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高エネルギー文明の存続は不確かだ【本の感想】エネルギーの人類史(上・下)

エネルギー、という言葉には様々な側面がある。ある人が「エネルギー」という言葉を口にするとき、それはその人の中での特定の意味でのエネルギーであることが多い。様々の言葉が存在するが、エネルギーという言葉はその中でも、「共通認識が成り立ちにくい」性質の強いものかもしれない。
であるがゆえに、私自身もまた「エネルギー」という言葉を漠然としか捉えてくることができなかった。エネルギーとはなんなのだろう。それは歴史の中でどう扱われて、そして今どのような状況にあり、そしてこれからそれに関して何が起こっていくのだろう。
そのことを思想的な偏りや思い込みを抜きに、徹底してデータとそれへの謙虚な読み取りを元に、丁寧な思考を学ばせてくれる機会を私は漠然と求め続けていたような気がする。
ふとしたきっかけで、その機会は得られた。しかも、十二分すぎるほどの量と質と面白さで。それがまさに、本書である。

本書についてはとても一言で論じられない。しかしそれこそが個人的には本書に対する賛辞と感謝の表れだと思っている。エネルギーと共に人類が歩んできた歴史は、極めて複雑なものだ。複雑なものを1ワードで単純化してはならない。複雑さは複雑に受け止めるのだ。

とりあえずメモ代わりに目次だけをざっと書いておく

[上巻]
第1章 エネルギーと社会
第2章 先史時代のエネルギー
第3章 伝統的な農業
第4章 産業化以前の原動力と燃料
[下巻]
第5章 化石燃料と一時電気と再生エネルギー
第6章 化石燃料文明
第7章 世界の歴史の中のエネルギー

あとは個人的に印象的な文章を抜粋する。

古代の思想家や道徳家、中東やインドや中国の長く続く宗教の創始者による、普遍的で永続的な倫理的教えの体系化はいずれも人口の大半が基本的な身体的生存で精一杯の体にエネルギー社会でなされた。現代の事情にもその影響力を深く及ぼし続けている2つの主要な一神教、キリスト教とイスラム教は、それぞれ20世紀前と13世紀前に、まだ農耕社会が豊富な日光を有効エネルギーに変換する技術的手段を持たずにいた、乾燥した環境で起こった。
(下巻 P.342)

ここが気になった理由は、大昔に生まれた宗教のその周辺状況について、極めて明快にエネルギー事情の観点から記述してくれているからだ。上下巻にわたって緻密な議論を進めてきた著者だからこそ、この言葉の説得力も大きい。つまるところ、ここの議論の裏返しとしては、「エネルギー変換効率が高く、適度な湿度と温度で快適で、労働が自動化された社会においては一神教は生まれたのか?」と考えることができる。

現在、十分な確実性を持って予見できるのは、今後数世代のうちに、今よりずっと多くのエネルギーが必要になると言うことだ。世界人口は未だ増加中で、その大多数は、そこそこの生活をの質を保障する最低水準を大きく下回るエネルギーしか得られていない。
(下巻 P.351)

ここを取り上げた理由は、むしろ著者が触れていない観点を見つけたからである。それは「果たして今世紀、人類は大きく増え続けるのか?」という問いだ。

ワシントン大学の研究グループが明らかにしたところ、2064年に世界人口はピークアウトする可能性がある。

また、Empty Planetという書籍でも、同様の予測が書かれている。

私自身は世界人口は21世紀中にピークアウトする予測に賛成である。それは必ずしも楽観論からというわけではなく、むしろ人口のピークアウトは悲観論に近いものかもしれない。既に日本では人口はピークアウトしているが、他のアジアやアフリカの国でもそうなっていく可能性が高いということは、いつの日か世界全体での人口減少に歯止めがかからない可能性がある。

とはいえ、エネルギーの人類史で著者のシュミルが言っていることが間違っているわけではない。21世紀を通じて、途上国の多くの人々は炭化水素燃料の使用量を増やしていくことになる。そして地球温暖化は止まらない可能性は高い。
だがそこにバラ色の解決策などは存在しない。エネルギーを期待通りに置き換えていくことができるのかは非常に不確かなのだ。

★★★★★(5/5)

エネルギーの人類史 上・下 (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2019/3/25
バーツラフ・シュミル (著), 塩原通緒 (翻訳)

<原題>
Energy and Civilization: A History

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