過去生の物語(3)
舞台は日本。かわいいお坊さん見習いの物語。
ぼくが、このおてらにきて、もうすぐいちねんになるとおもいます。さいしょ、おとうと、おかあとわかれて、ひとりでこのおてらにいるのがさびしてく、ないてばかりいました。
おてらはひろいから、よるはどのへやもくらいし、くらいかわやがこわくて、そそうをしてしまうこともありました。
かんさんは、ぼくがこわがりなので、いつもいっしょにいてくれます。かわやにはいるときもいっしょにきてくれて、ようをたすときも、とをあけたままでいいといってくれました。
だから、ぼくはようをたすときは、かんさんのかおをみながらしました。かんさんはわらいました。
おとうとおかあとはなれて、こころぼそいか、と、かんさんはききました。ぼくはこたえませんでした。
すると、かんさんは、おてらはすみずみまでほとけさまがいらっしゃるので、こわいことはなにもない、あんしんしてよいのだといいました。
おてらにいるいちばんえらいおぼうさんには、あったことがありません。ぼくがもっとたくおつとめをしたら、あえるかもしれないそうです。
かんさんが、そういっていました。
ぼくのしごとはたくさんあります。おてらのなかは、かんさんたちがきよめます。ぼくはおてらのそとをきよめます。まだせがたりないので、ほうきがうまくつかえません。だからてで、おちている“は”や“えだ”を、ひろうのです。
ちかくのひとは、ぼくに「こぼうずさん、ごくろうさまです」といいます。
ざぶとんをはこんだり、ろうかをふいたりもします。ぼくははたらきものなので、みんなほめてくれます。
おきょうもよみます。さいしょはみんなとすわっているだけでした。でもいまは、みんなのまねをしています。
さいしょ、おてらがひろくてどこにいるかわからなくなることがありました。ぐるぐるまわるので、みぎからきたのか、ひだりからきたのかも、わからなくなることもありました。
かんさんは、そういうときはうごきまわらずに、もときたところへ、いちどもどるのだとおしえてくれました。
おてらのなかだけではなくて、どんなものごとも、わからなくなったら、もといたところにもどるのがいちばんよいそうです。
はじめにもどれば、おのずと、おのれのいるいちがわかるものといっていました。
はじめはかんじんなのです。
ぼくはいつもどこかへいくときは、いちばんおおきな、おどうからはじめることにしました。こまったときは、おおきなおどうにもどればいいのです。
そのことをかんさんにいうと、かんさんは、あなたはかしこいですねとほめてくれました。
ぼくはおてらがたのしくなりました。
おとうにも、おかあにも、あいたいけれど、おてらもたのしいです。ぼくがこうしていることを、おとうと、おかあにしらせてあげたいとおもいました。
***END***
この物語はお寺のお話なだけに、登場人物がいろいろ含蓄のあることを言うのですが、大きなテーマは“前向きな力”です。
主人公の小さい彼は、両親と別れてお寺のお坊さんの見習いになります。最初は泣いていることも多いのですが、置かれた環境の中で、人と関わったり、自分なりに工夫したりします。その努力を周りも認めてくれ、彼を温かく見守っていきます。
彼は持ち前の前向きな力で、自分が快適に楽しく過ごす方法を見つけていくのです。