その現場は、左手が見た
今年は、秋が長いのだろうか。
そもそも、今は、秋なのだろうか。
秋は、なんていうか、もう少しキュンとする季節ではなかっただろうか。
なんだか、いろいろな意味で「鈍い」気がする。
駅前ロータリーの街路樹は、真っ赤に色付いた葉をここしばらくぶら下げている。なかなか落ちる気配もない。
気候だけじゃなくて、
私の感覚も、どこか、鈍いな
なんて思いながら、駅前のスーパーに寄って、小魚の干物を買った。
これと、少しのお酒があれば、十分満足なディナーになる、とホクホクした。
お金を払って出ようとしたとき、目線の先で、店のスタッフが何人か慌てている様子が見えた。
お客も何人か集まって、ある一点を見つめている。
なんだろう、と近づいたら、
本当にびっくりした。
高齢の男性が、荷物を積める作業台に仰向けに横たわっているじゃないか。
冷静に周りを見たら、男性のそばには誰もいなくて、スタッフは、救急車が、とかマネージャーが、とか話していて、慌てた様子だった。
自分は本能的に、男性に近づいて声をかけた。
わたしの声は聞こえますか?
返事はできますか?
男性からの返事はないけど、話しかけ続けた。
意識をなくしてはいけない、と。
彼は、不自然に台から頭だけを落としている。
目は開いているけど、宙を眺めている。顔いろが、おかしい。
すみません、頭触りますよ。
今、持ち上げて、楽にしますからね。
そう声をかけて、男性の頭を台に載せてあげた。
そうしているうちに、黒い服を着たマネージャーらしき男性が奥から出てきて、対応を始めた。
女性スタッフの一人が、
もう大丈夫ですから、と
私を含めて、周りの人に声をかけて解散を促した。
もう大丈夫ですから。
私は、心の中に、どこか掴みきれない気持ちを抱えたまま、そのスーパーを後にした。
家についてから、手を念入りに洗った。
何度、石鹸で手を洗っても、アルコールで拭いても、左手になにかが残っている感じがあった。
おじさんの頭が、
思っていたより、ずっと軽かったんだ。
その左手に咄嗟に感じた違和感が、洗っても落ちなかったんだ。
参ったなあ
と思って、とりあえず、ダイニングのソファに腰掛けて、冷たいお茶を飲んだ。
無意識に置かれたスーパーの袋から、買ってきた小魚のパックが見えて、なんだか、気分が悪くなってしまった。もう魚はいらないや。
たった1分間くらいのできごとだったけど、
私の左手は、その場の全てを吸い取ってしまったかのようだった。
見物していた親子連れの感情や、スタッフの動揺した気持ち、気配だけを背中に感じながら店を出て行くお客たちの様子を
私の頭は、なにも理解してないけど、
左手は、全てわかっていた。
去り際に、その男性の脇にあった買い物カゴが、ふと目に入った。中には、酎ハイの缶が積んであって、一つ、ロング缶の口が開いているのが見えた。
彼は、一体、いつからあの姿勢で、あそこにいたのだろうか。
唯一、分かっていたのは、
私にとってショックなことだった、ということだ。
もし心の強い人間なら、こういうアクシデントに出会っても、例えば、一つの社会問題として、頭を整理できたかもしれない。
だけど、そういうタイプではないから、
私は、左手の違和感をしばらく抱えながら、自分と向き合うことになるだろう。
家族にも、すぐに話さないと思う。
自分の中に、しばらく入り込むタチなんだ。
だって、言葉は、たまに嘘つくから。
自分でも気がつかずに心の中と違うこと言ったら、後で二重に苦しむじゃないか。
参ったなあ
ここにはいないのに、母が言ういつもの言葉が聞こえてきそうだ。
受け止められないものに立ち向かうのは、
やめておきなさい、って。
受け止められないものって、なんだろう。
それが、始めから分かっていたら、もうちょっと大人になれるんだろうか。