小説/『く旅れた』・番外篇
今回のコラム『く旅れた』は、ちょっと趣向を変えてみる。
筆者の懲戒解雇のちょっとした休暇を利用して、ヴァカンスの穴場であるプラベント首長国へと足を伸ばすのだ。
あまり聞きなれない地名だが、知る人ぞ知る、まだ知る人に会ったことはないが、私も知らなかった。
まだ雪が舞う当地から、国内便で成田へ、そして国際線の端っこでプラベント・エアに乗り換える。離陸の瞬間は、何度経験しても胸が躍るが、今回は、離陸の瞬間にタイヤが脱落するのを窓から目撃し、胸が少し躍り過ぎる。
隣の席の老人が、神経質そうに何度もアタッシェケースの中の白い粉パケを数えている。唐揚げ屋さんだろうか。
化粧室は、タバコと葉っぱの混じった、心地よい香りだ。何度でも通いたい気にさせてくれる。
お楽しみの機内食は、赤黒いパンみたいなもの(これだけは食べられた)、生の何かの肉、大きめのコオロギの炒め物、ススキのような葉をデタラメに刻んだサラダ。プラベント・フリークにはたまらない。
眼下に見える集落を4つまで数えたところで、いつの間にか爆睡していた。
どあん、どあんどあん、と着陸の衝撃、いよいよ到着、と荷物をまとめ、アタッシェケースの爺さんを押しのけて機外に出ようとしたら、楽天にいたブラッシュ似のCAから、猫のように襟首をつかまれた。
どうも、ギニアビサウ共和国のオスヴァルド・ヴィエイラ空港で、約1時間半のトランジットだそうだ。非常に分かりにくい英語で閉口したが、この航空会社に限らず、スタッフは、もう少しカタカナに近い発音を心がけてほしいものである。
彼は、肩をすくめながら、降りてもよいが機内の方がはるかに安全だ、と教えてくれた(想像)ので、座席に戻って再び寝ることにする。窓から見えるかぎり、やはりタイヤは無い。そう言えば、どうやって着陸したのだろうか。本当は、着陸していないのではないか、と不思議な気分である。何が現実で、何が夢か、それさえもどうでもよくなっている。
化粧室の棚の上の、"Please Help Yourself" と書かれた紙巻を吸いすぎた。気持ち良いが、気持ち悪い。
隣席のおやじは戻ってこないまま、楽天にいたアマダー似のCAが、アタッシェケースを乱暴に持っていった。
再び離陸。ここから、約15時間のロングフライトだ。
ジャケットの左ポケットに入れた「果汁グミ」を、何気なく指先で触っていると、やにわにムラムラしてきて仕方がない。こんな所で盛りがついてもなあ、と苦笑いし、ブラッシュやアマダーをガン見して、精神を落ちつける。
食事が出たが、匂いに惨敗してノータッチエース。
ワーグナーを聴きながら、坂口三千代「クラクラ日記」を適当に読み、ウトウトする。
筆者にさわったヤツは、マコト菌がついた、うえー、げー、腐るわー、と大騒ぎされ、担任も悪ノリして、はいじゃあマコト菌、あ、マコトくんだ、とウケを狙う。
記憶から完全に抹消したはずの夢を見て、顔が涙でかぴかぴになっていた。
アイツらも、悪ノリするくせに真顔で俺の陰部をやたらに触ってきた担任の吉牟田も、懲戒解雇にはならなんだ。なんで俺が、なんで俺だけ、と憤怒の感情が湧いてきた。
再び化粧室へ。
しばらく休息して、落ち着きを取り戻した。担任どころか、俺に吉牟田などという知り合いはいないし、俺はマコトじゃなくて、マコトを率先していじったのは俺だった。
世界にはさまざまの真実があるのであり、それでオッケーなのだ。
着陸態勢に入った後に、ブラッシュがチョコレートを配りにきた。俺は固く握手をしたら、ブラッシュは首を横に振った。
間もなく着陸、というときに、アマダーがチョコレートのゴミを回収しにきたが、俺のところは素通りだった。そして着陸。
どうやって着陸したのか、またも見逃した。タイヤとは、観念に過ぎないのだろうか。
いよいよ次号から、プラベントの旅。
帰る予定がない旅とは、はたして旅なのか。
そして、掲載の予定もないこの原稿は、いつか誰かの目に触れるのだろうか。
乞うご期待。
【吉牟田 誠 | コラムニスト】
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