それは危険に慣れただけ
2024年の1月後半から3月まで自動車教習所に通っていた。
実家に車が無いことや、交通の便の良い場所に住んでいたことで、これまで免許を取る必要性を感じておらず、結局大学4年になっても免許を持っていなかった。友達と遠出をするときなど、運転できないことが不便だなーと感じる時もあったけれど、そのたびに免許持ちの友達の「全然運転するよ!」という言葉に乗っかり甘えていた。けれど、これから社会人になると教習所に通うための時間を捻出することが難しくなりそうだし、一度免許を取ってしまえばこれから車を運転する必要が出てきたときに助かると思った僕は、教習所に通うことにした。(でも一番の理由は、父親の「今なら、教習所代、出してあげるで」という言葉だったかもしれない。)
僕の通っていた学部には卒論が無く、定期テストが終わった1月中旬以降は大学にさえ行く必要が無くなる。教習所に通うことは、カレンダーの空白に、バイトのシフトを詰め込んで卒業式を待つばかりだった日々にリズムを与えてくれる、ちょうどいい定期的な予定になった。
当時はまだ会社の配属が分かっていなかったけれど、4月からは東京に住むつもりだった僕は(結局大阪になった、、)、絶対に3月中に教習所を卒業する必要があり、時間的な猶予はたったの2ヶ月だけ。申し込みに行った時、受付の人に「3月までに絶対卒業しないといけないんですけど、いけますか?」と聞いたけれど「うーん、そーねー。この時期は高校生とか学生さんが増えて実技の予約が取りにくくなるから、”絶対”大丈夫とは言えないかなー」と返されてしまった。すると、追加料金を払うと、教習所側が最短で卒業できるスケジュールを組んでくれるプランもあると勧められた。けれど、最後の学生期間、遊びや旅行の予定も多々あって教習所はあくまでおまけだったから、いくら早く確実に3月以内に卒業できると言え、向こうに勝手にスケジュールを押さえられるのは勘弁してほしかった。そして何より追加で8万円も(8万円?!)払うのはバカバカしくて、結局普通のプランで申し込んだ。(受付で言われた、予約アプリを定期的に確認して、技能教習のキャンセル待ちをしたら早く卒業できるかもしれないよ、というアドバイスに従うことにした。)
教習所にも学校のように”入校式”があることにびっくりしつつ、アプリでの予約の取り方の説明を受けたその日の午後、すぐに1回目の技能教習の予約をとった。その1時間でゲームセンターにあるような運転マシンを操作してアクセルやブレーキの踏み方、ハンドルの回し方など最も基礎的なことをざっくり習ったかと思うと、さっそく次の時間からは実際に構内を運転することになった。これまでは乗せてもらうものだった車を、自分が運転している状況に初めこそ緊張していたけれど、教習を重ねた結果、2月になる頃にはその緊張もほぐれ、「いい加減構内を走り続けることにも飽きてきたなー」なんて生意気なことを思うようになっていた。
担当教官にも「上達早いなー。これだけ運転できたら大したもんや」なんておだてられていたことも一因だったと思う。毎回教習の後に飴をくれるおっちゃんの教官とも仲良くなり、仮免試験に合格したことを報告した時も「そらそうやろうな。この調子ではよ卒業しよ」と言われ、ぼくは調子に乗り始めた。車に乗ってたつもりが調子に乗ってました!なんつって。
教習所の外の公道をぐるぐる走る様になって数週間。僕は飽きていた。
幼い頃、沢山の図鑑を買い集めていたけれど「乗り物ずかん」を欲しいと思ったことは一度もなかったし(哺乳類と恐竜は2冊ずつもあったのに!)、ミニカーやプラレールで一切遊ばなかった僕にとって、車の運転は目的地に移動するための”手段”でしかなく、目的ではなかった。一度教官に「将来乗りたい車あるか?」と聞かれて、「えーーー、特にないですねーー。強いて言えばデロリアン?笑」と答えた時のおっちゃんの困った顔をよく覚えている。そんな”運転”というものに何の感慨も抱かないぼくは、行先もなくただ二酸化炭素をまき散らしながらぐるぐる教習所周りを走って帰ってくるという行為はひどく環境に悪いんじゃないかと、ぼんやり罪悪感を感じたりしていた。
なんてやつだ。集中して粛々と練習しろよひよっこ!と今なら思うけれど調子に乗っているというのは、そんな自分を客観視できない状態のことだから仕方ない。車には乗り始めたのは1か月半前だけど、調子に乗り始めたのは23年前なのだから。
いつものように街をぐるぐる走ってそろそろ教習所に帰ろうかとなった時、
突然、助手席に座っている教官が話しかけてきた。
「もう卒業まであとちょっとやな。どうや、いけそうか?」
「そうですね、はい、いけると思います。」
「そうやな、まあいけるやろ。でも一つゆうとくけどな、この時期になるとみんな『自分は運転がうまくなった』って思い始めるんやけどそれは違うねん。もちろん、最初の構内走ってた時よりは上手になってる。」
「はい、、」
「けどな、それは危険に慣れただけなんや。」
教官の話はつまりこういうことだった。
曰く、運転を始めて最初は、ハンドルを切り損ねたらどうしよう、ぶつかったらどうしようと心配ばかりしている。それはこれまでニュースや親から交通事故の危険性をさんざん教えられてきたからで、正しい態度だ。けれど、その強すぎる心配が原因で、スピードを出すべき時に出せなくなるし、緊張した心理状態は、視野を狭く、反応速度を鈍くして運転をより”下手に”する。けれど人は慣れる生き物で、最初は恐る恐る踏んでいたアクセルを次第に強く踏み込めるようにもなるし、ハンドルをグイっと大きく切ったほうが左折しやすいと理解して躊躇なくハンドルを回すことができるようにもなる。それは継続的な筋トレを経て、やっと持ち上がるバーベルのように、段階を踏むことでできるようになることではない。アクセルを踏み切ることも、ハンドルを素早く回すことも運転を始めたその日からできることだ。でもほとんどの人はできない。なぜなら怖いから。恐怖感が文字通り運転のブレーキになっている。そして運転に慣れて恐怖感が薄まってくると、教わったように車を操作できるようになってくる。”うまくなった”と感じているのは、視野が広がったわけでも、反射神経が良くなったわけでも、ハンドルを握る手を素早く動かせるようになったわけでもない。体の機能はどこも変化していない。変わったのはただ車を運転するという危険に慣れただけなのだと、教官は秘密を打ち明けるように僕に教えてくれた。
それを聞いて小学生の頃の跳び箱みたいだなと思った。僕は運動が得意でも、苦手でもないThe並の運動神経だけど、なぜだか跳び箱だけはクラスの中でもかなり上位のうまさだった。横や縦とびは勿論、台上前転や抱え込みとび、首はねとびでも一番高い8段を飛んでいた。そしてそれだけでは物足らず、踏切版(ロイター版)と跳び箱の間に箱を挟んで距離をあけたり、踏切版を使わなかったりと、より高難易度にして飛んでいた記憶がある。みんなの前でお手本をしたこともあったと思う。当時は自分でも「跳び箱だけは不思議なほどできるな」と思っていたけれど今ならその理由がわかる。
怖くなかったからだ。
おそらく(体育の授業程度の)跳び箱は並レベルの運動神経があれば、潜在的にはだれでも十分できるものなのだろう。「飛べるか」「飛べないか」を隔てていたのはただ、恐怖心の有無だったと思う。跳び箱は体育の中でも怪我をしやすい分野だ。危険は多い。けれどその危険が見えているかどうかは人それぞれで、当時の僕のように危険が見えていない、怖くない人が”上手”だった。ただそれだけのことだったのかもしれない。ちぇ、なーんだ。
教官として運転技術を教えている身としては、「俺が教えたから上達したんやで」ぐらい言いたいだろうに、「危険に慣れただけ」と想定外のことを言われて、かっこいい、プロだなぁと驚いた。その言葉、日本中の教習所の壁に飾っておくべきですよ!と思いつつ、目の前の信号が赤に変わりそうだったので、初日に習った通り、ポンピングブレーキで停止線の直前に止まった。その時横で深くうなずいた教官の、口角が少し上がっていたのは、見間違いではなかったはずだ。
人は危険に慣れる。
多くの生き物が恐れる火は人間の生活に欠かせないものになった。人間に羽は無く地球には重力があるのに、ビルは高くなり続けている。幼い頃、怖くて一人では乗れなかったエスカレーターにイヤホンをしながら飛び乗るようになる。暗い夜道を一人で歩くようになる。まな板を出すのがめんどくさいからと手の上で豆腐を切るようになる。素性をよく知らない人と遊びに行くようにもなれば、車の運転もするようになる、しかも片手で。
親や先生が「危ないから気を付けて」と持たせてくれた危険を知らせるセンサーの感度は次第に鈍り、ついにはその存在を忘れてしまう。
かつてスマートフォンをほとんどの人が持つようになって直ぐの頃、「歩きスマホ」が社会問題になった。スマホ片手に前を見ないで歩くことの危険性を散々、それこそ耳にタコができるほど見聞きした。歩きスマホをしている人にぶつかられそうになったと話すお年寄りがインタビューに答えているニュース映像も何度も見た。その後、ポケモンGOが老若男女、多くの人を歩きスマホに駆り立てて、更なる議論を巻き起こしたのも記憶に新しい。
けれど現在、2024年7月に、歩きスマホの危険性を訴える人やポスター、ニュースは全くと言っていいほど見当たらない。かつては人々の目に異様に映っていた「歩きながらスマホを操作すること」はもはや当たり前の光景になったから。数年前には「危ないから止めましょう!」と厳しく注意されていた歩きスマホという危険は、いつしか”社会に許容される危険”になった。人もスマホも何も変わっていない、ただみんなが歩きスマホの危険性に慣れたのだ。
「サリエンシー」という言葉がある。精神医学の専門用語で、「興奮状態をもたらす未だ慣れていない刺激」を意味する。刺激の強弱を”慣れ”によって測ろうとする考え方だ。刺激の強さを、個々人の慣れによって変化する、相対的なものとして捉える。この一見難しい、サリエンシーという語の意味する所は、海外旅行を思い出すととてもしっくりくるものだと思う。
僕がペルーやバンコクでスマホを向け続けていた刺激と驚きで満ちた風景も、地元の人たちの目にはいつもの平凡な風景として映っており、カメラを構えている人は誰もいない。異国の風景が僕にとっては「サリエンシーが高かった」のに対して、現地に住む人々にとっては「サリエンシーが低かった」から。逆も然りで、外国人観光客が目を輝かせる日本の風景の中を、僕らはイヤホンをして、スマホ片手に歩き去る。日本に慣れたぼくらにとって日本の風景は「サリエンシーが低い」から。刺激とは相対的なもので、「慣れること」によって、僕らは日々の生活をなんとか送ることができている。ずっと観光客気分では生活できないから。
けれど”刺激”は常に変わらずそこにあって、刺激自体の強さ自体に変化はない。(例えば、激辛カレーがあり、それを食べれる人と食べれない人がいたとしても、どちらの食べた激辛カレーも”カレー本体”の辛さは一定だ。)受け取る側の”慣れ”の度合いがそれを弱めたり強めたりしている。そんなことを考えると「それは危険に慣れただけ」といった教官の声を思い出す。
火、車、歩きスマホ、ブルーライト、長時間労働、不眠症、慢性疾患、PM2.5 、化学調味料、感染症、原子力発電、銃社会、経済格差、戦争
僕たちは、社会は危険に慣れていく。
いや、危険だけじゃない。僕らは全てに慣れていく。それは人が生きていくために必要な特性で、単に良いこと悪いことと、切り捨ててしまえるものじゃない。生まれた時にサリエンシーで満ちていた世界は、今や適度に”生きていける”レベルまで刺激の下がった世界になった。
人が生きていくには慣れることが不可欠だ。けれど「慣れたこと」は「強くなったこと」を意味しているのだろうか?それはただ刺激に鈍感になっただけなのかもしれない。
この先、アクセルを今までよりも強く踏むようになる時がやってくるかもしれない。無意識に安全確認を適当に済ますようになることがあるかもしれない。どうしたって僕は危険に慣れていくのだろう。けれどその時、その度に、助手席で「危ないよ」と教えてくれる人がいてくれればいいなと思う。
危険も親切も時に見えなくなるけれど、いつでもそこに漂っている。
そのことを忘れたくない。
そう思って僕は車のエンジンを切った。
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