怒っている人の心を、言葉で射るとは。
怒り心頭の方への電話対応。
すこし被害的な妄想もあり事実とは違うことに戸惑う。
ずっと怒りを出し続けているのを聞いているとこちらもアドレナリンが出ているせいか集中しているが妙に冷静になってきたりする。
10分くらい怒り続けた後、だんだんとクールダウンしてきたことに気づき、きっかけになったエピソードを再度想起させ、怒りの燃料を継ぎ足している。
まるで怒り花火の後の静けさで、我に返るのを恐れるように。
途中、無茶な質問をしてきたので、わからないと伝えるとその返答が気に入らないとさらにヒートアップさせる。怒りを継続するための問答を繰り返している。
しかし、15分もしていると、今の状況に合うボキャブラリも尽きてくる。ことばをさぐるうちに、だんだん過去の記憶にリンクしていく。そんな時、過去の話から傷つき体験を語りだす瞬間がある。
それまでは怒りへの対応に追われていたが、物語が語られだすとそこには共感の余地が生まれてくる。
何を大事にしてきたのか、何をあきらめなければならなかったのか。傷ついた心が、巨大な怒りの岩石から染み出る哀しみが、伝わってくる。
怒り心頭の時というのは、自分が思い通りにならない状況で、しんどさに直面し、その状況を誰かのせいにしないと居られない時が多い。
原因は相手にあるとみなし、怒りや攻撃を爆発させている。その状態の人と責任の所在を議論してもあまり実りはない。
相手はそのしんどさの荷物を自分で持っていられないからぶつけているのだ。荷物を返品されても持てない状況は変わらない。
だから、そのことは一応、謝っておく。そのうえで、怒りの奥にあってほんとうに感じているさみしさや傷つきに耳を傾けて、それに応えていくのだ。
その時にこちらもアドレナリン全開モードでは、相手の話は聞けない。こちらも怒りをぶつけられて不快になっている気持ちを受け止めきれずに、その状況の原因は相手にあるとし、防衛あるいは攻撃しようとしているからだ。
そのモード同士では、折り合うことはできない。責任の所在の言い合いから建設的な対話は生まれないだろう。
その時に必要なのは、本当に困っているのは自分ではなく、相手なんだと思えるかどうか。相手のしんどさを理解しようと思えるかどうか、だろう。
相手のしんどさをいったん受け止め、聞くことに徹する。
そして相手がそれを再び持てるよう、不純物はろ過して、軽くしてお返ししていく。
その対話の流れから、相手は少しずつ、これまでの自分の物語を内省的に語りたくなる。あなたと私の中で受け止められるようになってきたからだ。
その姿勢に共感しつつ、その物語の中にある、本当に傷ついている心に気づかなかったことについて、もう一度、今度は敬意をこめて謝る。
「これまで大変苦労してこられたんですね。そうとは知らず、いろいろとごめんなさい」
この時の謝るは、漢字の通り
「言葉で射る」のだ。
相手の心を。
「こちらも言いすぎた。聞いてくれてありがとう。」
そんな言葉で今日の怒りの電話は終わった。
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