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エッセイ/檄
国家は、背骨がすべてである。
背骨とは、規範である。
規範とは、空文ではない。
個人の苦難、集団の苦境、国家の危急において生きられる、思考の要であり、行動の枠組みである。
*
三流学者の甘言とつるんだ、ぶっ壊したがりの首相のパフォーマンスに沸いたのも、
やがてそれにも飽き、現状批判しか能がない、名ばかりの政党に政権をパスしたのも、
それを見限り、からっぽの箱を美しい美しいと愛でる、智慧も教養も皆無のリーダーを持ち上げたのも、
こうして、void の20年間で、この国が廃墟と化すのを、漫然とただ眺めていたのも、
すべて私であったのだ。
若くないすべての人、
いや、私はちがう、という釈明は無効だ。
あなたがいま、何を雄弁に語ろうと、残念だが、それは何でもなかった。
抵抗の素ぶりは、なにより容易である。空のバケツ抱えて、あたふた。
素ぶり。
それこそが、この国の背骨を溶かしたのではないだろうか、と、かなり真面目に考えてみる。
そして、
若いすべての人、
こんなみっともない貧国で、申し訳なかった。
それしか、若くない私から残せることばは思いつかない。
――それとも、やはり腹を切るべきだろうか。
*
軍隊をもたない国が、最新鋭の兵器を完備する。
軍隊をもたないままに、核武装の議論さえ起きる。
貿易で詰んだ、
技術革新で完敗した。
有為の人材を引き止められなかったのは、MLBへの流出の比ではない。
目下、この国のATMは、もはや国民の口座しかない、
国民から搾り取るほかない
――国民のために、という名目で。
*
第二次大戦の惨敗と、その贖われぬ喪失で、戦争は真っ平だ、私たちの祖父母は、痛感した。
それに一分の嘘もない。
その意、体すべし。
だが、そこから八十年、私たち国民は、いかに成熟したか。
どれだけの叡智を体現したか。
隣人を騙くらかして私腹を肥やし、
私の安楽のためなら誰をも敵と見なし、
抑圧された暴力性は寛容の精神を圧殺し、
日々不毛に繰り返される糾弾謝罪ごっこ、
まるで他人の非を論うことが己を高めるかのように、どこもかしこも論破ールームと化した。
まがうことなき貧困は、マスコミにより大本営発表され、
何を措いても「行列ができるラーメン」を喧伝する。
論者の失言もどき、秒でアナウンサーが引き取り、
低頭平身、心の欠片もない謝罪でけりをつける。
年寄りは腹を切れ、それもまた見識ならば、
非国民は腹を切れ、それもまた、なんと立派な見識であったことだ!
*
この文章は、ただの檄文である。
*
繰り返す。
国家は、背骨がすべてである。
背骨とは、規範である。
規範とは、空文ではない。
個人の苦難、集団の苦境、国家の危急において生きられる、思考の要であり、行動の枠組みである。
問。
背骨とは、いかにあるべきか。
又、問。
背骨の修復、いまだ遅きに失しないのだろうか。