偏愛バトン 往路の2 / それが理由で惹かれていたはずだったのに
(↑こちらへの返信です)
これはカンボジアに住むMai Yoshikawaと
ルワンダに住むmasako katoの往復書簡です
今朝、牛が泳ぐ音で目が覚めました
「シューッ シューッ ィッシ ィッシ」
ルワンダでは牛を追うときに出す独特の声があります
それがほんのり聞こえてきた
んーーー牛、、、早くからお疲れ様です、、、むにゃむにゃ
。。ん?牛?、、、ここ湖畔だけど、、?
身体を起こしてバルコニーに出ると
やっぱり牛でした
まじか
牛、泳ぐんか
絶対足はつかない水深
釘付けになって眺めた約1km、半島から半島まで完泳しました
(羊ちゃんは特別にボートの上)
目玉と鼻先を一所懸命出してィッシ ィッシ人に言われながら誘導される姿にふぁーとおもいながら
ヌーが大移動で川にじゃぶじゃぶ入っていくのは見たことあるけど、牛も泳ぐんだなぁ!初めてちゃんと見たわ!とすっかり目が覚める
初めて見た、うん、初めて見た
・
朝ぼらけ
知らなかったからといってこの世にありえないわけじゃないよなぁ
見てこなかっただけで確かに存在するものだらけで世界は構成されている
でも、今初めて牛が泳ぐ姿を見て、初めて私の世界に「牛は泳ぐ」が加わった
てことは牛からすると初めて牛の世界に「私に見られた」が加わったんだろうか
私はまた一つ牛のことを知って
牛はまた一つ私のことを知った
私と牛の世界の重なりが大きくなっていく
円が徐々に重なっていって、全部重なったとき、私は牛になってるのだろうか?
そういう態度で世界に向き合いたいなと胸に置いています
牛そのものを宿して世界を見てみる試み
水そのものを宿して世界を見てみる試み
風そのものを宿して世界を見てみる試み
・
お返事ありがとうございます
自分に向けられた文章を受け取るということがこんなに刺激的なのかと、熱々のものを素手で受け取った気分で、ぴょんぴょんしばらくお手玉したあと、ようやく冷めて抱えられるのに一週間
おなかに聞くためにマイさんがあぐらをかいたその椰子の木の写真(多分?)を一緒に眺めながら、この太陽、どこかで見たことあるな?
ん?うちにもあるぞ?そっくりだ!と嬉しくなりました
ルワンダのキガリからカンボジアのコンポントムまでは8,434kmだそうです
地球一周40,000kmから比べたら、あれ案外近い
よーく耳を澄ませたらほんのりクメールポップスも聞こえてきそうです
今いる場所に、なぜ惹かれるのか?
誰にも求められていない、いつ終止符を打ってもいいはずのこの地での暮らし。
この一節にニヤニヤしながら、あぁそうだよなぁと考えてみました
誰かに言われて居るわけじゃない、誰かに強制されているわけでもない
自分で選んでここに居ます
でも堅固な意志があって「居てやる!!」と踏ん張っている感じでもありません
「ルワンダの、何がそんなにいいの?」とたびたび聞かれても
「なんだか肌に合うから」としか言いようがなくて、それ以上のことに踏み込んでみようとおもうことも無かったなぁと振り返りました(それ以上誰にも踏み込まれなかったというのもあります笑)
なぜここに惹かれるのか
あらためてすーっと考えを巡らせてみる
あ、これか
案外すぐに答えらしきものに辿り着きました笑
この、考えに没頭できる環境に惹かれているんだ
そうしたいとおもったときにすぐに考えを巡らせられる余白
気が散るきっかけが少ない / 少なくできる環境
同時に生きているだけで問いだらけ、ちょっと歩けば問いにあたる
知らない文化圏に行けばどこでもそうなのかもしれませんが、ここで出くわす問いはより私の芯にぐっと噛み付いてくる感じがします
噛みつかれたまま身体の半分を侵食されて、そのまま思考の穴へ直立状態でずーっと降りていく
問いが現れキャッ!と歓喜し直後黙って沈潜
問いが現れキャッ!と歓喜し直後黙って沈潜
が存分にできる暮らし
ルワンダのために!とか
平和を作る!とか
発展に寄与!とか立派な目標からはほど遠く、ごく自分のために考えに沈んでは地上で手触りを見つけ、手触りから問いを受けてまた考えに沈んでいます
もちろん全員がこういう環境とは限らないし、ルワンダのどこでもこうだとは言い切れません
でも少なくとも私にとってはそういう場所です
・
と、おもっていたんですが。
お返事を書くに当たってちょっとじっくり潜りたいなと、いつもとは違う場所に来てみました
さぁ潜ろう!準備万端!と椅子に座るも
あれ、穴、穴への降りて行き方、どうやるんだけ、、、
脚を伸ばしたり、深呼吸したり、目をつぶってみてもダメ
降り方をすっかり忘れていてゾッとしました
存分に潜れるあれに惹かれていたはずだったのに
徐々に暮らしに慣れてくると街中に溢れている問いも馴染みのあるものになってきていて。
「分かっている」とおもうことの最大のデメリットは
分かっている、より先に行けなくなること
たとえ目の前に「分かっている」の先のことが現れても「もうこれは分かっているから」と目を逸らしたり、見ているのに見えなくなったり、気にも留めなくなったりします
知らず知らずのうちに私はいろんなことを「分かった気」になっていて
周りの問いを受け取らず、受け取らないので潜りもせず
穴も埋めてしまっていた
多分一人だったらこのまま潜り方を忘れて
暮らしながらあれなんか変だなとなんか違うなとツルツル滑っていたかもしれません
書簡の場があって本当によかった
引き戻してくれてありがとうございます
マイさんは、土地に慣れることで起こる影響って何かありましたか?
グアバがぼたぼた斜面を転がってくるたび通り抜ける甘酸っぱい帯
芝生を抜け湖畔のちょうどいい椅子に辿り着くと、木々にいた無数の鳥たちは警戒してサッといなくなりました
座って静かに椅子と同化していると、しばらくしてまた木々に戻ってきてその姿や動きを見せてくれる
あぁ、これだわ
仕事の性質上、性格上、鳥を追いかけて引っ捕まえて羽をむしったり、口を開けて中を覗いたり、解剖してその生態を知ろうとするような動きが多かったような気がします
それで知れることもあるけれど、いま私は全体性を見失っていた
鳥本体の中身に迫っていくのとは別の
鳥が周りとどう関わっているのか
あの木との関係は、その木との関係は、あっちの鳥との関係は、この声は誰に向けての声、この天気のときはどんな動きをするの、あのフォルムと果物の関係は
伝統文化の調査活動をする中で、あれはどうなの?これはどうなの?それからあっちは?と、こちらからしたら普通でもおそらくそれは相手のリズムと合っていなくて
何かに急き立てられるように質問を繰り返している
そんな風に見られているときがありました
あるときぼそっと相手に言われたことば
「静かにしてれば分かるじゃない」
ドキッ
問うて問うて一心不乱にその中身に向かっていくことに傾倒していたときに提示された 静かにしてその全体性の中にただ居るという方法
そのとき初めて響いてくる全体性からこちらに向けられた問い
私がわーわー騒いで突進しているうちはそれが全く聞こえなかったし
近視眼なあなたにはまだ時が来ていないわね、と時機の女神に控えられていたそれ
自分の口からあれこれ問うことに縛られて
その背後からもっと大きなものに問われていたのに無視していたそれ
静かにしていたら鳥が戻ってきました
「我々が一緒に居られるってどういうことかな?」
そんな問いを彼らから貰い。
私が芝生をどすどす歩いていたときには聞こえなかったそれです
・
コンポントムにはどんな問いが、どんな驚きが広がっているんだろう
マイさんが拾い上げているそれらが、その土地に惹かれている理由につながっているのかなぁ
きっとそれは他の誰でもないマイさんにしか拾えないものたちなんだろうな、と想像しながら
それが理由で惹かれていたはずだったのに、それから遠ざかっている現状を見つけて、それでもなお惹かれていたので
理由を取り戻した今、ますます惹かれてしまうのでしょう
爪のような鋭い月夜のルワンダより
masako kato
▼偏愛バトン 往路の1 / masako kato
▼偏愛バトン 復路の1 / Mai Yoshikawa