はじまりの余韻
アウフタクトという音楽用語がある。弱拍から始まる音楽、つまりぴったり頭から始まらない音楽、ということになる。
作曲家の服部克久さんが亡くなった。
たまたま頭の中を流れた服部さんの曲は二つともアウフタクトで始まっていた。
楽譜は覚えていないけれど、なんとなく鍵盤を触ってみる。このアウフタクトが好きだった。
アウフタクトは、前触れである。
あの、とか、えーっと、とか、そんなふんわりしたものではない。
例えば、好きです、と言いたいなら、
ずっと前から、とか
今まで出会った人の中で一番、とか
言葉にできないくらい、とか
それくらいの威力を持つと私は信じている。
演奏家はアウフタクトには命をかけていると思う。
だからなのか、アウフタクトばかりがふわっと頭をよぎることが多い。
たった一つの音に魂が込められている。
音楽は時間の芸術だ。
それは単に音の羅列ではなく、物語のようでもあり、人生そのものだと思う。
始まりの余韻ばかりが残っていて、私はなかなか続きを弾くことができない。
何回弾いても違う気がする。
うまく弾けない。
もっと違う始まり方があるような気がする。
ため息をついた。
違う。
私はいつまでもこの始まりの予感の中に身を置いていたいのかもしれない。
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