始めに
始めに
この記事を書き始めているのは2月の第2週です。
先週まで「中学受験」というイベントに参加していたただの保護者です。
しかし、中学受験については普通の親以上に関わりが強かった人間で、丸々12年間何らかの形で接してきました。
私は、現在18歳の大学受験生と12歳の中学受験生だった二人の娘の母親です。二人共大手塾には通わず、
上は女子御三家
下は中堅校へ合格しました。
受験に関わったというのは、インターエデュという受験掲示板がありますが、かつてそちらの関西板にいらっしゃった「しろくまさん」という元塾講師の方の活動に共感し、「しろくまさんのまとめブログ」という、ひたすらしろくまさんと質問者さんのやりとりをまとめるという作業をしていたことがあります。連日、様々の質問をまとめているうちに、門前の小僧状態になり、いつしか
趣味は 「子どもの学習相談」
学習ポリシーは「その子にあったやり方を見つける」
となった経緯を持ちます。
さて、そんな私が、この2月第一週の間にとあるパワーワードに出会いました。それが、
「ゆる受験」
非常に魅力的なワードであります。が、同時にものすごい危うさを感じました。どういう方向性にも話を持っていけるワードです。
子どもたちの受験そのものをみれば、まちがいなく「ゆる受験」に定義されるやり方だったと思います。
だけど、それにはきちんとした根拠を持ち、やり方を模索してきたからです。やみくもに「楽」を追求したわけではありません。
特に下の子は「ゆる受験」該当する学校への進学がきまりました。
本人も周りの子に比べて楽だったと認めています。
しかし、その楽はゆる受験関連の記事に書いているような「楽」や「ゆるさ」ではありません。
中学受験のため、小学校生活の多くを犠牲にしたくないというご家庭の気持ちは解ります。
でも、「ゆる受験」という言葉のニュアンスに流されるのは違うと思います。何が必要で、何を犠牲にするのかをかけたら良いと思っています。