配属は席替えと一緒理論
今日、配属事業部が決まった。
ぶっちゃけ第一志望ではない。
だが不満もない。
むしろポジティブに捉えているくらいだ。
というのも、予想外へのマインドセットができていたからだと思う。
これまでブログで発信してきたように、大学時代にこういった転機・偶然・予想外に対する考えをインプットしていたので、自分の中では当たり前になっている。
これが偉い、とかすごいだろ、とか言うつもりはない。
ただ、その機会があったことに感謝したい。
と同時に、もしその機会がなかったとしたら、今の自分の状態はどうなっていただろうと想像してみたりする。
最近、クランボルツの「計画的偶発性理論」、スティーブ・ジョブズの「Connecting Dots」、藤原和博の「三角形クレジット理論」などなど、予想外のできごとに対するマインド・スタンスの話を多く耳にした。
クランボルツの理論は大学で学んだし、以前にブログでも紹介した。
スティーブ・ジョブズのスピーチは大学の授業で読み込んだし、塾のバイトでこれを題材に作問したこともある。
藤原和博も大学の授業で民間人校長として事例として取り上げられ、その後、彼の本を買って読んでいた。
これらの考え方が大学時代には単なる知識だった。
が、働かれている方から実際に聞いたり、自分の周囲の環境が常に変化する毎日を送っていたりすると、学びがつながっている感覚がして、楽しい。
あ、予想外来たぞ。チャンスだぞ。と自然に思う。
しかし、そうではない人もたくさんいる。
実際に配属発表後には泣いている人も何人かいた。
ここで感じたのは、泣いている人が良いか・悪いかではない。
自分がもし、転機や予想外のことに対する考えを大学時代にインプットしていなかったとしたら、配属発表の前後に人事などの会社関係者から話されたところで、あんまり響かないだろうな、ということである。
こういった転機や予想外のできごとに対する考えを、本、記事、授業などで、大学教授や自分と何も関係のない人からは、そのままインプットできる。僕がどうなろうが彼らの利害には関係がないからである。
しかし、ひねくれ者の僕は、人事やその他会社の人が配属発表の前後でこういった話をした場合、この話が「希望通りにいかなかった人を辞めさせないための役割」を担っているんだなと考えてしまう。会社としては人に辞められては困るからだ。労働人口不足や若者の早期離職状況を考えればもっともである。
僕がもし、
大学時代に、転機や予想外と少し疎遠だった時に、
こういった考えに出会うことができていなかったら、
配属発表時には泣き、これからの毎日が不安になり、
もしかしたら会社を辞めていたかもしれない。
そう考えると怖いし、本当に大学時代に感謝である。
もし、あなた(別に誰か特定して言っているわけではない)が会社からのそうゆう話を信じれないなら、あなたが会社を辞めたって全く関係のない僕が言おう。
配属なんかは、クラス内のクジでする席替えと同じだと思う。
大人になってまで、気が合うヤツか好きな子の隣にならなかったらダダをこねるのだろうか? 小学生ですらしないだろう。
1年間、自分の選んだ1人とずっと隣になるのと、
毎回、全く話したことない人と隣になるのでは、
どっちがいいのだろう。
正解はない。けど、ほんとに一緒に居たいなら、休み時間にでも放課後にでも時間はたっぷりある。その時一緒に遊べばいいんじゃないかな。
人生のほとんどは偶然でできている。
のであれば、偶然とうまく付き合う方法を考えよう。
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