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本を翼に─いつかみんなでごはんを(碧月はる)

「noteのはるさん」の初エッセイ集

「はるさん、本が出るみたいですよ」

わたしがnoteを始めるきっかけをくれた西田梓さん(noteはこちら)から9月の頭にメッセージがあった。

碧月はるさんの初めてのエッセイ集『いつかみんなでごはんを─解離性同一性障害者の日常』のことだ。

わたしも知ったばかりで、梓さんに知らせようと思っていたところだった。

梓さんは「視覚を使わないプロ」なので、本は音声や点字で読む。はるさんの本は購入したものを音訳してもらう予定だという(※note公開後に梓さんより「kindle版も出るそうです。音訳してもらわなくても読めます」と連絡があった)。共通の友人のうれしいニュースを分かち合うように、はるさん良かったねと言い合った。

でも、はるさんにはまだ会ったことがない。わたしも梓さんも。


はるさんのことはnoteで知った。

梓さんとのやりとりを辿ると、2020年12月に「キナリ杯で知って、ずっと読み続けている書き手さんなんです。言葉の選び方がきれいだなと思います」と梓さんからnoteのURLが送られてきていた。

「はるさんのnoteわたしも読んでます」とわたしは返信しているが、梓さんが追いかけているからnoteのおすすめに挙がっていたのか、梓さんのツイートを見て知ったのか、きっかけは梓さんだったと思う。

そこから「はるさんのnote」が梓さんとの共通の話題になった。読むタイミングには時差があり、たいていは梓さんが先に見つけて、「読みました?」と知らせてくれ、感想を伝え合う。別々の時間に訪ねる公園にお気に入りの木を見つけて、見守る感じ。その木の上を季節が流れる。今は2024年の10月なのでもうすぐ4年になる。

村山由佳さんとのつながり

「何本も読むと、村山由佳さんに似てるなって思うようになりました。そしたらやっぱり、村山さんが一番尊敬する作家さんみたいです」

わたしにはるさんのnoteを勧めたメッセージの中で、梓さんはそう書いていた。

今回このnoteを書くにあたり、梓さんとのやりとりを辿ると、出会ったばかりの頃に、こんなメッセージを受け取っていた。

「今井さん『天使の卵』の脚本を書かれていますよね! 私、村山由佳さんが大好きで、高校生の頃からずっと追いかけていました。本当にきれいな文章で、感激したのをよく覚えています」

梓さんは、わたしにも村山由佳さんとのつながりを感じていた。だから、はるさんのnoteをわたしにすすめてくれたのかもしれない。わたしと梓さんとはるさんは村山由佳さんでつながっていたのだった。

さらに、出張いまいまさこカフェ1杯目「脚本家は『つなげる』のが仕事」にも書いたが、村山由佳さんとは映画『天使の卵』の前から、ちょっとしたご縁があった。

1997年9月に刊行された『翼 cry for the moon』。当時購読していた新聞の読者プレゼントで知り、応募したら当選した。村山由佳さんの本で最初に読んだのが『翼』だった。時々読み返していたその本を久しぶりに開いた数日後にプロデューサーから電話があり、「村山由佳さんの原作の映画化脚本を」の話が舞い込んだのだった。

村山由佳さんとは『天使の卵』の撮影現場でお目にかかったのだが、爽やかな笑顔で近づいて来た女性に、目が合うなり「村山です」と名乗られ、のけぞった。

そのとき村山さんは馬の話をされた。こないだの話の続きというような何気なさで。初対面の駆け出し脚本家に対して、境い目も段差もない人だった。馬のイメージも相まって、村山由佳さんというと、どこまでも駆けて行ける囲いのない原っぱが思い浮かぶ。

読者プレゼントで当選した『翼』には「今井雅子様」のあて名と村山由佳さんのサイン本が入っていた。映画の原作と脚本として名前が並ぶより前に、『翼』のページにふたりの名前が並んでいたことになる。順番は逆だが。

ページと言えば、最近知った"We are on the same page."という英語のフレーズが気に入っている。「同じページにいる」つまり「同じことを考えている」。意見や見解が合ったときに使える表現。

自分たちは同じページにいると思えるだけでなんだかうれしい。親しみを覚えるし、ご縁を感じる。

読者プレゼントで当選した『翼─cry for the moon』の表紙を開いたところ。「今井雅子様 村山由佳」ののびのびした筆跡のサインと「由佳」のハンコが押されている。

浄化なんてしていない

「辛い体験を浄化するような美しい文章を書かれていますよね」

はるさんのnoteわたしも読んでますという西田梓さんあての返信に、そう書いた。壮絶な過去があったことを綴るはるさんの文章があまりに端正で、抱いた感想だった。

その感想がいかに薄っぺらいものだったかをある日、思い知った。

婦人公論のサイトで連載されている、はるさんのエッセイ「言葉を食べて生きていく」を読んで。

はるさんの連載まだ読んでなかったとふと思い出して、連載第1回を読んだ。

はるさんのtwitterと梓さんからのメッセージで連載開始を知ってからだいぶ時間が経ち、すでに連載は十数回になっていた。

次の回へ、その次の回へ。スクロールする手が止まらず、連載最新回まで一気に読み、「続き」のボタンが表示されなくなってスマホから顔を上げると、室内は暗くなっていた。

読み始めてから何時間経ったのか、いつの間にか日が落ちていた。ダイニングテーブルの麓で片膝立ちだったか両膝立ちだったか中途半端な姿勢を取っていたのだが、その姿勢のままでいた。

スマホの小さな画面の外の一切を忘れていた。それほど打ちのめされる内容だった。

はるさんが育った境遇は想像していた以上に過酷だった。どこにも逃げ場がなく、別な人格の中に逃げ込むしかなかった。はるさんの中に生まれた人格の数は、はるさんが受け止めきれないところまで追い詰められた淵の数だ。

わたしが見ていたのは澄んで凪いだ水面だったのだと知った。水面の静けさと美しさが奥底まで続いているとおめでたく考えていた。

はるさんの文章は確かに美しく透明感がある。読んでいると、濁ったものが澄みきり、晴れ渡っていくような感覚を味わう。それをわたしは「浄化」と呼んだが、はるさんはあの美しい文章で「辛い体験を浄化」なんてしていない。過去は終わったことではなく、まだ張りついている。はるさんは壮絶な過去を乗り越えたのではなく、生き延びてきたのだ。生き延びるために書き続けてきたのだ。

「翼」は特別な本だった

はるさんの連載エッセイ「言葉を食べて生きていく」第3回のタイトルは《やまぬ性虐待。娘の苦痛を喜ぶ父の顔を見て狂気を抱いた夜。理性を取り戻し家から逃げると決められたのは「本」という翼を得たから》

「本という翼」をはるさんが得たきっかけになったのが、村山由佳さんの『翼』だった。はるさんの心の支えになった幼なじみが貸してくれた本。その本を置いて、幼なじみは去ってしまう。彼とはるさんをつないでいた『翼』は、はるさんをこの世界につなぎ止める希望になった。

わたしがプレゼントで当選したサイン本とはまったく別な意味で、はるさんとって『翼』はかけがえのない一冊だった。

エッセイの中ではるさんが引用した本文の言葉を紹介したい。

「居場所なんか、これからまた作ればいいじゃないか。鳥だって、巣を壊されても翌年また別の枝に作る。あきらめてしまうことはない」

翼 cry for the moon』(村山由佳)より

もちろん居場所を作ることは簡単なことではないけれど、「居場所を作る」という選択肢があることが、はるさんの希望になった。過去は変えられなくても未来は変えられると気づくことで、視線を上げられたのはないかと想像する。

はるさんは、書くことで居場所を作ってきた。広げてきた。はるさんの文章は、はるさんの道を切り拓くシャベルになった。いや、翼になったのだと思う。

noteもtwitterもインスタも連載先のメディアも、はるさんが書くことで居場所にしてきた「巣」なのだ。

翼を自由に動かす前に翼をばたつかせて地面から体を引き剥がす必要があったかもしれない。恐る恐る翼をはためかせ、体を浮かせ、少しずつ高く、少しずつ遠く。見晴らしが良くなり、その景色を楽しめるようになるまでに長い長い時間がかかったことと想像する。

翼が傷つけられることもあった。はるさんがようやく見つけた巣を、はるさんがはるさんでいられる場所を脅かされるようなことが。それでも、はるさんは傷ついた翼をかばいながら羽ばたき続けた。

そして、ついに初めてのエッセイ集が世に出る。
はるさんは出版界という大きな巣にたどり着いた。

本の帯には

誰かに救われたり裏切られたりしながら、
世界への信頼を少しずつ取り戻していく。
幸福と絶望を行き来する
解離性同一性障害者の「普通の日常」。

という紹介文とともに推薦の言葉がある。

凄かった。読み終えると世界が澄みわたって見えた。生き延びて、なおかつ伝えることを諦めずにいてくれる碧月さんに心の底から感謝する。

推薦の言葉を寄せたのは、村山由佳さん。

と、今キーボードで打ちながら涙がせり上がった。

翼の羽根を持ち合って

以前書いたnote「その鳥の名は、本といいます。」の中で、こんな言葉を紹介した。

YOU can TAKE a BOOK ANYWHERE and VICE-VERSA.(本はどこにでも連れて行ける。その逆に、どこにでも連れて行ってくれる。)

1998年のカンヌ広告祭で出会い、思わず書き留めたコピー。本の良さを言い当てていて、本っていいなと思わせてくれる。額に入れて飾りたいくらい好きな言葉だが、どこかに留め置くより、本を読むたび思い出すのが似合うコピーだ。

本という翼は、どこにでも連れて行けるし、どこにでも連れて行ってくれる。

刊行をお知らせするはるさんのnoteを読むと、この本が時間をかけて大切に編まれたことが伝わる。

柏書房の天野潤平さんは、本を出したいというはるさんの相談を何度も断った上で企画を通した。センセーショナルな売り出し方もできたかもしれないが、そうしなかった。急がず慎重に丁寧に進められたのは、著者を尊重しているからこそだと思う。はるさんのnoteに引用された天野さんの言葉からも真摯さが伝わる。その一部を紹介したい。

誰にとっても「デビュー」は一度きりですが、この本もまた碧月さんにとって重い意味を持つ一冊になるはずです。そもそもこういう本を出すのは勇気が要るので、発売後に良い本だと思っていただけたのなら、良かったよ、と伝えてあげてください。本書を出したことで著者が少しでも生きやすくなる、そんな結果になるといいなと思います。

本になるということは商品になるということだが、はるさんの物語が消費されないことを願う。取り立てて悲劇にされたり美談にされたり、切り取られて大きくされたり小さくされたり、はるさんの望まない形で一人歩きしないことを願う。

はるさんの美しい文章の奥にあるものを見落としていた読者として。
そして、作品を商品にすることを仕事にしている物書きとして。

はるさんの翼の羽根を両手で受け止めて、みんなで持ち合いたい。
はるさんに心を寄せる読者という存在も、はるさんの新しい巣になる。

いつかみんなでごはんを

10月の始め、はるさんからメッセージを受け取った。

はるさんのnoteや記事にわたしがコメントしてきたことへのお礼とともに、『いつかみんなでごはんを』のお知らせと本に込めた想いが記されていた。

「苦しいことだけではなく、幸せな瞬間もあわせて綴りました」と書かれていたのが、うれしかった。

わたしと梓さんがはるさんのことを遠くに引っ越した共通の友人のように感じていることを伝えると、はるさんもそのように思ってくれていた。

片想いじゃなかった。同じページにいた。

「いつか一緒にごはんを食べましょう」とメッセージしあった。

はるさんと梓さんとわたしと一緒にテーブルを囲む。お互いのことと村山由佳さんが共通の話題。そのときは『いつかみんなでごはんを』と『翼』を持っていく。その2冊に、「碧月はる」のサインをもらおう。

その日を楽しみに、わたしの小さな翼を動かして、はるさんの本を勧めよう。

と10月下旬の刊行までに余裕を持って書き始めたこのnote。書きたいことがあり過ぎてまとまらず、熟成させてしまっていた。今日あたりから並び始めている書店もあると聞いて、あわてて下書きを開いた。

本を手元に迎えてタイトル画像を撮るつもりが、まだ本屋に行けておらず、それも間に合っていない。

だけど、いいのだ。碧月はるさんの文章が読める時代には間に合っている。


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