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「エラー」こそが「会話」を生み出す.「会話」は育って「コミュニティ」となる.つくり手は、そのことを自覚しよう! その上で、何をどうデザインするか。

コミュニティ、コミュニティと言いますが、そもそもどこからはじまっているのか、そのことについて、あまり話されていないので、今日はそのお話を。

コミュニティが生まれる、その源って何?

コミュニティの一番最初って、どこにある? 何なのでしょうか? いきなりポンっと生まれるものではありませんよね。で、あるときふと思いました。コミュニティって、どういうプロセスで、生まれ、形作られていくものだろうか。そして、その源を、脳内でたどってみたわけです...

(グルグルグル妄想タイム……)

すると…… そうか!!人と人が出会い「会話」(コミュニケーション)しはじめたその瞬間だ!!と、気付いたんです。人と人とが出会う、その時点ではコミュニティではありません。はじめて出会った人同士が、何かをきっかけとして、「会話」がひとつポッと生まれる。互いに言葉を交わし、重ね、認識を深めて行く。共感が生まれると親近感を持ち、信頼度が増す。さらに会話が深まる。

やがて、時間をかけて、そのまわりに一人、また一人と、アメーバーのように色や形をかえながら、関係性が膨らんでいく。それを私たちは、ぼんやりとコミュニティと呼んでいるのだと思います。とても有機的なもので、人間と同じように、コミュニティには同じものはありません。そして、固定化されていくものもあれば、常に流動的なもあります。

ってことはですよ。コミュニティの最初ってのは、知らない二人が「会話」(コミュニケーション)をした、その瞬間なんです。まさにこれこそが“コミュニティの種”なんですね。

もちろん、その種から大きく成長するものもあれば、種だけで終わる場合もあるでしょう。とにかく、知らない人同士が「会話」したものが、種となり、コミュイティという苗が育っていく。そういうことだったわけです。

人が出会い「会話」がはじまるのはどんなとき?

そうか。巷でみんなが欲しがっている「コミュニティ」ってもののきっかけは、ある人と人との「会話」だったんだなと。だったら、その「会話」ってどやったら生まれるのかな?というのが次の問いです。

人と人が「会話」をしはじめるときって、どんなときだと思いますか? あなたにとってのこれまでのシチュエーションを思い出してみてください。これまで世界中のいろんな場所で、あるいは日常の「喫茶ランドリー」を見てきて、ひとつの結論が出ました。

それは、「会話」とは、「コミュニケーション」とは、すべて「エラー」からはじまる!ということです。

例えば、目の前に知らない人がいたとして……

えっ!?

えっ!あっ!!

ん?なんだ??

となると、思わず、「どうしてヒマワリを?」「僕の顔に何かついていますか?」「コーヒー屋さんですか?」と話かけてしまいます。上の写真の人たちが、ただ立っていただけでは、話しかけづらいのだけど、通常の状態とは異なる人を目にしたとき、私たちは、その対象に猛烈に話しかけやすい状況を獲得できるのです。

つまり、この会話のきっかけになってしまうことは、すべてこ「エラー」なんです。

通常の状態とは異なるという意味において、これをあえて「エラー」と表現しました。そして、ここでの「エラー」にはネガティブなものと、ポジティブなものがあります。

困ってしまった、問題に直面した人がいたとしたら、これはネガティブな「エラー」ですね。「大丈夫ですか?」思わず話しかけてしまいます。心配したり、怒ったりする際に、他者に話しかけるものですね。

逆にポジティブ「エラー」には無限の可能性があります。ファッションや身につけるものはもちろん、その行動や行為が、その人ならではのものが露出すればするほど、ポジティブ「エラー」度は高まり。「それは一体なんなのか?」という、他者に大きな興味を抱かせていくのです。

そしてポジティブ「エラー」を介した、他者との会話は、立場や言語の壁を簡単に突破します。

コミュニティをつくりたい! つくらねば! どうしたらできるのだ! と、いろんなところで見たり聞いたりします。でも、今回のような話を、まずは理解しておかなくては、何もはじまらないと思います。

コミュイティにも、質(クオリティ)があるということ

もうひとつ気になることがあります。

喫茶ランドリーにいらっしゃる方、共感していただく方の多くが、「私も、こういうコミュニティの場所をつくりたいいんですよ」と、おっしゃいます。しかし、そうやって「コミュニティ」と口にする人ほど、実はその多様性をほとんど理解、想像できていないと思うことが多々あります。

「コミュニケーション(会話)」のきっかけも、そこから生まれた「コミュニティ」も、そのカタチや種類は、私たち個人のちっぽけな脳みそでは、想像できないほどメチャクチャ多様なのです。そのことを、まず理解しておかなくてはいけません。

そこを理解していないと、自分で想像できる範囲で「コミュニティ」というものを固定化させてしまいます。

たとえば、安易にやりがちな「●●好き集まれ!」的な強制的なコミュニティ。もちろん、悪くはありませんし、そのとき集まった人々は幸せでしょう。しかし、そのほとんどは、持続性がなく、最終的には文化・カルチャーにまで昇華していきません。周辺社会に対する影響をほとんど持たないのも言うまでもありません。

それよりも、ある個人同士の、ちょっと変で、理解不能で、異物的なやりとりから自然発生的にはじまった「コミュニケーション」ほど、見たことがないけど面白く、しかし誰しもを受け容れる「コミュニティ」となる可能性が大きかったりします。そして、そういった「コミュニティ」ほど、地域や社会を、支える力を少しずつ備えていくものです。「コミュニティ」の真の多様性を理解できていると、コミュニティを生み出す器作りのデザインは、必ず変わってきます。

まずは私たちが持ち得ている、わけがわからないほど多様な「会話」のきかっけを表出させるにはどうしたらいいだろうか? 次にそのような新しい問いが生まれるのです。で、街で、道で、広場で、施設内で、オフィス内で、学校内で、お店の中で、どうすれば、それができるのか。そのためのデザインってのは、何ができるのかを考えていく。

今の日本に必要なのは、そこからのデザインの議論です。

「コミュニティ」をつくろう!と意気込む前に、他人同士の「会話」が無限にわき起こる状況は、どのようなデザインでつくれるのかを考えよう!それこそが社会を大きく変えていくはず。

というわけで、今日はこの辺で。

1階づくりはまちづくり。


【最後に余談】
「コミュニティ」「人とのつながり」そんな言葉は、多くの人は使いません

最後に余談ですが、「コミュニティ」なんて言葉を日常的に使う人たちは、それはとっても“作り手目線”なのだ、ということを自覚しなくてはいけません。日常に生きる多くの人たちは、「コミュニティ」なんて言葉は使いません。友達と話せたこと、助け合えたこと、新しい出会いのこと、いろんな人と人との関係に、それとなく幸福感を感じたり、逆の場合は淋しさを感じたりしている。ただ、それだけ、であって、それをわざわざ「コミュニティ」なんて言葉では表現しないのです。人との「つながり」というワードも、よく見かけますが、同じです。そのような感覚を、多くの人は言語化せず、無意識に感じているものなのです。
【アップ直後の執筆後記】
私たちはコミュニティの場をつくりたいなどと思ったことは一度もありません。それでも、「私も喫茶ランドリーのようなコミュニティの場をつくりたい」と、田中も僕も何千、何万回と言われてきました。どうやら、そう仰っていただく方のほとんどは、コミュニティとは?という哲学をしていないように思います。人一人の人間が、どれだけ愛おしく、コミュニティなるものが、どれほど自分の想像を超えて多様かという理解が必要かと。それがあると、形無きコミュニティといものの形成プロセスが見えてきます。あなたの街に、できるだけ多くのコミュニティを創り出そうというときに、何をどうデザインすれば良いか、これまでの何が間違っていたのかが、より鮮明に見えてくると思います。

大西正紀(おおにしまさき)

ハード・ソフト・コミュニケーションを一体でデザインする「1階づくり」を軸に、さまざまな「建築」「施設」「まち」をスーパーアクティブに再生する株式会社グランドレベルのディレクター兼アーキテクト兼編集者。日々、グランドレベル、ベンチ、幸福について研究を行う。喫茶ランドリーオーナー。

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大西正紀
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