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海外SF小説『アインシュタイン・シーソー』第3回(全5話)

"The Einstein See-Saw" by Miles John Breuer

作・マイルズ・ジョン・ブロイアー

翻訳・広真紀

初出『アスタウンディング・ストーリーズ』(1932年)

悪の科学者を調べていたフィルとアイオナは不思議な超宇宙空間に迷い込む。


第三話「写真の女性」

 エグザミナー紙記者、〝ビュンビュン〟・ハレンことフィル・ハレンは、編集長に呼び出されたその日、幸運の女神が自分に対してこれ以上ないくらい明るく微笑んでいるように感じられた。
「おまえは捜査当局に気に入られている」と編集長は言った。「とくに、金庫消失班とは仲が良い。というわけで、いまやっている他の仕事をやめて、この事件に専念し、読者が欲しがるものを集めてこい」
 フィルも一刻も時間を無駄にしなかった。編集長が背中を向けるやいなや、彼は部屋を飛び出した。それが彼が〝ビュンビュン〟と呼ばれる所以だった。何かことが起こった時、偶然か必然か、彼はいつも現場にいた。今回も、命令を受けてから六十秒後、彼はタクシーの中にいて、警察本部に向かっていた。
 偶然か必然か知る由はなかったが、彼は今回もとっておきのチャンスを得た。彼が警察に到着したちょうどその時、警察署からワゴン車が飛び出してきた、車の中には紺色の制服を着た警官や私服刑事がいた。服の袖に山形の袖章をつけた赤ら顔のがっしりした男が運転席の横にいて、フィルを見て手を振った。フィルは車の後ろに飛び乗った。車が通りを駆け抜ける間、針金格子に手をかけて運命の女神が微笑むのを待った。車の中にいた連中はニヤニヤ笑っていた、彼らのフィルをよく知っていて、しかも大好きだったのだ。ドアが開いて彼は中に迎え入れられた。中にはジョンソン巡査部長がいた。
「どうしてわかったんだ? 理由を言え」と巡査部長は言った。「まさか、心を読んだのか?」
「何のことですか? それより、どこに向かっているんですか?」フィルはあけすけに答えた、警察はフィルのそういう性格が好きで、つきあっているのだった。「教えてくれませんか?」
「いいだろう」巡査部長は言った。「実は、金庫が消えて以来、ある人物を張り込んでいる。狡猾なイタ公のトニー・コステロだ。ここのところずっとラボで働き詰めだが、足を洗って堅気(かたぎ)になったとは思えない。。羽振りが良すぎるんだ。大量の機械を買っている。メーカーに問い合わせたら、一台何千ドルもするやつだ。銀行にもかなりの預金をしている。だが、やつが何かを売ったり、またよそにいって働いた形跡はない。それでおれたちはガサ入れして、やつに一泡吹かせることにしたってわけだ」
 トニー・コステロを驚かせることはできた。しかし、ラボからは何も出てこなかった。疑わしいものは何もなかった。あったのはおびただしい機械と装置だけで、それがどんなものなのか、わかるものは誰もいなかった。トニー本人も身体検査された。すると、ポケットの中から、革枠の美しい少女の写真が出てきた。
「誰だ?」と巡査部長は訊いた。「おまえたち暗黒街の人間には見えないが」
「知らないね」とトニーは答えた。
「知らないだと?」巡査部長はトニーの胸ぐらをつかんだ。「じゃあ何で持ってるんだ?」
「ポケットに入れたまま忘れてたんだ」トニーは穏やかに答えた。「いつだったかホテルの一室で見つけたんだ。見て気に入った」
「ホテルにいたことは知っている」巡査部長は言った。「まあ、いいさ。知らないというのなら信じてやる。おまえには高嶺の花だしな。しかし証拠として写真は撮らせてもらうぞ」
「ひゃあ!」写真を見てフィルが叫んだ。「美しい。写真でこうだから、実物はもっと美しいに違いない。ねえ、巡査部長、ぼくも撮っていいですか?」
「焼き増ししたのを明日渡すよ。みんなに持たせて調べれば、彼女の素性を知る人物を見つけられるかもしれない」
 翌朝フィルは警察本部で追加情報を得るともに、少女の写真のコピーをもらった。警察は悪のエンジニアと金庫消失の間に何らかの関係があると考えていた。確かに疑わしくはある。事件の裏には科学的な何かがありそうで、トニー・コステロはエンジニアだから科学の知識がある。それに、最近の派手な稼ぎっぷり。トニーが金庫を盗んだのだ。だが、どうやって? そして、それを証明することができるのか? 徹底的な家探しでも金庫は発見できず、何の手がかりも見つからなかった。この連続金庫消失事件は全米でセンセーションを巻き起こしていたから、もし金庫の破片がニューヨークかサンフランシスコで見つかったら、その知らせはここにも届いていたはずだ。しかし、今のところそれはない。それにしても、家探しの間、トニーはずっと余裕で落ち着き払っていた。あの態度は無実であることを示していた、そうじゃなかったら、抵抗するか、取り乱すか、怒り出すかしたはずだ。逆に警察の困惑ぶりを愉しみ、自分は絶対に安全だという自信を見せていた。
「やっこさんをつかまえる方法が何かあるにちがいない」とフィルは考えた。といっても少女の写真を見ながら考えた。心の半分は少女のことに占められていた。数分間見つめてから、写真を静かにポケットに入れた。
 同じ日の夕方五時、金庫消失に関する新しいニュースが飛び込んできた。フィルは電話の受話器を取った十五分後にはもう現場に居た。それまでの事件と同じだった。朝昼晩五〇〇〇人の客が利用する巨大カフェレストラン「食道楽」のスタッフの眼前で六フィートの金庫が消失したのだ。金庫があった場所には錆びついた古いフォード・クーペがあった。彼は頭を振りながら、そこから離れた。
 夕食の途中、突然、彼は席を立った。あることを閃いたのだ。
「ものが消える瞬間にトニーが何をしてるか見てればいいんだ」そう独りごちて、ただちにトニーのラボに向かった。
 ラボから1ブロック離れたところでフィルはタクシーを降りたが、すぐにはラボに行けなかった。というのも、こないだの家探しでトニーに顔を知られていたのだ。顔を合わせるとまずい。フィルは中から気付かれないように慎重に煉瓦造りの建物のまわりを一周した。ラボと通りの間には30フィートにわたる芝生の帯があった。警察に連絡して応援を頼むべきか、それとも暗くなるのを待って単独でやるべきか、彼は迷った。
 彼女を見つけたのはそんな時だった。彼女は通りの反対側、アパート前の配達トラックの車寄せに立って、トニーのラボを注視していた。上品な顎、明るい瞳、波打つ髪、若さ溢れるお日様のような表情! 絶世の美女。彼は急いで通りを渡った。
「すいません!」彼は興奮して叫んだ、帽子を取り、内ポケットから急いで写真を取り出し、「もしかして、あなた――」
「何ですか、急に」彼女は冷たく言い放ち、そっぽを向き、歩き去ろうとした。
 フィルは写真を手に追いかけた。
「待って、ちょっとだけお時間ください」彼は写真を彼女の前につきつけた。
「何なんです?」彼女は眉を吊り上げて彼を見たが、すぐにくすくす笑い出した。
「この写真、あなたですよね?」フィルは尋ねた。「ところで何を笑ってるんですか?」
「怖い人かと思ったら、そうでもなかったから。ところで、この写真はどこで手に入れたの? 教えていただけない?」
「歩きながら話しましょう」とフィルは提案した。トニーのラボから離れたかったのだ。
 二人は歩き出した、彼はいきさつを話した。彼が話し終えた時、彼女は立ち止まって、彼の顔をしげしげと見つめた。
「あなたは悪い人じゃない」と彼女は言った。「わたしに味方してくれるわね。助けてくれる?」
「もちろんです!」フィルは目を輝かせて了承した。
「まず私が誰かからお話ししないといけないわね」と彼女は切り出した。「でもその前に約束してください、ぜったいに誰にも言わないと。あなたは新聞記者ですが――」
 フィルは一も二もなく約束した。
「私はアイオナ・ブルームズベリ。父はシカゴ大学で教授をやっています。父の専攻は数理物理学で、私は助手をしています。父はテンソルの概念を実験により現実化することに成功しました。三次元において空間は滑らかで平坦です。しかし、物質の粒子の周囲には、空間の襞(ひだ)ないし皺(しわ)が存在します。父は偶然にも、空間から物質の一部を除去することでその襞が平坦になることを発見しました。空間をピボットの回りを一八〇度回転させることによって、物質は超宇宙――あなたにわかるように言うと、四次元――を通り、位置を変えるのです」
 フィルは両手で頭を抱えた。
「そんなに難しいことではありません」彼女は微笑いながら続けた。「紙とナイフを貸してください。この紙の両端をXとYとしますね。中央に一本線を引きます。これがピボット――旋回軸です。さて、この紙をピボットを中心に一八〇度回転させます。すると、さっきまでXがあったところにYが、YだったところにXがきます。こういうふうに空間をスイングさせるんです。子供が遊ぶシーソーのように。父はこうやって物質を移動させました。父の机は消失し、二度と戻ってくることはありませんでした。それは超空間を通って別の場所に消えたものと思われます。おそらく、あなたが私の写真を手に入れた場所へ」
「ここへ来たのは、金庫消失事件との関連を疑われたからですね?」
「そうです。実は事件のことを知ったのはつい最近のことです。ずっとヨーロッパにいて」とブルームズベリ嬢は答えた。「帰国して、ニューヨークで金庫消失事件の新聞記事を見た時はびっくりしました。それから、事件に関する記事を集めて、ギャングの手下だったあのエンジニアのことを知ったのです」
「すばらしい推理だ」とフィルは笑った。「ところで、あなたのお父様は何と?」
「父は――」彼女は苦笑して、「いまの大統領が誰なのかさえわかっていません。テンソルにかかりっきりなのです。だから、金庫のことは何も知らないはずです」
「で、あなたはここで何をしようと?」フィルは訊いた。
「とくに何をしようというわけではなく、何かわかればと来てみました」
「あなたの勇気には敬意を表しますが――」フィルは言った。「相手はギャングな仲間です。危険だ。ぼくが調べますから、あなたは自宅か、安全な場所にいてください。何かわかったらお知らせしますから」
「まあ! ひょっとして私がおしとやかなお嬢様だと思ってるのならお生憎様」彼女は陽気に笑って言った。「わたしたちは一緒にスパイするのよ、新聞記者さん。嫌だとおっしゃるなら、私ひとりで」
「わかりました、ご一緒しましょう」フィルは彼女の要求を呑んだ。「暗くなってから動くことにして、その前に何か食べませんか? 実は夕食がまだなんです」
 フィルは実物のアイオナ・ブルームズベリは写真以上に素敵だと思った。頭は切れるし、育ちも良かった。やや古風ともいえる礼儀正しさの中に、優しい心を持っていた。彼女の朗らかな世界観は疲れた神経にとって清涼剤のようなものだった。フィルにとってはこのうえない女性だった。夕食が終わる頃には、このままプロポーズしようかとも思った。トニーのラボに向かう間、彼女と並んで歩くことにウキウキした。
 ラボは広い窓のついた平屋建てのビルだった。通りを隔てたところからは、窓から仄かな灯りが見えるだけで、詳細はわからなかった。二人は芝生を抜けて、ラボの裏側の窓から中を覗くことにした。細長い部屋の中に装置が乱雑に置かれていた。彼らは建物を一周した。フィルは彼女の腕を掴んで、
「あれを見て!」と耳元で囁いた。「真正面の、ちょっと左」
 彼が示したところには背の高い金庫があった。扉の上の部分には金色の文字で「食道楽」と書かれていた。
「今夜消失した金庫だ」フィルが囁いた。「あれで充分だ、さあ、警察に知らせよう」
「おい」二人の背後で静かだが、冷笑的な声がした。「そう急ぐなよ」
 二人は振り返った。二挺拳銃が二人を狙っていた。トニー・コステロの冷ややかな笑顔が街灯の明かりに照らされていた。
「おれの遊び道具に興味があるみたいだな」彼は言った。「面倒なことをしてくれた。さて、どうするか。中に入って考えよう」
 フィルが動こうとしたので、
「動くな!」コステロが鋭い声で怒鳴った。「撃ち殺したっていいんだぞ。おまえらは不法侵入者なんだから正当防衛だ。しかし、おれはそういう乱暴なやり方は好きじゃない。さあ、中に入れ」
 彼の拳銃に脅されて、二人は外開きの窓を開けて、ラボの中に入った。後ろでトニーは独り言のようにぶつぶつ喋っていた。
「そう。おれはきれいにやりたいんだ。エドみたいな乱暴なやり方じゃなく。暴力は俺を苦しめる……」
 部屋に入ると、彼は二人にこう言った。
「さえ、おまえたちの望みは何だ? おまえ、エグザミナーの記者だよな。そして、あんたは写真の女だ。何しに来た? いや、わかってる。金庫だろ。調べたいなら調べるがいい」
 二人が躊躇すると、トニーは地団駄を踏み、甲高い声を上げた。
「金庫を調べろって言ってんだ! それとも他のことが望みか?」
「ええと」フィルは自分を取り戻して訊いた。「他の金庫はどこにある?」
「ああ、お教えしましょう。最後のお願いは叶えてやらないとな。名誉に書かわる。さあ、その金庫のそばに行って!」
 両手に構えた拳銃の右の銃をしまい、左の銃の銃口は二人に向けたまま、トニーはバックし、壁にあったダイアルの一つを回した。何かのスイッチが入り、ガラガラ、ウィーンという音がした。四隅にあったテーブルや装置が上昇を始めた。いや、彼らが立っている床の一部が下降したのだ。地下の隠し部屋には4つの金庫があった。
「あわれなエド!」トニーはため息まじりに言った。「財産をここに隠す時間はあったのに。こんな部屋があと六つあったんだ。ああ、古き良き時代は終わった」
 三人は元の部屋に戻った。トニーは拳銃を構えたまま、部屋の反対側あにあるテーブルのところまで後進した。
「こんなことやりたくはないんだが――」彼は深いため息を付いた。「身を守るためだ。これからあんたらを奇妙な世界に送り出す。おれは一度もそこにいったことはない。そこに食べ物や飲み物があるのかもしらない。あんたたちが二度とここに戻ってこないことを願ってる」
 フィルはぎょっとした。相手に飛びかかってやめさせよう。そう思った。しかし時すでに遅し。トニーの手がスイッチに伸びた。突然の、吐き気を催す振動が起こった。そして、ラボが消えた。
 金庫と、アイオナ・ブルームズベリと、彼だけがいた。それと、小さな円いコンクリートの床。数十フィート先に小さな地平線が見えた。その向こうには、何もなかった。空のように青くもなく、闇のように漆黒でもない、何もない空間。黒く見えたのは光や色がなかったからで、黒でもなかった。虚無だった。

(つづく)

画像はrambotentによるPixabayからの画像


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