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2024年6月1日追記。こちらのnoteで応援した「【七大戦名古屋大会】応援団演舞を巨大広告とデモで盛り上げたい!」クラウドファンディングは達成率150%で5月31日に終了しました。
170人から寄せられた2,714,000円とエールが現役団員たちが走り続ける燃料と励みになりますように。
残り9時間でnoteを公開。その時点で支援者155人。noteを読んで支援してくださった方も。
書いて良かった。
もっと早く書けば良かった。
七大学応援団を応援する
京都大学応援団第69代団長からクラファンのお知らせが届いた。
この度、来る8月に行われます七大戦名古屋大会におきまして、本演舞演奏会を広く知っていただき、大会を盛り上げるため、七大学応援団・応援部合同でクラウドファンディングを企画いたしました。
「七大戦」とは毎年夏に行われる「全国七大学総合体育大会」のこと。旧帝大と呼ばれる国立七大学(北から順に北大、東北大、東大、名古屋大、京大、阪大、九大)を総称して七大。「七帝戦」、略して「七帝」とも呼ばれる。
最初のnote「彼女のnoreを応援したくて元応援団員はnoteを始めた」に書いたが、ヒラのコピーライターから脚本家になったわたしの名刺が一番強かったのは、「京都大学応援団 第36代チアリーダー部長」だったとき。
満を持して、応援団を応援するときが来た!
昨年、東大で行われた七大戦の合同演舞演奏会に心を揺さぶられ、「安田講堂で観音様を拝む」と名づけたnoteを下書きに放り込んだが、書き上げる前に夏が終わり、出すタイミングを逃してしまっていた。
買い込んだ食材を使い忘れて腐らせてしまうのと同じく、noteもすぐ出さないとネタの鮮度が落ちてしまうが、このときを待って熟成していたのだ。ということにしよう。
絶滅危惧種とも言われる応援団。このnoteで興味を持った方はぜひ、クラファンを盛り上げて欲しい。
がしかし、9か月前の下書きが走り書きすぎて頼りない。記憶も心もとない。時間はわすれものの敵。やはり鮮度が……。
七大戦の合同演舞演奏会とは
応援団が一般的な部活動と違うのは、精神にかなり影響を及ぼしているところだと思う。
応援団関係の集まりにやって来る応援団OBたちは自分たちを「関係者」、その他の人たちを「一般人」と呼んだりするが、卒団して何年経っても「体から応援団が抜けない」人たちが少なからずいる。
そんな人たちは、持ち回りで行われる七大戦を毎年追いかけ、巡礼者のごとく演舞演奏会に現れる。
全国七大学応援団・応援部合同演舞演奏会。
七大戦に合わせて集まる応援団が演舞演奏を披露する、七大学応援団の最大行事だ。
応援団で濃厚な大学生活を過ごした、もとい、大学時代を濃厚な応援生活に費やした、というよりもはや溶かしたOB達にとっては、演舞演奏会は移動式故郷のような、彷徨える聖地のような存在である。
7年に一度の東大
わたしはそこまでズブズブではなく、「東京に来たらつかまえよう」という距離感。
上京して2年目の1995年、就職した広告代理店で一番仲良くなった一年上のアートディレクター女子を誘って見に行った。現役時代の七大戦は名大→北大→九大→阪大という4年間だったので、安田講堂での演舞演奏会は体験していない。中に入るのも初めてだった。
「こんな世界があるのか……」とアートディレクター女子は呆気に取られていた。彼女の水着姿は、その布面積の小ささから「アズ・ヌード・アズ・ポッシブル」と評されていたが、応援団のむき出しの熱量に度肝を抜かれていた。
わたしも久しぶりに見る演舞に圧倒され、「数年前はあの中にいたのか」と現役時代の自分を幽体離脱して眺めているような気持ちになった。
応援団とやってることが近そうという志望動機で「これからは言葉を踊らせます!」と売り文句に広告代理店のコピーライターになったが、職場は汗と酒とゲロにまみれた応援団と対極にあるような青山一丁目のオフィスで、社員は応援団員なんて人生でかすったこともない人だらけだった。わたしの結婚パーティーで演舞を披露し、列席者にエールを送ったところ、「すごいものを見た!」とやたら喜ばれた。
7年後、2002年の演舞演奏会は記憶がない。仕事が忙しかった頃だから、休日出社していたのかもしれない。
その7年後の2009年は子連れで行ったが、轟く大太鼓に子どもが泣き出し、早々と退散した。OBたちの野太い野次も怖かったことだろう。
さらに7年後の2016年は一人で行き、京大の先輩や名大ブラスバンド部の同期と再会し、一緒に見た。生まれてから卒団するまでより、卒団してからの人生のほうが長くなっていた。
現役団員のステージは相変わらず熱かったが、待ち時間や移動時間の振る舞いが随分洗練されていた。飲み会もマイルドになったと聞いた。わたしの頃は大きなゴミバケツがいくつも用意されていて、こんな使い道があるのかと驚いたものだが。
上級生が指名した下級生を引き連れて飲みに行き、ごっつぁんを競い合う「人買い」もなくなったと聞いた。良いごっつぁんもあれば、ひどいごっつぁんもあった。誰に買われるか、あるいは、誰に買われないかが明暗を分けた。下級生が上級生を仏か鬼か査定した闇資料も必要なくなったことになる。
iphoneが進化するのだから、現役だってそれなりにアップデートする。一方、OBの時の流れは遅い。現役時代を引きずる。または引き戻される。
客席からの野次は野太く暑苦しく、現役時代の応援合戦の延長戦を見るようだった。わたしがいたのはこんな世界であったなと自分の深いところに沈めていた応援団員の血が沸々と騒いだ。
9時間見てもまだ見たい
それから7年経った2023年8月20日。上京してから5度目の東大での演舞演奏会に行ってきた。
前々日の金曜に京大応援団のOB会があり、前日の土曜にパレードを見てから七大学の同期会(激動の四年間と平成四年の幹部ということで「激四会(げきしかい)」という)に行き、わたしの血中応援団濃度はかつてなく高まり、たぎっていた。
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今年は各大学持ち時間が1時間に拡大され(前回は40分だった)、さらにそれが守られず、プログラムは押しに押した。最後の演目のブラスチアステージは19時に終わる予定だったのが19時前に始まり、後ろ髪を引かれる思いで安田講堂を後にした。
開演の10時から安田講堂を出ることなく、見続けた。これまでは途中で食事に出たりしていたが、どの大学の演舞も見逃したくなかった。
それほど面白かった。
以前、初めて「文学フリマ」に行ったとき、知らない町を歩き回って、足跡で地図を描くような高揚感と充実感を覚え、note「文学フリマは知らない町を旅するのに似ていた」を書いた。
移動式故郷である演舞演奏会は「知っている町」なのだが、7年ぶり、しかも卒団から30年も経つと、郷愁のようなものが煮詰められる。目の前の演舞を見ながら脳内では幾星霜を行き来する。過ぎ去った時間の分、感情の振り子は大きく揺さぶられるのではないか。
以下、大学ごとの感想を。
なんて自由なんだ北大
北海道大学応援団・応援吹奏団。それぞれに団長がいる。
団旗を掲げた旗手が飛び跳ね、吹奏の女の子が黒服のパンツスーツで側転を繰り返す。全員違うことをやってる。なんて自由なんだ。令和の時代になっても北大は北大だとOBでもないのにうれしくなった。近くの席にOBらしきグループがいて(大声で「都ぞ弥生」や「とこしえの幸」を歌うので、それとわかる)、現役部員の相変わらずさに終始うれしそうだった。わかりますよと声をかけたくなった。
見出しの「なんて自由なんだ北大」は下書きに残されていた言葉。
他に残されていたのは、以下のメモ。
泥臭いのにパワポ
111 明治から
とこしえのさち
太鼓をぶっ壊す宮内
とのいけしんじ
「俺たちみんな破戒僧 臭いで他大はご臨終」
「寝る間を惜しんで書くのではなく、書く間を惜しんで寝る」
寺山修司
いい声
みやこぞやよい
断片的すぎて、よくわからない。
「寺山修司」とは?
「いい声」なのは誰?
たしかに「泥臭いのにパワポ」だった。パワポのクオリティが高かった。ショートムービーのようなものもどこかで公開していて、それもよくできていた。北大応援団に未来の映画監督がいる。
役者になれそうな佇まいの団員もいて、彼は「北大の藤井風」と紹介されていた。洗濯すると崩壊してしまうので何十年も洗わず受け継がれている着物をまとっていても、いや、それゆえか、惹きつけられるオーラのようなものを漂わせていた。
北大名物「檄」という長い巻物の「檄文」を読む演目があるのだが、わたしがこれまで見た中では最も短い印象だった。物足りなさを覚えるほどで、「短い!」という野次もあった気がするが、北大の藤井風は雰囲気で持たせてしまうのだった。
「寝る間を惜しんで書くのではなく、書く間を惜しんで寝る」
この言葉はいい。北大らしい。「檄」の一節だったか。短い檄の開き直りのセリフだとしたら秀逸。
北海道大学応援団・応援吹奏団のYouTubeチャンネルに動画があった。答え合わせはこちらで。
応援団のサイトもあった。
トップページから北大だ。
「北大の藤井風」はスキンヘッドになっていた。
下駄踊りの東北大
下書きには「下駄踊り」としか書き残していない。
東北大といえば、下駄踊り。下駄踊りといえば、東北大。
両手に下駄を持って客席の間を飛び回る。これまた令和の時代になかなか遭遇できない光景。片脚で跳ねる動きもあるので、AI搭載ロボットにも難度は高そうだ。
誰よりも元気よく爪痕を残さんとばかりに声を張り上げ、下駄を突き出し、飛び跳ねる。なんでこんなことをやっているのかと疑問を抱いたらできない。応援団気質とともに受け継がれる伝統だ。
昔は履いていた下駄を脱いで手に持っていた気がするが、今は靴を履いていて、下駄は小道具になっていた。
がんばれ名大
下書きには「がんばれ名大」としか書いていない。
名大は現在応援団が不在になっている。わたしが現役だったときは人数も多く、七大学の中でも一大勢力を誇っていた。にぎやかな時代を知っているので尚更淋しい。団員がゼロになってから一度復活したものの、またゼロになってしまった。
7年前の演舞演奏会ではOB有志が何か披露したように記憶しているが、2023年は名大応援団の出番は空白だった。
次回2024年の七大戦主管校は名大。
演舞演奏会は8月18日(日)、名古屋大学豊田講堂にて。前日の8月17日(土)に栄駅周辺にてデモンストレーション演舞の実施を予定とのこと。
【七大戦名古屋大会】「応援団演舞を巨大広告とデモで盛り上げたい!」クラファンには「名古屋大学応援団復活を後押しできたら」という想いも込められているとのこと。
がんばれ名大。
司会が文学だった京大
下書きには「司会が文学」としか書いていない。
リーダー部員による司会が文学だった。
曲紹介の一つ一つが掌編のようだった。彼が書いたものを読みたいと思った。
チアは3人と少なかったが、ハツラツ、キビキビとしていた。わたしの現役時代にできた「テキーラ」が一部振り付けを変えながらも踊り継がれている。30年ものの振り付け。「新生の息吹」など他の応援歌はさらに何十年の歴史がある。
応援団の演舞は伝統芸能と呼んでも良いのではないだろうか。
ギュッと阪大
阪大も下書きが空白だ。
声のいい女子団員がいたことを覚えている。とてもよく通る声の。
YouTubeに動画を見つけたので、後で答え合わせをしよう。
人数は京大よりさらに少ないが、充実感の感じられる演舞演奏だったことも印象に残っている。一人一人がしっかり声を出し、しっかり動いている。前日のパレードでも「この人数でこの声量!!」と驚かされた。
激四会同期の阪大リーダー部長だったテッセイ君が大学に残って教授になり、顧問を務めている。2024年4月に放送されたNHK「大学へどーも!」では現役団員に混じってユニフォームに身を包んだ姿を披露していたテッセイ君。まったく違和感がなかった。
一体感すごいな九大
続く九大は、下書きが厚い。そして熱い。
今この瞬間、安田講堂に足を踏み入れた一般人は「やべーところに来た」と固まってしまうかも
学ラン姿の女子一人に向かって客席を埋める数百人が拍手と野次を飛ばす構図
令和のこの世の中にどんな奇習だよ
女子だからと手加減しない
そのことを恩着せがましく言葉にもしない
歴代男子部員にかけてきたように「まだまだ!」「もっと足上げろ!」と野次
初めて見た人が「なんてひどいことをするんだ?」と心を痛めないかと心配
「いい加減にしろ!」と怒り出したり止めに入ったりしないかとハラハラ
安田講堂を埋める数百人対一人
舞台上では他のリーダー部員も手拍子と檄を飛ばし続ける
いじめではない
九州大学応援団に伝わる通過儀礼のようなもの
一人ではこんなに長い間、同じ姿勢で耐えられない
その限界を皆の声援を後押しにして超えている
これほどの一体感を見たことがない
出産に似ている
一人のリーダー部員の誕生に皆で立ち会っている
観音様の後は天神様
怪しい宗教の儀式のよう
演目の合間に書き足したのだろうか。書き留めなくてはとかき立てられたそのときの昂りが下書きを読んでいて蘇った。
この日、わたしがいちばん心をつかまれたのが、九大の「観音様」だった。
新人リーダー部員が「観音様にお参りに行く」という設定で、その気合を態度で示すというものだ。跳ねる高さや足を上げる高さや本人の気迫や熱量がその尺度となる。実に応援団らしく、かつ九大らしい演目だ。
現役時代から何度も見ている演舞で、その都度すごいなと圧倒されていたが、2023年の安田講堂で見た観音様には、これまで抱いたことのない感情が湧き起こった。
選ばれたリーダー部員が男子ではなかったということとコロナ禍を経ての演舞演奏会ということが関係していると思う。
学ラン姿の女子一人に向かって、数百人が激励の拍手と野次を飛ばす。歴代の男子部員にかけてきたように「まだまだ!」「もっと足上げろ!」と容赦ないダメ出しを浴びせる。女子だからと手加減しないし、そのことを恩着せがましく言葉にもしない。
当たり前のように手加減しないことに、しびれた。応援団は皆に等しく厳しい。
今この瞬間、安田講堂に足を踏み入れた一般人は「やべーところに来た」と固まってしまうかもしれないと心配になった。応援団関係者には免疫があるが、初めて見た人は「なんてひどいことをするんだ?」と驚き、心を痛めるのではないか。「いい加減にしろ!」と怒り出したり、止めに入ったりする人が現れるのではないかとハラハラした。
これは、いじめではないのです。試練なのです。通過儀礼なのです。世界のあちこちに伝わる奇習と同じように、外の人には理解不能かもしれませんが、中の人には意味と重みを持つものなのです。
でも、止めに入る人は現れなかった。
安田講堂の客席を埋める数百人が見守る中、たった一人が「観音様」を背負う。舞台上では他のリーダー部員も手拍子と檄を飛ばし続ける。
片足を高く上げた姿勢のまま、もう一方の足で耐える。もっと高く、もっと長くと野次が飛ぶ。一人ではこんなに長い間、同じ姿勢で耐えられない。その限界を皆の声援を後押しにして超えている。
何かに似ている。出産だ。
一人のリーダー部員の誕生に皆で立ち会っているのだ。
令和の世の中で、SDGsの世界で、なんというエネルギーの使い方をしているのだろう。リーダー部員が片足立ちの体を震わせる。安田講堂が拍手と野次で揺れる。わたしは揺さぶられ、撹拌される。奇妙な慣わしを受け継ぐあのような団体とは関係ございませんという顔をして、すっかり一般人に染まっていたが、かぶせた蓋がずれると、あの4年間は切り離しようもないわたしの一部で、今も熱を持っているのだった。
「安田講堂で観音様を拝む」とnoteのタイトルをつけた。
演舞演奏会の動画は見つけられなかったが、九大応援団の公式サイトがあった。
洗練と無私の東大
東大は「応援団」ではなく「応援部」と名乗っている。
「こちらは首都東京」とメモが残っているが、東大の言葉なのかどうかは不明。他大学からは「主管の仕切りが悪い」とネタにされていたが、がんばってもけなされるのが主管の悲しさ。
「さすが洗練されてるよな」と近くの席で見ていた京大OBのヨシモリ先輩が言ったのは、チアのことだ。衣装も振り付けも表情の作り方も野暮ったさがない。東京六大学でもまれている。見られ慣れている。
一方、上半身の極端な反りと前屈みを繰り返すリーダーの拍手も健在だった。リーダーはどこの応援団も気合が入っているが、東大のリーダー部の拍手の激しさには無私の境地を感じる。コスパだタイパだの言われる時代にこんな燃料効率の悪いことに青春を費やそうという学生は、やはり絶滅危惧種で保護対象ではないかと思う。
応援は一番最初に切り捨てられる存在
演舞演奏会の色とりどり感は寄席に似ている。受け継がれる演舞は演芸に通じるものがある。YouTubeで《全国七大学応援部・応援団》第62回七大戦 合同演舞演奏会の動画を見つけた。
大学応援団や社会人野球応援の動画を紹介している「ぽん助」さんのYouTubeチャンネルがマーチメドレーだけを集めて1時間10分に。掲載許可を得ているとのことなので、こちらでぜひ演舞演奏会の濃縮版を味わっていただきたい。OBの野次もしっかり録音されている。
各大の団長が揃って挨拶する時間があり、コロナ禍を経て再開した有観客の演舞演奏会への想いを述べた。
これがとてもとても良かった。
「応援は一番最初に切り捨てられる存在」という言葉に泣かされた。
自分たちのやっていることは必要とされていないのかという無力感とやるせなさ。だけど、「一番必要な存在」であり、「それぞれの文化伝統」があり、「コロナで一旦途絶え」たからこそ、その重みをより感じている。
文化芸術にも置き換えられる不甲斐なさと葛藤に共感した。
コロナ禍明けの演舞演奏会ということも影響していたと思う。落語の世界に似ていると思った。
下書きは断片的だが、メモを取らずにはいられなかった気持ちは伝わる。
「あさか 声良い」という下書き。
あさかさん、声良いです。
「創団60年 歴史の積み重ね」
これはどこの大学の言葉だろう。
「未来の応援団がこの世に続くことを願います」
この言葉にもグッと来た。
阪大の「一番応援されてきたのは自分自身」にも泣かされた。
「九大 3回 コロナで文化が消され 応援先の復活」とある。3回生が幹部という意味だろうか。
応援団の眩しさは離れた距離に比例する
コロナ禍明けということも関係していると思うが、2023年の演舞演奏会にかつてなく揺さぶられたのは、年のせいなのだろう。
現役だった頃、自分たちより熱いOBたちの姿を見て、職場や家庭に居場所はあるのだろうかと余計な心配をしたりしたが、今ならわかる。逃した魚と過ぎ去った応援団は大きく眩しいのだ。
その法則でいくと、2030年の東大での演舞演奏会は、2023年よりも感極まることになる。
わたしが現役のとき、スマホはまだなく、ポケベルの時代だった。就職活動をしていた4年生のとき、「採用だったら314と送ってください」と伝えていた。数字の語呂合わせをメッセージにしていた。電子なのにアナログだった。
TwitterもインスタもYouTubeもTikTokもなかった。
そんな時代でも、応援団やってるヒマがあったらあれをやりたいこれをやりたいという誘惑はたくさんあった。
バイトしたい。デートしたい。
映画観たい。レンタルビデオ観たい。
買い物に行きたい。
ケーキバイキングに行きたい。
寝ていたい。
普通の学生になりたい。
面倒くさいこと、気乗りしないこともたくさんあった。
立て看板作業が辛い。
文書作業(OBに文書を送る)が辛い。
渉外(企業回りをしてお金を集める)が辛い。
応援団を離れたくなる理由はいくらでもあった。純粋に楽しんでいる人もいたけれど、考えるのをやめた人もいた。やめたいと言い出せないまま卒団の日を迎えた人もいた。
七大学の同期会、激四会で飲んだとき、「やめようと思ったことなかった?」という話になった。
「あったあった」と東北大のリーダー部員だったふたりが声を揃えた。
思いとどまった理由は「残された部員のことを考えたから」だった。惰性で残る人もいれば、責任感で残る人もいる。同期の結束で乗り越えた人もいる。
わたしは「やめます」と口にするまでは行かなかったが(ここで引き止められたり説き伏せられたり一旦寝ろと言われて思い留まる人も多かった)、「やめたい」「やめてやる」と思ったことは何度もあった。スマホのある時代だったら、もっと葛藤があったかもしれない。
これだけ選択肢と誘惑があるなかで応援団を選んだ今の団員たちが、入って良かった、続けてきて良かったと思える瞬間に一度でも多く立ち会えることを願っている。
5月31日締切のクラファン、残り9時間(note公開時)。
ただいま155人、2634000円。
いいなと思ったら応援しよう!
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