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まちで「挨拶」が増えた理由.「コンビニ」「喫茶」「立ち飲み屋」自分の手元で咲きはじめていた「暮らしたいまち」.
この文章は、土木学会がnoteで開催する「 #暮らしたい未来のまち 」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。
生まれてから、大阪、台北、千葉、ロンドン、高円寺と暮らし、ひょんなきっかけで隅田川沿いの東東京に住みはじめて、早17年にもなる。
このまちに暮らしはじめてから、一時期は大学に勤め、またそのあとはフリーランスのように働くことになっていった。暮らすまちでの自分の行動といえば、基本は家と駅の往復、その間に、コンビニやスーパー、ちょっとしたチェーン系カフェが挟まるくらい。
自分の暮らすまちに、友だち、知り合いといった、まち中で挨拶を交わすような人の存在は、ほとんど皆無だった。
でも、だからといって不幸せなんてことはなかった。仕事だって、人間関係だって、むしろ恵まれていると思っていたのだから。
ところがある時から、私の暮らしの感覚が少し変わりはじめていった。
まちのコンビニがある日変わった
家から400メートルほど。隅田川にかかる橋のたもとに、薄暗いコンビニがあった。商品があまり充実していない。外から覗くと店員のおじさんが居眠りしている。そんなコンビニ。
ある日の深夜、信号待ちの車から、横目にそのコンビニ。明るく変わった軒先、店内外で、大人たちが、缶ビールを飲みながら談笑していた。
呆気にとられながらも、何がどうしたのか。
恐る恐る近づいてみたのは、数日後のことだった。
近づいていくと、すべてが変わっていた。店内が明るくなり、商品は充実。随所にマスターの思いが溢れている。これでもかという種類のカップラーメンが並ぶ、独自のセレクト。
軒先には4枚のレコードが立てかけられていた。時事的なこと、あるいは季節によって、レコードジャケットたちは変幻自在に変わり、「このアーティストって○○だよね」と、お客さんとの会話の呼び水となっていた。
世代交代をして、息子さんがはじめた想いのある自由な運営。やがて、そんなエッジーなコンビニには、ご近所さんから、たまたま通りがかる人までが集い、毎夜小さなダイバーシティーを織りなしていく。
他人同士の出会いは、コンビニという舞台をさまざまに変化させはじめる。DJイベント、フリーマーケット、いろんな楽器のスクールに、バンドの発表会まで、いろんなことが開催されていった。近くの川辺でバーベキュー大会を開催したときは、50名以上の老若男女が集まった。
いつしか“レコードコンビニ”と呼ばれるようになったその場所は、私に家と駅の間に現れた、新しく立ち寄ることができる場所となった。
あえて手前の駅で降り、立ち寄り、挨拶がてら一缶いただく。
誰ひとり常連ぶる人はいなかった。誰もが、はじめての人をもやさしく迎える空気がいつもある。だからいつも、知らない誰かとも「こんばんは!」と言い合える。帰り際に「おやすみなさい。またね」と言い合う。
新しい心地よさを感じながら、生活にひとつ潤いが生まれた。そんな感覚を持ちはじめていた。
自分の住むまちに喫茶店をつくる
偶然が起きるまちは素敵だと思っていた。
でも、こんな偶然もあるのか。自宅からコンビニとは反対側、300メートルにランドリー付きの喫茶店をつくり、オーナーとして運営する流れになってしまった。
お店の名前は「喫茶ランドリー」。
一度も飲食店経験がないのにはじめてしまい、看板もなく、メニューも無い、あり得ないスタートを切ることになった。そんなお店がどこにあるだろう。
でも、こうありたいというヴィジョンは、パートナーの田中と散々話し合っていた。店名に添えられたコピーは「どんなひとにも自由なくつろぎ」。0歳の赤ちゃんから、高齢の方まで、誰もが気軽にアクセスできる場所であったほしかった。そしてそれは、家と駅の往復しかできていなかった、自分たちが、暮らすまちに一番欲しいものでもあった。
私たちの想いに、まちに暮らす人たちが、それぞれに応えてくださった。1ヶ月もしないうちに、私がつくったケーキはどうだろう?と提案してくださる方もいれば、こんな場所ができて嬉しいよ、と連日通ってくださる方がポツポツと出てきた。
「また来るね!」まちに暮らす、さまざまな方とのそんな会話の連続で、お店は少しずつ変わりはじめていった。
4名のスタッフたちはみんな、お店から半径300メートル以内に住んでいた。「働いている時間に、子供を連れてきてもいいよ!」「シフトに入っていないときも洗濯は無料でいいよ!」そんな条件も功を奏して、みんな生活の一部に喫茶ランドリーが存在しているように働いてもらえるようになった。スタッフとの人間的なコミュニケーションを通してまた、まちの人たちと次々とつながっていく。
来店してくださった方々には、「されたいことがあれば、何でも声をかけてくださいね」といつも伝えいていた。
9人のママたちが、パン作りをしたいと生地をこねていることもあれば、母の誕生日を祝いたいと、ショートケーキを持参で来店された娘さん。ご婦人がお孫さんをたくさん連れて、一族の忘年会を開催したいと、貸し切ってくださったこともあった。そんなドラマも毎日折り重なっていった。
人はこんなんにもやりたいことがある。でも、実現できる場所っては、ほとんどなかった。
人はこんなにも会話するきっかけが欲しい。でも、そのきっかけはまちには、ほとんどなかった。
その気づきは大きかった。よりアクティブに喫茶ランドリーを使い倒してほしいと思い、コロナ禍にも関わらず、今日もまたさまざまな人を受け入れながら成熟を続けてきている。
活版印刷屋の立ち飲み屋
喫茶ランドリーができて、1ヶ月が経ったころ、300メートル先に、変わった立ち飲み屋さんがオープンした。昼間は活版印刷屋さんで、夕方から業態が変わるお店だった。
喫茶ランドリーは、夕方に閉店なので、少しすると閉店後にそちらを訪ね、夜の時間を楽しむようになっていった。
何が提供され、何が許されるか、どんなデザインで人を受け入れるかは、本当に面白い。その活版印刷飲み屋はまた、DJコンビニ、喫茶ランドリーとも異なるお客さんが立ち寄るような場所になっていった。
そして、そこでもまた、さまざまなことが起きていった。弾き語りライブが行われることがあれば、DJイベントが行われたり、料理の得意なお客さんが、ある曜日だけスペシャルメニューを出すこともあった。
みんなで美味しい朝ご飯を食べよう!
ついには週末の朝に、常連さんたちが、さまざまに得意料理をつくり、販売する朝市なるイベントも開催された。そこにまた、夜には出会うことのない、まちに暮らす老若男女が行き交う光景が生まれていった。
まちを歩いていて挨拶のある世界
この3つのお店が特徴的なのは、他者を信じる心が育つ場になっていたということだった。
だからこそ、それぞれの場所が強く人を引きつけ、受け入れる。人と人とが出会い、会話を交わしはじめる。その輪が広がったり縮んだりしながら、時にはその時だけの小さくともスペシャルなお祭りが行われていく。
そしてまた、人は移動しはじめる。次はこっちの場所へ、次はこっちの店へ。もちろん3つのお店以外の場所も次々と関係がつながっていく。人と人との出会い、関わり方の色合いは相乗的に多様さをより一層増していく。
「あっ、こんにちは!」「おひさしぶり!」「また会ったね」「元気してた?」「最近どう?」「今日はどこかいってきたの?」「そんなことあったんだね」「わぁ、また大きくなって」「○○さん、最近見かけないの心配だね」「これ、お土産どうぞ」「よかったら、これ使う?」「○○できたらしいから、一緒に行ってみる?」「それは辛かったね」「大丈夫だよ、やれるって」「それだったら、今度手伝うよ」「それいいじゃん、やろうよやろうよ」
目を閉じて、鳥の目で街を妄想していると、まちのそこかしこからスモールトークが聞こえてくる。
ある日の夜、24時をまわろうとしていた深夜。
忘れ物を取りに自宅から喫茶ランドリーへ歩いていたら、前を怪しげな長髪の男性が歩いていた。ぺたんぺたんと音を言わせながら、サンダルで歩く男性。抜きがけにフッと横目に見ると、たまに活版飲み屋やDJコンビニでも会っていた、ミュージシャンの方だった。
お互い「あっ!」と目を見合わせて、「こんばんは、お久しぶりです!」「こんな時間にどこへ?」「あっ、これから銭湯の掃除の仕事で。。」「そっか、この時間からなんですね」「僕は、喫茶にちょっと」「ではここで!」「はい、頑張ってくださいね!おやすみなさい」「ではではー」
実際に、私の生活も変わった。
まちかどで、立ち寄った先で、「こんにちは」「こんばんは」と挨拶を交わせる、そんな人が何十人も生まれていた。
隅田川にかかる橋を渡りはじめる。交わした言葉の余韻がじわじわと。目の前には自分の暮らすまちが広がっている。これは橋がここにかかっていたから得られたささやかな幸福感、とも言うことができるだろうか。
ある夜、そんな幸福な気持ちが自分の中で確実に膨らんでいることを自覚した。そして、いつの間にか、ここに暮らすこれまでになかった心地よさを持てていることにも気づいた。
以前にはなかった感覚。
暮らしたい未来のまちは、自分の手元で咲きはじめていた。
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大西正紀(おおにしまさき)
ハード・ソフト・コミュニケーションを一体でデザインする「1階づくり」を軸に、さまざまな「建築」「施設」「まち」をスーパーアクティブに再生する株式会社グランドレベルのディレクター兼アーキテクト兼編集者。日々、グランドレベル、ベンチ、幸福について研究を行う。喫茶ランドリーオーナー。
*ベンチの話、喫茶ランドリーの話、グランドレベルの話、まだまだ聞きたい方は、気軽にメッセージをください!
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