今、存在することがプレゼント。─壊れたビデオカメラ
クリスマスを待つ時間
街にイルミネーションが灯り、デパートの包装紙が赤や緑になり、お菓子にツリーや星があしらわれ、今年もその日が近づいていることをあちらこちらから教えてくれる。
クリスマスに心が浮き立つのは、高校時代にアメリカ留学したことも大きい。生のモミの木を買いに行き(だだっ広い市場に何十本も横たわる木を品定めした)、持ち帰った木をリビングにそびえさせ、その根元にプレゼントを並べて当日を待つ。クリスマスは何週間も前から始まる。アドベントカレンダーをめくりながら、プレゼントを開ける日を待つ時間もプレゼントだった。
何年も前から壁に貼りっぱなしのクリスマスカードは、縫い絵アーティストの大島亜佐子さんの個展の案内。色とりどりなクリスマスのにぎやかさを縫い合わせたようなパッチワークのアドベントカレンダーのツリーとプレゼントたち。見ていると笑い声が聞こえてきそうで楽しくなる。
2009年と2010年のUSJクリスマス特設サイトに寄せた連作短編小説『クリスマスの贈りもの』。『サンタさんにお願い』『男子部の秘密』『てのひらの雪だるま』『パパの宝もの』に続いて、最後に紹介する5篇目『壊れたビデオカメラ』は「プレゼント」を見つける話。
今井雅子作 クリスマスの贈りもの「壊れたビデオカメラ」
わんぱく盛りの男の子が五歳と三歳。下の子をトイレに連れて行っている間に、上の子の姿が見えなくなり、見つかったと思ったら、下の子がいなくなる。二人がそろうとおもちゃの取り合いが始まり、喧嘩になる。
そんな繰り返しで、母親の早紀の毎日は、かくれんぼと鬼ごっこと取っ組み合いで明け暮れる。
そこが家であっても、公園であっても、テーマパークであっても。
一週間の会社勤めで疲れた体を休めたい夫を「母親には休みがないんやからね」と布団から引き剥がし、クリスマスのUSJにやってきた。
やりくり上手な早紀は、懸賞情報をこまめにチェックし、応募するのが実益を兼ねた趣味になっている。
年内有効のペアチケットも、それを納める財布も、財布と息子たちの着替えと水筒とおやつが入った紫色のバッグも懸賞の戦利品だ。
「ヒロ君、アッ君、待って待って!」
カップルたちの間をすりぬけて走り回る息子たちを追い回すビデオカメラは、次男が生まれたとき、自腹で買い替えた。
高額の電化製品を懸賞で当てるのは、ハードルが高い。チラシやサイトで価格をじっくり比較し、モデルチェンジで大幅に値下げした旧モデルを出産祝いの商品券で手に入れた。
早紀は記録魔でもあった。子どもたちが大きくなる一瞬一瞬をつかまえておきたい。ぼんやり眺めていて、記憶の隙間からこぼれ落ちてしまうのが、もったいないと思ってしまうのだ。
だが、一人で息子二人を相手にしているときは、両手がふさがり、ビデオカメラを回す余裕はない。夫とともに外出するときがチャンスなのだった。
アトラクションには息子たちと夫を乗せ、早紀は撮影係に徹する。手を振る息子たちの笑顔を切り取り、夫の顔はぼやけたり切れたりする。
そのビデオカメラが壊れた。
ギフトショップで見たいものがあったので、買い物の間、息子たちを夫にまかせたのがいけなかった。
ビデオを撮りたいと次男が言い出し、長男が「ぼくも!」と主張して取り合いになり、戻ってきた早紀の目の前で同時に息子たちの手から離れたカメラは、真っすぐにアスファルトの地面を打った。
悲鳴を上げてカメラを拾い上げ、外傷がないか確かめると、割れたり欠けたりしたところはなさそうだった。
だが、撮影モードになっているのに、撮影ボタンを押しても反応しない。
「こわれてしもたん?」
心配そうにのぞきこんだ息子たちに、
「壊れてしもた、ちゃうやろ! あんたらが壊したんやろ!」
思わず早紀が声を荒げると、
「そんな大きい声出さんと。人が見てるやろ」と夫がたしなめる。
ただならぬ剣幕に驚いてこちらを見ている親子連れと目が合い、早紀は笑顔を貼りつかせて、「何でもありません」と取り繕う会釈を返した。
なんでわたしが頭下げなあかんのと怒りが込み上げ、その矛先を夫に向ける。
「パパ、取り合いっこしてるの見てたんやろ? なんで止めてくれへんかったん?」
「止めようと思ったら、落ちたんや」
夫がふてくされた顔で言い返すので、早紀の言葉はいっそうきつくなる。
「落ちるまで止めなかったんやん」
「どっちでもええけど」
夫は突き放すように言い、
「わざと止めんかったわけないやろ」と独り言のように呟いたが、早紀の耳には、はっきり届いた。
「ヒロのお誕生会も入ってるねんで。直らんかったら、どうするん?」
「知らんて。そんなこと言われても」
「知らんって無責任なこと言わんといて。パパがちゃんと見てなかったせいやろ!」
「今心配しても、しゃあないて言うてるねん」
「信じられへん。なんでそんな落ち着いてられるん?」
「お前が騒ぎ過ぎるんや! なに勝手に最悪な事態想像してパニックになってるねん!」
売り言葉に買い言葉で、夫の口調まできつくなる。
「パパ、ママ、ケンカせんといて」
「せんといて」
喧嘩の原因を作った張本人たちが泣きそうな顔で訴える。
泣きたいのは、こっちなんやけどと言いたいのをぐっとこらえて、
「ケンカなんか、してへんよ」と息子たちに向き直った早紀の顔を見て、
「やっぱり、おこってる」と幼い兄弟は顔を見合わせた。
そのとき、クリスマスショーが十分後に始まることを告げるアナウンスが流れた。
「あ、こんどこそ、ゆきふるとこ、みにいこ!」
気まずい空気を破るように長男が明るく言う。
一時四十五分からのショーは、駆けつけようとした次男が派手に転んで「あるけへん」とぐずったせいで、近くまで行けず、遠くから見守った。真昼に降る本物の雪も、紙吹雪にしか見えなかった。
次のショーは、今からゆっくり移動しても、じっくり見られそうだ。
「もったいないなー。せっかくムービーチャンスやのに」
早紀は壊れたビデオカメラをうらめしそうに見る。
イヤミを言っても直るわけではないのに、言わずにはいられない自分の性格がイヤだ。
「カメラ、調子悪いんですか?」と声をかけられ、早紀がカメラから顔を上げると、双子の女の子と手をつないだ父親が、人のよさそうな笑顔を向けていた。
「子どもらが取り合って、落としてしまって」
早紀が答えると、
「うちも、やったことありますよ」
双子の父親がそう言い、
「この子ら、なんでも二人おんなじやないとダメなんです」
双子を挟んで父親と反対側にいる母親が茶目っけのある言い方でつけ足した。
お姫様みたいなおそろいのドレスを着た女の子二人は両親を足して二で割り、立体コピーを取ったような姿形をしていた。
子ども同士の年は近そうだが、両親は早紀と夫よりもひと回りほど年上に見えた。
他人との会話は、沸騰した早紀の感情を冷ましてくれた。怒りと興奮で強ばっていた肩から力が抜け、震えていた声がいくぶん落ち着きを取り戻す。
「ちょっと見せてもらっていいですか」
双子の父親が早紀の持っているビデオカメラに手を伸ばし、
「仕事で扱ってまして。メーカーは違うんですけど」と言い添えた。
早紀がカメラを差し出すと、父親は専門家らしい手つきで操作ボタンをいくつか試した。
もしかしたらという期待が芽生えたが、
「すみません。開けてみないと、ちょっとわかりませんわ」と申し訳なさそうにカメラを返された。
落胆を見せないように気遣いつつ、早紀が礼を言うと、
「うちのビデオを持ってきてたら、よかったなあ。そしたら、撮って差し上げて、後でデータ送れたのに」
双子の母親がそう言ったので、
「いえいえ、そこまでしていただかなくても」と早紀は恐縮しつつ、それに引き換え、まわりが見えないほど取り乱していた自分が恥ずかしくなった。
双子を間に挟んで横一列に手をつないで立ち去る一家を見送るとき、ありがたさの重みで早紀の頭は自然と下がった。
「最近、あんまり撮ってへんな」
「ほんまやねえ」
「つい忘れてしまうねんな」
双子の両親が笑顔を交わしながら話すのが聞こえた。
「親切な人もいるもんやなあ」と夫がしみじみと言い、早紀は素直にうなずいた。
「なあ、カメラ直れへんけど、なくてもええかな?」
明るい口調で息子たちに問うと、早紀の怒りが治まったことに安心したのか、「うん!」と兄弟は元気よく返事をし、
「カメラでとらんかて、ばっちりおぼえとく!」
「おぼえとく!」
と力強くうなずいた。
ビデオカメラを構えていた手が空いたので、先ほどの双子の一家を真似て、子どもたちを真ん中にして四人で手をつないで歩いた。
左手につないだ次男の右手から、ぬくもりが伝わってくる。
兄弟が何やらこそこそ話をして、くすくす笑い合うと、その振動もつないだ手から伝わってくる。
どこからか漂ってくるキャラメルポップコーンのにおいが鼻をくすぐり、四人で胸いっぱい吸い込む。
ぬくもりや振動やにおいは録画できないなと思ったりする。
映像や音声だけが、場面を物語る要素ではない。見たまま聞いたままを正確に記録することはできなくても、感じたままを記録することにかけては、記憶はビデオカメラに勝るのだろう。
「あ! サンタさんや!」
「おにいちゃん、まってまって!」
早紀と夫の手を振り払い、サンタクロースに向かって息子たちが駆けだす。
いつもならムービーチャンスとばかりにビデオカメラを構えるところだが、早紀は全身を録画モードにして二人を見つめる。
サンタクロースが兄弟に気づき、大きく両手を広げて二人を抱き寄せる。二人は顔を輝かせ、早紀と夫に向かって誇らしげに手を振る。
早紀と夫は追いつき、良かったなあと息子たちに声をかける。
そこに七、八歳ぐらいの女の子が駆け寄ってきて、ハローキティのノートを差し出し、サンタクロースのサインをせがんだ。人気者を独り占めはできない。
「ヒロくん、アッくん、サンタさんにバイバイしよか」
せっかくだからサンタさんと写真をと早紀は思ったが、ビデオカメラの静止画像モードがカメラ代わりなので、それも撮れない。
だったら携帯電話でと取り出しかけて、
「カメラでとらんかて、ばっちりおぼえとく」
さっきの長男の声が蘇った。
サンタさんにだっこされた息子たちの姿は、頭のメモリーに記録しておこう。
そして、クリスマスショーも。
モニター画面を見つめていた目で、早紀は息子たちと同じ景色を見た。
おもちゃの汽車に乗って登場したキャラクターたちに、一緒に手を振り、スノーマンのダンスを真似て、一緒に踊った。
ひらひらと舞い降りる真昼の雪をてのひらに受け、それが溶けるのを一緒に見守った。
ショーの余韻に浸りながら、再び四人で手をつなぎ、赤や緑や金色に彩られた通りを歩く。
窓からのぞいている小さなツリーやドアにかけられたリース、いたるところに見え隠れするクリスマスデコレーションに目を留める。
さっきも通ったはずの道なのに、早紀は初めて歩くような気がした。
息子たちの歌うクリスマスソングメドレーに合わせて、つないだ手を大きく振りながら歩いていると、正面から歩いてきた親子連れの母親と目が合った。
穏やかな微笑みに誘われるように、早紀はやわらかい笑顔を交わす。
知らない人に自然に微笑むことができるほど、気持ちが晴れている自分に気づいて、ビデオカメラのショックがずいぶんやわらいだことを知った。
「仲のいいご兄弟ですね」
目が合ったその母親に、すれ違いざま声をかけられた。
早紀が立ち止まると、手をつないだ次男はつられて立ち止まったが、次男と長男の手は離れてしまい、次男は「このひと、だれ?」という目で早紀を見上げる。
「さっきも見かけて、微笑ましいなあって思ってたんです。すみません、急に呼び止めて」
母親は申し訳なさそうに言ったが、早紀は心がほかほかとなる。
コートの上からでもはっきりわかるほどおなかが大きくなった母親が手をつないでいるのは、サンタクロースにサインをお願いしていた女の子だった。
「もうすぐですか」と早紀が母親に言い、「楽しみやね」と女の子に声をかけると、間もなくお姉ちゃんになるその子は、「はい!」と目を輝かせた。
少し先で待っていた夫と長男に追いつき、早紀が今あった出来事を報告すると、
「なんや、さっきの人、知り合いと違うん?」と夫が驚いた。
フォトスタジオの前を通りがかり、早紀は「あ、ここや」と小さく呟く。
映画の登場人物になりきった合成写真を撮れるスタジオだ。その写真プレゼントに応募したものの落選したことを思い出したのだ。
プレゼントは当たらんかったけど、あったかいプレゼントもらったなあ。
早紀はそう思い、カメラが壊れたのをかわいそうに思って、神様が埋め合わせしてくれたんかもと想像する。
もし、カメラが壊れなかったら、双子の両親と言葉を交わすこともなく、四人で手をつないで歩くこともなかった。
真昼の雪をてのひらに受けることも、二人の息子たちと同じ景色やぬくもりやにおいを分かち合うこともなかった。
あのままモニター越しに息子たちだけを見ていたら、おなかの大きな母親がこちらを見ていることに気づかず、うれしい言葉をかけられることもなかっただろう。
「なにニヤニヤしてるん?」
夫にからかわれて、早紀は「ううん」とごまかした。
「なあ、英語の『プレゼント』って、『今』って意味もなかったっけ?」
唐突にそんなことを思い出して、夫に聞いてみると、
「なんか習った気がする。『存在する』って意味もあったんちゃう?」と夫が記憶を掘り起こす。
今、存在すること。それがプレゼント。
五歳のヒロ君と三歳のアッ君。二人が見せてくれる今、引き合わせてくれる今は、この瞬間にしか存在しない、かけがえのない贈りもの。
それを受け止める心構えを、壊れたビデオカメラは伝えようとしたのかもしれない。
presentの意味
「プレゼント」を見つける話と紹介したが、5篇すべてがプレゼントの話だ。連作短編を束ねるタイトルが『クリスマスの贈りもの』なのだから。
今、存在すること。それがプレゼント。だとしたら、世界は贈りものであふれてる。カメラが被写体にピントを合わせるように、見つけて、とらえて、受け取ればいい。
presentには「提示する」という意味もある。10年前のプレゼントをnoteに引っ張り出してきたのが、全世界で「今、存在すること」を見つめ直した年だったというのも、良いタイミングだったのかもしれない。
webメディアのsaitaで12月から連載が始まった『漂うわたし』(毎週土曜21時更新)は、3人の主人公を2話ずつ描いてつなぐ形。3人の「今」がどこかで重なり、互いの人生にささやかな贈りものを贈りあえたらと考えている。
clubhouse朗読をreplayで
2022.12.16 鈴蘭さん
目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。