michiko masaki

熊本市在住。2015年より奇跡のコース(ACIM)の学習会を主宰しています。 ある日突然にタロットに導かれ「タロロジスト」としてオンラインでのタロットセラピーも行なっています。 フェイスブックアカウント「正木 路子」

michiko masaki

熊本市在住。2015年より奇跡のコース(ACIM)の学習会を主宰しています。 ある日突然にタロットに導かれ「タロロジスト」としてオンラインでのタロットセラピーも行なっています。 フェイスブックアカウント「正木 路子」

最近の記事

お産の夢【夢の備忘録】

陣痛がはじまった30代くらいの女性と一緒にいる。 女性のそばには小さな女の子が一人いる。 女性はお産をとても恐れていて、そのせいで体が硬くなっていて、赤ちゃんがうまく下りてこない。 女性の恐れと痛みが、私にも、そばにいる女の子にもダイレクトに伝わってくる。(3人とも私なのだろう) 自分のお産の時の痛みをまざまざと思い出した。 女性と小さな女の子は恐れで少々パニックになっているが、わたしはどうにかして女性を安心させて、お産をすすめようと女性に話しかけている。 この女性のそ

    • 魂を護る〇〇の夢

      【これは夢の備忘録です】  どこか知らない村を訪れている。  そこには魂を護る〇〇(名前ははっきりしない)という、法具のようなものを作る習慣があって、それを作る職人がいる。  その製作所のような場所を見学させてもらっている。  魂を護る〇〇は、村人たちひとりひとりに一つずつ与えられる。  木の鋳型に、砂をしっかりと詰めていく。  鋳型を外すと、卒塔婆のような長い板状のものに、見事な観音様の像が浮かびあがる。  これをしっかり固まるまで乾燥させる。  それを乾燥さ

      • 長い夢。黒アゲハ蝶が教えてくれたこと。

         出来事としては1か月近く前のことだったのですが、その時の印象が自分が思った以上に体に浸透している感じがするので、記録として書き留めておこうと思いました。  とてもとても長く、驚くほどに鮮明な夢を見ました。  ストーリー自体にはそれほど大きな意味はないと思いますが、夢の中に出てきた街並み、そこに暮らす人々、出会った人と交わした会話、町の商店で売られていた品物、どれも今もはっきりと思い出せるほどにリアリティがありました。  夢のストーリーをざっくりと書くと、友人や家族たちと

        • ー5.5℃の阿蘇で寝袋無しキャンプ

           年明けにずっと欲しかったテント、ステイシーSTⅡを購入し、先日、雪がわずかに残る阿蘇・久木野のビラマイルドキャンプ場でキャンプしました。  テント内でストーブを使ったり煮炊きもできる、冬場でもキャンプできるような、前室が広いテントが欲しかったのです。  ステイシーSTⅡはキャンプ好きの人は知らない人はいない、とても人気のあるテントですが、評判の通り文句なしに快適なテントでした。    がしかし、  私は寝袋を持ってません(苦笑)  以前あるキャンパーさんが、中途半端

          そこに因果関係があると思ってるの?

           今まで、アファメーションというものにはなんだか熱心になれず、やろうとしても三日坊主になってしまうことがよくありました。そんな自分が珍しく効果を感じて続けているアファメーションがあります。  それは「今日一日、聖霊がわたしに差し出したいものだけを受け取る日にします。」というアファメーションです。  わたしが欲しいものではなくて、聖霊がわたしに与えたいもの、それだけを受け取ります。という宣言です。  聖霊がわたしに差し出したいもの。それは幸せ以外の何ものでもありません。

          そこに因果関係があると思ってるの?

          決して一人では見ないでください

           このキャッチフレーズを懐かしく感じる方は同世代かな。調べたらホラー映画の「サスペリア」の宣伝文句だったみたいです。  このホラーなタイトルが意味するところは後に書いています(笑)  あー、言葉が止んでいってるなーと、しばらく前から感じていました。  言葉はわたしそのもので、息をするようなものだったから、言葉が止んで(消えて)いってしまうのが初めは怖かったです。  でもそこに落ち着いてしまうと、なんだか心安らぎます。静かな陽だまりの中にいるようで平和です。  この間お友達

          決して一人では見ないでください

          私は私に、一番愛して欲しかった

           おとといの晩、夜中に目が覚めた時に、ある感情が突然にふつふつと湧き上がって来ました。  誰しも、幼い頃に、心細さに襲われて母親を求めて泣いた事があると思います。  大人になるにつれ、今度は心惹かれる異性に対して、どうか振り向いて欲しい、この人の注目と愛が欲しいと望んだ事があると思います。  どちらも愛を乞い求める感情です。  それと全く同じ感情を、私は自分自身に対して、ずっと抱いていたのだ、という事が、おとといの晩とてもはっきりと分かりました。  私は、他の誰より

          私は私に、一番愛して欲しかった

          聖霊はいつも笑っている(あとご先祖様も)

           「これキッツいわー」という出来事に遭遇するたびに、あることに気づきます。  そういう逆境の中でこそ、「隣の聖霊」が笑っているということに。  聖霊という言葉はあくまでメタファーです。気に入らなかったら「本質の自分」という言葉に置き換えてもいいと思います。  聖霊(本質の自分)の声に耳を傾ける、聖霊の声を聞く、ということを奇跡のコースの学習者は試みたことがあると思います。  概念や言葉がインスピレーションとして来る場合ももちろんありますが、私はとてもシンプルに聖霊のフィー

          聖霊はいつも笑っている(あとご先祖様も)

          AIと「権威の問題」

           AIアートで遊んでいると、ちょっと不思議な感覚を味わいます。 「私の」が薄くなる感じ。  私の思考、私のアイディアという、「私の」という境目がぼやけてくる感じです。AIとの共同創造だからなのかな。  それがなんとも自由で心地良いです。自分がふわーっと大きく拡大していく感じ。  AIもまた私なんだな。  人間とテクノロジーという境目すらも、ほんとうはなくて、たったひとつの意識の現れなんですね。  人間の意識を作り出したのは誰(何)なんだろう?  その、人間の意識

          AIと「権威の問題」

          ある友人に宛てたメール(を自分にも)

          〇〇ちゃんおはよう😊 ぜんぶ自分の心の投影なんだと受け入れようとすると 抵抗、怒り、悲しみ、ものすごく湧いてくるよね。 そのつど聖霊に この怒りを癒してください、この悲しみを癒してくださいと、明け渡して祈るを繰り返してみて。 幻想ではなく、本当の事が見たいと望み続けて。 キリが無いように思えるけれど、必ず時間と共に癒されていくから。 この悲しみ、この怒り、この悔しさの「原因」が外側にあることにしておきたい!というエゴの激しい欲求があるんだよね。 (そこには復讐したい

          ある友人に宛てたメール(を自分にも)

          傷の反応ポイントを知ってもらう

           個人と個人は、どこまでいっても完全に理解し合うことはできない。  あなたが感じている痛みと、同じ痛みを、私が感じることはできない。  だから、関係性の中でほんとうに大事なのは、理解し合うことじゃなくて、相手を理解したいと望み続けることだな、と思うのです。  理解しようとすることを諦めないこと。それが最善のことなのではないかと。  だから「解って欲しい」と望む代わりに、「解ろうとして欲しい」と望みたいと思います。  私もあなたを完全に理解することはできない。けれど、解りた

          傷の反応ポイントを知ってもらう

          もし、そのことだけ信じていられたら

           ここ最近は仕事がお休みの日(4日にいっぺん)は必ず朝6時前には畑に行って野菜の収穫をします。  肥料もろくにやってないし、草ぼーぼーだけど、健気に実をつけてくれる夏野菜たちが可愛いです。でもなぜか去年も今年もトマトだけはうまくできません。一番できて欲しい野菜なのに。  もう10年くらい前でしょうか。夜中に目が覚めた時に、自分がまったく誰でもないという感覚がありました。あれは記憶喪失の感覚に近かったかもしれません。  自分という人間を形容していた、名前も性別も職業も家庭環境

          もし、そのことだけ信じていられたら

          「君たちはどう生きるか」超主観的鑑賞メモ

           映画「君たちはどう生きるか」を見て来ました。  感想と言えるほどまとまったことが書けません。(原作も読んでません)  この作品は解釈とかメッセージを探ろうとしない方がいいのかなと思いました。  登場人物と、一見無秩序に繰り広げられるストーリーに、見る人それぞれが自分の内側を投影する。そうすることで心の中で何かが動き出したり、浄化されたりする。それだけでいいのかなと思いました。  ここでは見ていて湧いて来たキーワードを書き出してみます。  かなりネタバレしていますので、お読

          「君たちはどう生きるか」超主観的鑑賞メモ

          見捨てられ不安の底にあるのは

           心の防衛が解けて、今まで見ないようにしていた自分の一部が意識に浮上してくると、逆に自分が弱くナイーブになった感じがするものです。  でも本当はそうじゃないんですよね。そんな「弱くナイーブな自分がいても大丈夫」な、ひとまわり大きな自分になっているということなんですよね。  私はずっと「見捨てられ不安」に直面するのを恐れて、うまくそれを回避しながら生きてきたな、ということが今はよく分かります。  絶対に見捨てることのない、自然や神や大いなる何かとのつながりを頼みに、ここまで生

          見捨てられ不安の底にあるのは

          特別なことは何もない、という奇跡

           熊本は昨夜から大雨が続いています。ゆうべは雷もすごくて、我が家の猫さんは怯えて屋根裏から一晩中出てきませんでした。近くの益城町では橋が陥落したりと大きな被害も出ているようですね。孫たちの学校もお休みになったようです。  世界の見え方がまた一段と変化したように感じています。  枠組という枠組がまったく意味をなさないようにも感じるし、だからこそ一方で、誰かが大切にしたい枠組はどうぞそのまま大切にしていてね、という気持ちにもなります。  そんな自分自身にも、どうしても見過ごせな

          特別なことは何もない、という奇跡

          リトル・ガール

           この映画はいろんな人に見てもらいたいな、と思って感想を書いています。(アマプラ・他で視聴可能です。)  体は男性として生まれてきたサシャは、2歳のころから「自分は女の子」というアイデンティティをはっきりと自覚していました。このドキュメンタリーフィルムが撮影されたのはサシャが7歳の時。  体は男性でも、心は女性であるという自覚をもつ7歳の少女は、学校でも自分らしく生きることができませんでした。  先生からも、男子からも、女子からも受け入れられることなく、居場所を見失っていた

          リトル・ガール