心の学び
最近とても学びがあった。
私のフィリピンに住む友人の命を救うため、手術の代金を立て替えた。このお金は帰ってこないと分かっていたけれど、自分たちの将来の積み立てよりも、人の命を守る事を選択するべきだと思った。
そして、今助けられてもこれからはどうか。
これから私が彼女の家族を支えていく事はできない。もう出してやれるお金は無い。
とても悩んだけど、それはハッキリと彼女の旦那に伝えた。
私にお金があったら!と何度も思ったけど、そのうちにお金の問題では無いな。心だなって思った。
フィリピンで生活してる人は大家族が多いけど、みんながみんな働くわけじゃない。
1人か2人くらいが必死に働いてて、あとは遊んでる。アリとキリギリス。そんな感じだ。
私の友人はアリの方だった。
家族を助けるために、周りの人を助けるために毎日必死で働いた。親戚が病気になったら皆彼女に頼った。治療費を必死に探してた。
そのうち日本の友人にヘルプを出してきた。
日本円をフィリピンに送金した方がとても助けになる。フィリピンでは日本円で3千円で5人家族の1週間分の食料が調達できる。
お金を貸してと言ってくるたびに彼女も少しストレスを負っていた。
そんな彼女が倒れた。
未だ意識は戻らない。
彼女の家族は当然彼女を助けないので、彼女は旦那と連絡を取って自分を助けて欲しいと私たち日本の友人達に託した。
旦那も彼女のそばにいたいから働けないからお金をなんとか集めて欲しいと言う。彼女のそばにいる事が優しさなのかもしれないが、私の思う優しさとは違うと思った。
彼女はきっと旦那に、家族と子供達を自分がどうかなっても強く生きて守って欲しいと思っていると思った。
彼女が復活しても家族はまたきっとまた彼女を働かす。働きアリにする。旦那でさえも甘え、依存している。そんな状態で彼女は戻りたいのか?
あなたがしんだら家族はどうなるのよ!という声が聞こえる。とても悲しくなって旦那に
私たちはあなたのことを本当に愛しているから、戻ってきて欲しい。
って語りかけてとお願いした。
旦那も、彼女を本気で愛している。最愛の奥さんと言ってくれた。
彼らにとったら私たちは何かあったら助けてくれる日本の人。日本の人はお金持ってるでしょ、助けて。旦那は意識は少しは変わったようだけど、これ、結局だれも救われてない。そんなふうに思った。
最後の手術費用までは送った。
ただし、もうお金のことは一切言わないでくれと頼んだ。
もう充分やった。彼女が生きたいと思うくらい家族は必死になってくれるだろうかわからないけど、彼らが私たちに依存してはいけない。
気持ちの整理をつけるのにしばらく時間がかかったが、これは私にとっても修行だったのだと後で分かった。
もう今は学びをくれた感謝の気持ちにかわった。
世の中の不条理はあるけど、誰かを救おうとしなくていい。
その人たちのカルマはその人たちで克服しないとまたそのカルマを来世に持っていかないといけなくなる。私は私にできることはやったので、後は見守るのみ。
ただ、フィリピンなどの貧困層の人々は誰かに頼らないと生活苦があるのは本当で、少し助けることによって彼らはとても救われる現実がある。
だから助けられるときには助ければ良い。
あと最後に思ったのは、自分の手に入れたお金に関してはもう執着はない。今後私はきっと充分すぎるくらいお金に恵ままれてもそれを私服を肥すためには使わないだろうと思った。
もっと人のために、地球のために、エネルギーを循環させるために使いたい。
着飾ること。
贅沢な食事をする事。
高級なところでパーティーをする事。
そんな事全く興味がない。
ただ、手に入れたお金を本当に心を込めて作っている料理を出しているお店でいただいたり、そこでしかできない体験をしたり、誰かの夢を応援したり、お金の使い方をとことん考える。
高いから遠いから、もったいないから
そうではなく、必要かどうかで考える。
そうありたいって心から思った。
ガネーシャ、学問と富の神様。
今回の学びに感謝します。この前瞑想してたら頭にガネーシャが浮かんだ。