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看取り・祝福のプロセス

 かつて離婚後に数年間に渡って一緒に暮らしていた叔母(父親の姉)が「看取り期」という命の段階に入っています。危篤の少し前の段階ということです。
 叔母はかねてから老健施設に入居していましたが、コロナになってからここ3年間、ほとんど面会ができませんでした。たまにガラス越し、アクリル板越しに面会できても、叔母の体に触れることができませんでした。
 そんな叔母が昨年末に腎盂炎から入院。退院して再び慣れ親しんだ施設に帰ってくることができたものの、食べ物を食べることができなくなり、点滴のみで命をつなぐ状態になりました。
 ところがこの「看取り期」に入ったことで、なんと面会が自由になったのです!

 「静養室」という個室に移り、人数は限定されていますが、時間の制限も無く面会することができるようになりました。
 数週間前にまさに3年ぶりに叔母の体に触れました。体を動かすことも、話すことも、見ることもできなくなっている叔母ですが、私が声をかけて触れた瞬間にかっと目を見開いて、顔を歪ませて嬉し涙を流しました。これまでどんなに孤独だったことか、叔母の気持ちが伝わってきて私も泣きました。
 それからは家族が代わる代わる叔母に会いに行っています。部屋からオンラインで離れた家族につないで、声を聞かせたりもしています。
 このご時世に最後の日々を家族と触れ合いながら過ごすことができるなんて、叔母はやっぱりついてる!守られている人だなーと思いました。
 小児麻痺で生まれつき不自由な体で、生活も行動も制限され続けた叔母の人生ですが、叔母は何一つ不平不満をこぼしたことがありません。いつもニコニコと仏様のような笑顔で座っていました。
 叔父(叔母の弟)はここ最近会うたびに「姉はいま肉体から解放されて本当に自由になろうとしてるんだよ。だからおめでとうって送り出したいよね。」と話してくれます。叔母を「看取る」中で、存在は光以外の何ものでも無いことが本当に分かって来たとも言っていました。

 点滴だけで身体を維持している叔母ですが、その点滴も浮腫みが出てきて入らなくなって来ていて、点滴を止めなくてはならない時が迫って来ています。
 ところが、今日の午前中に叔母を見舞いに行った時に、ベテランの介護士の女性が面白い話しを聞かせてくれました。
「点滴が完全に止まってからも、人って生きるんですよ。むしろ点滴を止めてからがどんどん体が綺麗になって行って、その状態で一か月間生きられる方もいます。そんな例をいくつも見て来ました。最後はその方次第だという気がします。」と。
 その話しを聞いて、人は物質に依ってだけ生きているのではないのだなと、改めて思いました。そう思うと自分自身がとても軽く自由になるような気がしました。いつ肉体を終えるのかは、叔母自身が決めることなのでしょう。
 この介護士さんが叔母に話しかけながら叔母の体位を替えてくださるのを見ていて、出産を介助する助産師さんのようにも見えました。

 一か月ほど前にある強烈な夢を見ました。
 その夢を見て目覚めたあと、私は完全な絶望感の中にいました。それはこんな夢です。

 飼い猫の死体が部屋にあります。(でもこれまで飼ったどの猫でもない)  
 私はその死んだ猫を埋めることも火葬することもできずに、数日の間部屋に置いていたようでした。
 すると突然にその猫が生き返ったのです。
 生き返った猫は言葉を喋りました。私に向かって「ごはんが食べたい」と要求します。
 猫は生き返ったものの、体のあちこちはとっくに傷み始めていて、内臓はもう食べ物を消化できないだろうと思いました。
 けれども猫の方は、また再び自分が元気に生きていた時と同じことができると思っているのです。「もう君はご飯を食べることはできないんだよ」と告げるのはとても可哀そうな気がして、私はキャットフードをどろどろにお粥のようにして与えました。
 なんとかご飯を食べた猫は、今度は「遊びたい」と言いました。
 部屋には他にも数匹の飼い猫たちがいて、生き返った猫はその猫たちと遊ぼうと追いかけます。けれど傷みのきている体は、走り出した途端にぼろぼろと崩れていくのでした。
 私は、体とは裏腹に心だけは元気に生きている時のまんまのこの猫が、涙が出そうなほどに可哀そうで仕方がありませんでした。
 ついに動くことができなくなったこの猫を、私はできるだけ温かくして死なせてやりたいと思い、家中から一番温かそうな毛布を見つけ出しました。真っ赤なふかふかの毛布に猫の体をくるんで抱いてやりながら「もう一度死ぬんだね」と思いました。

 目が覚めた時、自分でも不可解なほどに深い絶望感を感じていました。自分の存在が保てなくてばらばらになりそうでした。この、一度死に、一度生き返り、再び死んだ猫は私自身であり、インナーチャイルドでもあると感じました。
 この日は仕事がありましたが、布団から起き上がるどんな力も無いように感じました。けれど「悪夢を見たので仕事を休む」なんて許されるわけが無いと思い、ありったけの理性を振り絞って、なんとか起き上がって仕事に出かける準備をしました。
 冷たく硬い石のように、私のみぞおちの辺りにこの絶望感は居座りました。けれども、この絶望感から逃げることもできずに、家事をしながらみぞおちの感覚をじーーっと感じていると、その絶望感がある所と同じ場所から、「力」としか言いようのない何かが湧いて来るのを感じました。
 その時のフィーリングは、何かが完全に燃え尽きて灰になったところに、今までとは全く違う、新たな命の火が宿った、そんな感じでした。
 その時に直感的に理解したことは「完全に死んだ後にこそ、新たな命は宿る」ということでした。生半可に燃えるだけでは不十分なのです。燃え尽きて、灰になる必要があるのです。
 考えてみると自分の行動的なエネルギーが変化したのも、この夢を見た時期とシンクロします。
 今の叔母に起きているプロセスと、自分自身に夢を通して起きたプロセスは、どこかひとつながりのような気がします。共通しているのは「肉体の命を放棄した先にある、不滅の命」の感覚とも言えるかもしれません。

 この夢を見たあと、絶望感にさいなまれてやりきれない気持ちの中でイエスにすがりました。イエスは「その猫の命を、肉体とは関係の無いところに感じることはできるかい?その猫の命を、完全な自由と永遠の中で生かしてやることはできるかい?」という言葉を伝えてくれました。それを生かす事ができるのは私自身なのだと思いました。
 心の中でワークするように、「死んだ」と一度は思った猫の魂が、肉体が生きていた時よりももっと活き活きと、やりたいことをやりたいようにやって生きているところをイメージしました。
 そして思いました。こうして愛する人や愛する存在に死を見るのか、命を見るのかを、私たちは選ぶことができるのだと。
 愛する人に(そして自分自身にも!)、どんな時も命を見続けること。そのことこそが「愛する」ということなんだと、そのことが理解できました。看取りというプロセスは、祝福のプロセスに他ならないのですね。


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