日記/Player 1
……え、日記? もうそんな時間?あそうか、夜書けないのか……。ネタないぞ、握力も気力も理性もないぞ、どうすっか。まあ、これが、どうにもしんどいんだ。一昨日あたりから、今世と前世と来世のつかれと怠さをまとめて引き受けたしんどさが、どおん、とのしかかる。これはあれかね、弊日記で、ご先祖さまを、挨拶も許可もなく晒した罰かね。南無南無アーメン。弊ライターには、適切な「ご先祖さま倫理等遵守研修」を受講させますゆゑ、赦したまへ。弊日記、もとより fiction ですゆゑ、赦したまへ。この日記も fiction、このだるさも苦しさも fiction、この生も、地球も宇宙も、なにもかもが yes! fiction。そもそも、「神」ということばがかくまで神格化されたのが、一等けしからん。神のくせに、最と高い所に行ってさ。たとえば、"player 1" だとか、それくらいの、時代にマッチしたキャッチーなリニューアル、そろそろ求められてるではないのか。四次元ゲームですよ。あいつに、あれのご先祖さまの怒りを、こう、こうやって当てて、と、べしっ! よっしゃ、因果ボーナスゲット! 遺伝系疾患の患者は言わずもがな、原因不明の諸難病の患者、癌のほとんどだってそうだ、頑張れば報われる、努力は花開く、誰もこんなこと、真に信じておりゃせんのだ。そりゃ、頑張ってますよ、努力もしています。だけど、"Player 1" の歓心を(文字どおり)買う、お賽銭、十一献金、勧進寄進、高麗人蔘、アガリクス。こっちの方が、よほど real な頑張りであり、努力である、と、そう信じたくもなる日も、なくはない。この『錯覚』――このことばのチョイスは、不遜不逞な頑張り努力教徒側のものだ――は、なべて非科学的であるそうだ。だが、この世ががっさりと fiction ですから、科学など非科学的です。より若いころ、より健康なころ、世界や存在もろもろが、堅牢な岩盤だと思っていたら、じつはぺらぺらの和紙、たちまちぺらぺら、ひっくり返る。世界の「真実」と、わたしの「実感」は、たちまち捻れを呈する。愛書家が読書から遠ざかる、または選ぶ本の質がおおきく変わる。この変容にしたところで、あらかた player 1 の気まぐれだろうか。英国のボットン卿が発明した、かの和式便所で、臀部丸出しで奇声をあげてみたり、ふしぎなおどりを踊ってみたりしたことがある。吾輩が小2のときだ。Player 1 の裏をかきたい、おどろかせたい、笑わせたい、と本気で願った。あのころから、みんなに笑っていてほしい、この執念は変わらないのであった。
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