日記/失笑を禁じえない
もし、深山の岩が日記をかけば、どのようなものだろうか。思わず、求めず、動かず、追わず、逃げず、鳥獣、風、雨、雪、まれに人間の、かれのもとに来たりて去りぬる様を、ただ記録する。花卉草木の生え、茂り、枯れ、朽ちぬる様を、ただ記録する。かれの日記には、飾りも刺激も技巧も機知もなく、書かれたときには、だれ一人見向きもしない。時が経ち、岩は疾うに礫と化し、山は見るかげもなく、この星のありさまさえ、大きく変わったある日、だれか――人間だろうか、異星人だろうか――が、この日記を発掘する。大昔の山(の一部)の姿が、微に入って記録されている。山が、あざやかによみがえる。みずからをいっさい語らぬことによって、岩はもっとも有能な語り手だ。――繰りかえす、みずからをいっさい語らぬことによって、岩はもっとも有能な語り手だ。だがもちろん、これは、はなからフィクションなのだ。中一のときに熟読するはめになり、それ以来の腐れ縁となった、高見順『敗戦日記』は、
昭和二十年の首都圏の資料――世相一般、空襲、配給、食糧難、文壇の人間関係、等々――としては非常に読みやすく、有能な日記だ。だが、いかんせん、高見本人が煩い。いや、仕方ないのだ、文藝はなかば崩壊し、発表の場も、ほぼなかった。憲兵案件も含め、日記で語らざるを得まい。高見は好きな作家のひとりで、作品では、その煩さこそが味であり、魅力だ。だが、煩いものは、煩いのである。学び:日記をして、日記たらしめよ。そう言えば、と、大久保利通の日記をちらっと読んだのだが、
どうだ、漢字ばかりだ。五日に横井小楠が暗殺されても、日記はびくとも動じない。これぞ、岩の日記である。実務の鬼の日記からは、日記家として、かえって学ぶところが大きい。ひょんな偶然から、宮本常一『私の日本地図 15 壱岐・対馬紀行』に、わたしの曾祖父が出ていることを知り、さっそくAmazonで取り寄せ、きょう、寝転がって読んだ。「(昭和二十六年七月)一〇日は文書の筆写と、組合での聞取り、夜は……氏の家へ話を聞きにゆく。古い土地であり慣習ものこっているはずだと思いつつも、どうもそういうものにぶつかって来ない。どんな話も断片的で相互のつながりが出て来ない。」(68ページ、強調は榊) どうだ、この曾祖父にして、この曾孫あり。血は争えまい。わたしの日記とは、まさにそれだ。高見だの、大久保だの、偉そうに、それどころの話ではない。落ち着きなさい。
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