円熟について
尊敬する先輩方と会う時、
あれ?と思う事が何度かありました。
前よりも、押しが強くなっている。ような。。。
前よりも、何かを抑えなくなっているというような。。。
前よりも、待たなくなっているというような。。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
新緑の時期と、秋には
木々の個性が際立つ
それぞれの個性が光り、森はパッチワークみたい。
夏のもこもこいした「緑!」という一体感のある塊でなく
一本ずつが「みてみてー」と言ってるみたい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小さい時は、個性があり、
あれができてもこれが苦手とか、
凸凹があって、ユニークな存在のヒト
学校にあがり
出来ない事は出来るようにと勉強して修行して、
快適にコロコロと過ごせる
デコボコのないマルな大人になることを目指してるヒト
ひとかどの人物となり、
小さなマルだったり大きなマルだったり
がんばって出来ないことが出来るようになって、
凹が埋まったから。
そして年をとったら、
できないことをできるようにする頑張り力も落ちるから、
また、凸凹なヒトになる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒトがもし円熟するというなら
頑張り力がなくなってもマルな大人でいるには
凸凹の、凸の部分をへこませていくしかないわけで
そうするとマルのサイズも小さくなるわけで
ああそうか、私は小さなマルになること目指そう
そしたら頑張らなくてもマルな存在でいられる
なんとなーくふわっと気が付いた感があったので
わすれずにとメモ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?