグルグルするようになって
繊細な響きに気付けない。

しかし

ロックダウンで日本へ帰れず
マレーシアに友達もいなくて
ほとんど誰とも話さない生活を足掛け2年ぐらい続けたおかげで
私の頭の中がすっかり静かになりました。

状況的には日本に居るよりも
緊迫感があったはずですが
さほど不安もなく、
以前より随分と芯が太くなったような。。

これなら日本に帰っても大丈夫かな
と思ったのですけど

3年振りに日本へ帰った第一印象は
「あー、うるさい!」

それは意識しなくとも、
意味が全てわかるから。

意味がわかるというのは
言葉が表現する内容に注意が向いて
その響きが現す真の意図を
見えにくくします。

言葉では良いこと言ってる風でも
内心は違うというのも
意味を捉えるより先に
音の響きを感じられるようになると
直感で気持ち悪い感覚がしたり。。

またネガティブで強い感情表現には
注意が向きやすいです。
耳が敏感になっている分、噂話や悪口は
相手の感情と共に勝手に
ねじ込まれてくるような感じでした。

でも

インフルエンザのようなもので
ネガティブはエネルギーが感染していくから
その人本来のものじゃないかもです。

例えば、
愚痴を言っている人たちの話が耳障りで
それをその時に我慢したから
この嫌な感情を
誰かと共有しないと発散できないとか。

日本人は我慢して周りに合わせる訓練を長く受けているから、不快なものからいきなり離れるのではなく、慣れたり折り合いをつけたりしようとしますよね。
直接相手に言って、不快な想いをさせるのを避けようとも思いやすい。

すごく優しくて真面目で繊細で、
自分よりも他者を大切にする人が私のまわりにもたくさんいます。

だからこそ、距離を置くより、自分が我慢すればいいと、不快感を飼いならそうとすることが、自分自身をわからなくさせるのかもしれないな。。。

私のように、こじらせすぎた人でなければ、
スマホを見ずに、公園や海岸のベンチで30分黙って座っているだけでもいい。外から来る刺激から距離を置いて、静かな空間にいる習慣だけでも自分に戻れるように思います。

ありがとう。

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