上から下までそして裏まで学士会館ナイトツアー
神保町にある学士会館が老朽化に伴う再開発のため、2024年12月29日(日)15時に閉館(一時休館)した。
2023年夏から学士会の会員になり、訪れる機会が増えた学士会館。クラシックな建物とそこに流れる空気が好きで、その空気を吸うためだけに神保町で電車を降り、一階の談話室で本を読んだりしていた。
しばらく会えなくなる、一部はお別れになる建物をじっくり見て回りたい。その願いが学士会主催のナイトツアーで叶えられた。参加した夜のことを学士会館の思い出と共に書き留めておきたい。
代名詞のような201号室
集合は12月12日21時10分。201号室前。
「どうぞ撮ってください。SNSにも上げてくださって結構です」と案内の方に促され、早速参加者の皆さんがスマホを取り出し、カメラを構える。
新館は建て替えられるが、201号室のある旧館は曳屋保存されることになっている。それでも全く同じ姿で再開するとは限らない。今あるこの姿を記録に留めておきたいという各自の熱情をシャッター音の響きの中に感じる。
絵になる学士会館の中で特に絵になる201号室。
ドラマ「半沢直樹」で大和田常務が土下座をしたのも、大谷翔平選手がRED Chairのインタビューに応じたのも、嵐のアルバムのジャケット写真が撮影されたのも、この部屋。
「半沢直樹の土下座シーンと大谷翔平選手のインタビューと嵐のジャケット写真、全てのロケ地となった部屋は?」というクイズ問題があったら、答えは「学士会館201号室」だ。
学士会館名物ビアホール
そして、201号室といえば、ビアホールの会場である。
わたしが学士会に入会したきっかけが、昨年2023年の夏、友人に誘われた学士会館ビアホールだった。
チラシに書かれていた「学士会会員限定『ハッピーアワー』」の文言に関西人のお得好きセンサーが働いて「学士会って何?」となり、国立七大学の卒業生、学生、教員などからなる大学を超えた同窓団体があることを知った。
会員になると、定期的にイベントなどの案内が届く。その中に「魅惑のナイトツアー」のお知らせがあり、申し込んだのだった。
定員30名に対して、160名を超える応募があったそうで、倍率だけを見れば東大入試より難関。ビンゴも宝くじも外し続けているわたしだが、おかげで貯まったクジ運をここぞとばかりに発揮して、当選できた。
何度も行きたいと思いつつ、学士会館ビアホールに行けたのは2回だけだった。
2回目は『嘘八百』シリーズを一緒に書いている足立紳さん(お肉大好き)と晃子さん(お酒大好き)夫妻を誘った。1回目に行った後に「ローストビーフの厚切りをリクエストできる」と常連さんから教わり、厚切りを分け合った。
足立さんがブログ「足立紳 後ろ向きで進む」第41回に書いてくれている。
ナイトツアーの案内をしてくれた紳士は、学士会館精養軒の「アダチ」さん。漢字をうかがいそびれたが、大好きなものを誇らしげに語るときの真っ直ぐさは足立さんに通じるものがあった。
「こんなに高い天井は他にありません」
「この高さのドアは他にありません」
と天井高5メートル、ドア高3メートルを誇るアダチさん。特に建築法の関係で現在ではこの高さを新築するのは難しいのだとか。
お茶目で品のある案内に学士会館愛があふれていて、アダチさんが次はどんな言葉でほめるのか、楽しみになった。
柱のレリーフは「アカンサス」の花がモチーフ。「花言葉は『離れない結び目』です」と言うアダチさんの言葉に力がこもったように聞こえた。学士会は同窓団体なので、卒業しても縁は続くという想いをこの花に込めたのかもしれない。
「尊い」があふれている
ビアホールのにぎわいはなくとも201号室にわびしさは感じられない。手入れが行き届き、掃き清められた寺院の庭のような厳かさ。この先5年間眠ることになっても、シャンと目覚めてくれそうだ。
整然と並ぶ空のビュッフェウォーマーも凛と胸を張り、来るべき出番を待っているように見える。
セリフのないときの立ち姿に役者の力量が現れるように、客のいないときの佇まいに部屋の本質が見えるのかもしれない。
わたしは誇りを持って仕事をしている人を見ると、うれしくなると同時に胸の奥がギュッとなる。映画『タイタニック』の沈みゆく船で最後まで演奏を続ける楽隊のシーンを思い出すたび、ギュッとなる。最近推し活界隈でよく聞くようになった「尊い」の感情に近いのではないかと思う。
学士会館には「尊い」があふれている。
各部屋については「学士会館 会場のご案内」に間取り図と美しい写真と共に詳しく紹介されているので、そちらもぜひ。
続いての203号室にもビュッフェウォーマーが鎮座していた。積み重ねられた白い平皿も。
上を見れば、レトロな色ガラスが美しい。これはステンドグラスなのだろうか。特別な呼び方があるのかもしれない。
下を見れば大理石の床。「ここに化石がいます」と係の人が懐中電灯で照らしてくれた。
「ナイトミュージアム」という言葉が好きで、字面を見るだけでワクワクしてしまうが、歴史が詰まった館で一流の建築と美術に触れ、古生物の化石も見られて、これはもうナイトミュージアム。
落語会といぶき会の202号室
続いては202号室。「学士会館 会場のご案内」の間取り図によると、この部屋も曳屋保存される旧館にある。
椅子が積み上げられている姿もやはり美しい。
202号室と言えば、学士会落語会の定例会の会場。
学士会は会員同士が交流できる同好会が色々あり(さながらオトナの部活動)、落語会もその一つ。わたしは2023年11月18日の第109回例会を聴きに行ったときに入会した。
落語会なので普段は落語をかけるのだが、この日は珍しく三遊亭金馬師匠と玉川太福さん(浪曲師の方に師匠をつけるべきか悩ましいが、奈々福さん提唱の「さん」付けで)だった。
当時、浪曲師で知っているのは太福さんと奈々福さんくらいだった。2024年3月に東家三可子さんが浪曲「膝枕」をネタ下ろしして以来、連続10か月、毎月どこかでかけてくれ、「膝枕」や他の浪曲も聴くようになった今、「いつか学士会落語会で『膝枕』を」の野望が生まれた。
学士会館再開までは、奇数月開催の例会は外の会場で続けられる。
オニキス(天然石⁉︎)で装飾されている眩しいグリーンの壁に見覚えが。
東大で七大戦が開かれた2023年、京都大学応援団OB会「いぶき会」(第一応援歌「新生の息吹」から命名)東京支部の集いが開かれたのも、ここ202号室だった。
京大のサイトの活動報告で使われている写真は、宴の終わりに「新生の息吹」を大合唱(リーダー部出身のOBがかわるがわる前に立って振るので人数分歌う)の後、現役部員の団長からエールを受けているところと思われる。「新生の息吹」を歌っている間は肩を組んで左右に揺れているので。
東大で七大戦が開かれるのに合わせて開催される「いぶき会」は、これまでも学士会館で行われていた。東大での次回の七大戦は2030年。学士会館再開が2030年内目標とのことなので、予定通りだとぎりぎり間に合わない。
総会の210号室と320号室
続いての210号室には、さらに見覚えが。
この眺めをよく知っている。
シナリオ作家協会の今年の通常総会の会場がここ210号室だった。
総会のときは長机がずらずらっと並ぶのだが、スカートみたいなクロスをまとった丸テーブルが並ぶと部屋の雰囲気は随分変わる。
アダチさんに「よく見てください」と言われなければ、まじまじと見ることもなかった天井の中央部の出っ張りは、「空調設備を隠すため」のものらしい。建物ができた当時はついてなかったエアコンを後からつけたということだろうか。
ナイトツアーの4日後に参加した夕食会(食事と講演を楽しめる会)の会場も210号室だった。一緒に行った友人に「あの出っ張りの中にエアコンが」とアダチさんの受け売りで教えた。
閉館前の最後の夕食会は「多様性の海へ:対話が創造する未来」と題して東京大学総長の藤井輝夫氏が講演。
続いての320号室の天井も、同じようにでっぱりが。
この部屋は2022年のシナリオ作家協会の通常総会の会場だった。
2024年度のシナリオ作家協会新人シナリオコンクール特別賞大伴昌司賞授賞式の会場も320号室だった。
ナイトツアーのときには会議仕様に机が並べられていた。真ん中にスピーカーテーブル。そのまわりを取り囲む形。
320号室はドラマ「下町ロケット」の重役室のロケでも使われたそう。
「学士会館 会場のご案内」の間取り図によると、210号室と320号室は新館なので建て替え対象のよう。再開後の学士会館でシナリオ作家協会の総会を開くとすると、これまでとは別な部屋が会場になるのだなとしみじみ。
金色に輝くカトラリー
続いては、絨毯の色から301号室ではと推察。絵に描いた「ザ・晩餐会」の眺めが目の前に現れ、ふはぁっと憧れの息が漏れた。
金色に輝くカトラリーが眩しい。
金のスプーンで口に運ぶスープを夢想してみる。高級なきのこたっぷりのポタージュとか。
このカトラリーへの思い入れを案内役の学士会館精養軒アダチさんが語られてたが、見惚れていて、ちゃんと聞けていなかった。特別な日にだけ使われるとっておきだと言われていたような。
当日つけていたメモがあったと思い出し、読み返すと「金のカトラリー 戦争生き延び」と書いてあった。
生き延びたのか。戦争を。
「接収を逃れた」とアダチさんが話されていた記憶が蘇った。当時の学士会館のシェフたちが守り抜いたのだろうか。
武器にされることなく、平和な時代に幸せなものを運べる役目を担えて良かった。
他にも「301 VIVANT 半沢 盆栽投げつけ」のメモが。こちらの部屋は301号室で正解のよう。
教会式も神前式も
301号室の隣は教会式場。
メモには「チャペル 用途変わる」と書いてあった。曳屋保存される旧館にあるが、再開したときに別な形になる予定とのこと。
「神殿 神田明神」のメモもあった。たしか「御神体を神田明神にお返しした」とアダチさんがお話しされていた。
屋上の上に屋上が
続いては、旧館の3階から屋上へ。
学士会館の屋上は私的穴場スポット。何度か友人を案内したことがあるが、他の人に会ったことは一度もない。
わたしが今、現役の学生だったらここでデートするのにといつも思う。神保町の空を独り占めして、ベンチでお弁当を食べたい。
夜の屋上に出るのは初めてだった。
「蛇口が小鳥になっております」とアダチさん。
知らなかった。
屋上のさらに上に屋上があることも知らなかった。普段は立ち入り禁止になっているらしいその屋上へ、人一人の幅の通路を進んで向かう。
気分は川口浩探検隊。未踏の地のはずなのに、なぜかカメラが先に入っていると嘉門達夫が歌っている。そのフレーズを思い出して口ずさみそうになる。
屋上に出て、階段のあるほうを撮ったところ。
反対側に広がる屋上。向かいの小学館と集英社が見える。
戦時中はここから砲撃していたとアダチさんが話されていた気がする。存在感のある台座のようなものが置かれていて、「これは砲台の跡ですか?」と参加者の方が質問されていたが、違うらしい。
1923(大正12)年9月1日の関東大震災で工事着工が延期され、1928(昭和3)年5月に旧館が落成した学士会館。
96年の歴史のなかで戦争を見届け、今に至る。
理事長のデスクと書物たち
続いては理事長室。
「理事長に撮影許可をもらってないので、公開する場合は閉館後の12月29日15時以降でお願いしました」と言われた。
歴代理事長の顔写真が音楽室のベートーベンやショパンのように掲げられている。肖像権的にどうだろうと撮影は遠慮した。
特に撮られて困るものはなさそうな、すっきりとした、整然としすぎているようなお部屋。
そこに異彩を放つティッシュの黄色い箱。
理事長室だけでなく、ナイトツアーで訪ねた2階と3階の他の部屋に置いてあっても違和感があったであろう黄色い箱。本人(箱)も「あら私、なぜここにいるんでしょう?」感を漂わせていた。ちょい出しティッシュがテヘペロにも見える。
以来、街のドラッグストアでこの黄色い箱ティッシュが目に留まるようになり、見るとナイトツアーの理事長室が連想され、あの夜が蘇る。
まさか箱ティッシュが学士会館の記憶のよすがになろうとは。
そう言えば、広告代理店にコピーライターとして就職したての頃、「一つのコピーを絞り出すのに何百案も考えろ」というのを「ティッシュの最後の一枚まで出し切ったら、箱の底に答えが書いてある」と喩えられた。ティッシュと知恵は深く切り結ばれている、のかもしれない。
知恵といえば、理事長室の本棚にも、外の廊下にも本が並んでいて、背表紙のタイトルに目が行った。かなり時代のついている書物もあり、一体何年ものだろうと興味が湧いた。
一階の談話室の本棚には辞書が色々。
思った以上に遊戯室
学士会館に遊戯室なるものがあることは知っていた。会報誌「学士會館報」に「同好会だより」のコーナーがあり、「囲碁会」や「将棋会」や「撞球会」(ビリヤード)の活動報告が載っている。
しかし、規模が思っていたのと違った。
見渡す限りの囲碁盤!
見渡す限りの将棋盤!
これだけある席がすべて埋まったりするのだろうか。その眺めはさらに壮観だろう。碁石や将棋駒が盤に当たって立てるあの小気味良い音があちこちからパチパチ聞こえて遊戯室を満たしていた日々を想像する。
さらに、ビリヤード台どかどか。
置き傘ならぬ置きキューがずらり。
得点を数えるのに使うのだろうか、使い方がよくわからない巨大算盤みたいなものも。
得点をつける用の黒板まである。
ビリヤードも囲碁も将棋も試しにやってみたことがあるが、絶望的にセンスがないことがわかり、わたしの人生から切り離されてしまった。そうか。学士会同好会で親しむ道もあったのか。
「ラタン」と寿司サイダーと赤絨毯
続いて案内されたのは、2023年8月31日に営業を終了したレストラン・ラタン。素晴らしいフランス料理を提供する、知る人ぞ知る名店だったとアダチさんが思い入れと誇りと共にありし日を懐かしむ。
客を迎えなくなって1年余り経つとは思えないほど、店内は埃っぽさも湿っぽさもなく、テーブルも椅子も「本日は定休日です」というような顔をしている。
丁寧に手入れをすれば、熟成はすれども老け込むことはない。
コーヒーの香りが漂っていたが、テーブルに出されたのは瓶サイダー。階段の上り下りで程良く疲れたタイミングで椅子に座る時間を設け、喉を潤す炭酸を出してくれる心憎さよ。
サイダーには「寿司サイダー」のラベル。学士会館1階にある寿司割烹二色でも出しているサイダーだという。
ラタンを出た正面にあるエレベーターと赤絨毯の、なんと贅沢な眺め。
別な階段を登っているときだったが、「こんなに赤絨毯を敷き詰めているのは、学士会館と国会議事堂くらいです」とアダチさんが誇らしそうに語っていた。
エレベーターの右にある階段の麓のでっかい茶筒のようなもの。
なんと、上がパカッと外れる!
「元々あった柱を隠すため」と話されていた気がする。ということは、階段を改装したのだろうか。古いものを壊さずに残す心意気、好き。
七大学のショーケース
ラタンの隣にある「THE SEVEN'S HOUSE」。名前の「SENEN」が七大学に由来することも初めて知った。言われてみれば、そうか。
学士会館の向かいが小学館なので、THE SEVEN'S HOUSEで編集者さんと打ち合わせすることもあった。昼間はカフェ営業していて、以前はフードメニューも充実していた。野菜たっぷりのカレーが好きだった。「クラーク博士のカレー」みたいな名前がついていた。
2023年9月1日からはビーフカレーを昼に提供するだけになっていた。食事は隣のラタンから運ばれていたのかもしれない。
事務局のある地下を見せてもらい、従業員出入り口から外に出て、正面玄関から建物に入り直した。
「こんなに遅いエスカレーターは学士会館か巣鴨駅くらいです」とエレベーターの遅さにも胸を張るアダチさん。
建物を入って左側にあるのは中国料理「紅楼夢」。何度かランチで訪れたが、雰囲気が良くて美味しくて、ゆったり過ごせる良い店だった。ここは新館に入っているので建て替えられてしまう。
「紅楼夢」の手前、建物を入ってすぐのところには東京大学のレゴ部の人たちが作ったミニチュア模型が。レゴのピース数は3775。富士山の高さ引く1で覚えやすい。
建物を入ってすぐ右の細長い部屋には、七大学のショーケースが。
大阪大学と言えばワニ! 絵本『わにのだんす』界隈では、これ常識。
ワニ博士の頭脳グミやらコーヒーやら日本酒「緒方洪庵」やらグッズも充実。
愛媛県西予市にあった宝暦三年(1753)創業の緒方酒造が歴史に幕を下ろすとともに失われた銘酒「緒方洪庵」を大阪大学が復活させた理由は、緒方洪庵との縁から。「緒方洪庵が幕末の大坂に開き、橋本左内や福沢諭吉といった日本の近代化を牽引した人物が学んだ適塾は、大阪大学の精神的源流に位置付けられている」とのこと。勉強になりました。
名古屋大はオリジナルのマグカップ、カップ&ソーサーと「名大ウォッチ」という本。出版社は名古屋大学総務部。朝日新聞を経て名古屋大学国際機構特任教授を務めた辻篤子さんが名大のサイトに連載していたコラムをまとめた一冊。と今noteを書きながら調べた。
名大のグッズページを見ると、食べるもの、着るものも充実。
そして、京大。
真っ暗。
霊のようなものが写っているが、カメラを向けたわたしである。
学士会館閉館を前にひと足お先に片づけたのではなく、わたしが知る限り、暗黒時代が長らく続いている。
やる気あるのか京大!?
これが「らしさ」なのか!?
SDGsアクションなのか!?
「あれ? 京大真っ暗なんだけど?」
引っかかりを残しているので、あえて狙っているとしたら成功しているのだが、いいのかそれで?
京大グッズページ見たら、並べるものいっぱいあるやん。
学士会館が再開した暁には、ショーケースを遊ばせるのではなく、ショーケースで遊んでほしい。
また会う日まで
予定時間を30分ほど過ぎ、1組に宿泊券が当たるサプライズでナイトツアーは締めくくられた。参加者全員に配られたお土産のトートバッグと新しい思い出を持ち帰った。
2時間近く学士会館を歩いて回ったことになる。
いつでも、いつまでもそこにあると思っていたものがなくなると聞くと、それだけで惜しむ気持ちが湧くが、ナイトツアーに参加したことで、いっそう愛着が湧いた。と同時に、ますます名残惜しくなった。ちょくちょく通っていた店が閉まると聞いて駆けつけ、やっぱりいい店だなと思い、もっと行っておけば良かったとしんみりしてしまう、あの感じに似ている。
わたしよりずっと前から学士会館に足を運んでいた方々は、何倍も感慨深いことと思う。
学士会館でわたしが一番好きだった場所、一階の談話室は旧館にあるので保存されるが、再開後は別な用途の部屋になるらしい。思い思いの席で好きな本を広げている人たち、声を落として会話している人たちの作る和やかで穏やかな空気が好きだった。
忘れていた思い出も蘇った。
3階に小さな会議や会食に使える部屋がいくつかあるのだが、就職のために上京して間もない20代の頃、応援団の先輩が月に一回夕食を取りながらの勉強会を開いていた。
学士会館のコース料理をいただきながら参加者が代わるがわる講師になって自分の得意分野を話すというもので、わたしも一度、お鉢が回ってきた。何を話したのか覚えていないが、広告業界のことを話したのだろか。わたし以外はかなり年上の先輩方だった。鉄道通の山田先輩が中国の鉄道旅で録音した音を聴かせてくれた会が印象に残っている。
「2500円でおいしいものが食べられる!」のを目当てに参加していたが、学士会館の建物の雰囲気も好きだった。会自体がなくなったのか、わたしの足が遠のいたのか、その会に参加したのは一年ほどの短い間のことだった。
今思えば、贅沢な時間だった。先輩のどなたかが学士会員で、毎回部屋を予約し、室料を支払ってくれていたのかもしれない。
再開した学士会館で次の世代の人のために部屋を借りて、勉強会のようなことをできたらいいなと淡い想いを馳せている。
ありがとう学士会館。また会う日まで。
再開は5年後、2030年内目標とのこと。詳しくはこちらを。Q&A形式で読みやすく丁寧に説明されている。
おまけアルバム
扉いろいろ
扉のひとつひとつが美しく個性的。はめ込まれたスタンドガラスに惚れ惚れ。
床と絨毯いろいろ
部屋ごとに絨毯がこんなに違うとは。普段はいくつもの部屋をハシゴすることがないので、ナイトツアーに参加して初めて気づいた。
天井と灯りいろいろ
「シャンデリアもGHQの接収を免れました」とアダチさん。