【特許のはなし】クレーム解釈(その3)
「特許のはなし」のクレーム解釈の3回目です。
これまでの2回の記事はこちらです。
さて、いよいよ、クレーム解釈のはなしへと入っていこうと思います。
前回の積み残しです。
当事者間に争いがあることを前提に、クレーム文言だけでは、被疑侵害品等の対応する構成が、そのクレーム文言に含まれるかの否かの判断ができない場合は、裁判官はどのように充足性を判断するのでしょうか?(裁判官ではないので本当は知りませんが)
たとえば、前回の記事で、最初の挙げた例「棒状の部材」です。
たとえば、(G)を考えてみます。
特許権者 「(G)は、『棒状の部材』である」
被疑侵害者 「(G)は、L字材であって『棒状』ではない」
裁判所 「もうちょっと続けて! 出し尽くして!」
特許権者 「(G)の下の部分は少なくとも棒状である。
上の部分はあくまでも付加的な部分である。」
被疑侵害者 「いやいや、一体になったL字材でしょ。
恣意的に、下の一部分だけを捉えて、
一つの『部材』とするのは不当。」
裁判所 「んー、どうしよう…。」
裁判官としては、「棒状」という言葉を口で繰り返しながら、当事者の主張を聞き、じっと図(被疑侵害品(G))を眺めていても、文言に含まれるか含まれるかの答えは見えてきません。
シンプルに、裁判官が、これまで生きてきた経験を元に、感覚で、(G)が「棒状」か否か判断するとなると、裁判官も人ですから、判断もまちまちになるでしょうし、そうすると、当事者としても、予測可能性が低くなるでしょう。
そう、これが、技術(的思想)=発明に権利を与えるための手段として、発明を「言葉」で表すこととした際の、なかなか超えられない壁なのです。
言葉は曖昧なので、決して正解は出てきません。
皆さんは、技術を言葉で表現できると考えるでしょう。でも、実は、構成を(しかも曖昧な言葉で)表現しているだけで、実は、技術としての意味が隠れてしまっています。
例えば、前出の「棒状の部材」は、発明においてどのような意味がある部材なのかをちょっと考えてみます。
でも、「棒状の部材」という文言だけを見ていても、答えはでませんね。文脈を見ましょう。少なくともクレーム全体を見ないとわかりません。
「棒状の部材」が、鉛筆のようなもの、たとえば、
「一端に消しゴムを有するとともに、その中心に芯を有する『棒状の部材』であることを特徴とする鉛筆。」(クレームドラフトが下手ですいません。)
であれば、「棒状の部材」はおそらく、人の手で握られるためにそのような形状となっているのでしょう。
他にも、「棒状の部材」は、クレーム(文脈)によっては、穴に挿通されるものかもしれませんし、何か別の部材を支持するためものかもしれません。
これ、実はクレーム全体を見ても実は正確には分からない場合も多いです。先の鉛筆の例は、何となくの感覚で、(1)「人の手で握られるため」と書いてしまいましたが、発明者の意図は、そうかもしれないし、あるいは、(2)「矩形の筆箱に、複数の鉛筆が効率よく収納できるように」棒状としているのかもしれません。
(1)の場合であれば、何となくですが、(G)はOKかもしれません…下の部分で握れるから。あるいは、L字なのでダメか?
(2)の場合であれば、(G)は、筆箱に入れるのは、ちょっと難がありそうです。では、非充足か。
そう、構成である「棒状の部材」には、その構成を持つ意味というものがあります。
これは、原則として、構成のみで表現したクレームだけを見ていても分からないのです。しかし、明細書の説明を見れば、その意味が書いてあるかもしれません。
これこそが、その構成の有する「技術的意義」というやつです。その構成が解決する「課題」と言い換えてもよいですし、その構成がもたらす「効果」と言ってもよいでしょう。
そろそろ答えが見えてきましたね。
クレーム文言(構成の記述)と被疑侵害品をいくら見比べても答えはでません。
クレーム文言が示す構成がもたらす①技術的意義、②(解決すべき)課題、あるいは、③(奏する)効果を見ることで、(あくまでも文言の通常の意味を超えない範囲であり、かつ、明細書に文言の定義があるとすればそれと整合する限り、)被疑侵害品が、同じ技術的意義を有し、同じ課題を解決し得、あるいは、同じ効果を奏するのであれば、堂々と「充足する」と言ってしまってよさそうです。
ちょっと「おはなし」のつもりが、難しい表現になってしまいました。反省。でも、これが今日言いたいことです。
感覚や経験よりは説得的で、納得感もあります。発明は、「技術的思想」の創作ですからね。
クレームで発明を表現するのですが、その思想的なものは、必ずしもクレームを眺めているだけでは見えてはこなくて、明細書に記載されたその構成の意義を見ないといけないのです。
クレーム文言が一義的に解釈できないときは、明細書を参照しますよね(特許法70条2項)。そういうことです。
クレームの文言だけでは、その技術の構成(棒状の部材)は把握できるのですが、その意味(グリップの快適性であったり、鉛筆入れへの効率的な収納であったり)は、明細書の説明を見ないとわからないのです。
前回の例で、「5mm以下の被膜層」も、生の構成だけ見ていても何が良いのか分かりませんね。
その意味にあたるものが、裁判例において、技術的意義、(解決すべき)課題、(奏する)効果なのです。ちょっと、くどくなってしきました。
余談ですが、私は、審査官のとき、機械系の審査官でしたが、特許出願の審査をする際に、①まずは、クレームだけを何度も読み、構成(構造)をイメージしました(明確かどうかの確認です)。その次に、②その構成で、いったいどんな良いことがあるのだろう(課題や技術的意義や効果)を想像してみました。その後、明細書を読んで、自分の想像があたっていることもあれば、外れていることもありました。経験年数が増すと、当たることも多いのですが、絶対ではありません。
ところで、このようなクレーム解釈の手法は、裁判官にとっては極めて自然なものです。というのは、法律の条文の文言の解釈と全くパラレルだからです。
クレーム文言 - 充足が微妙な被疑侵害品 - 技術的意義等を探求
条文の文言 - 適用されるか微妙な事案 ー その条文の趣旨を探求
通常の「法の解釈」と同様なのです。
さて、私がロースクール生のときに使っていた民法の基本書(「内田民法」:内田貴先生が書かれた「民法Ⅰ(第4版)」(東京大学出版)の導入部分(民法の学びかた)を引用します(古い版ですいません。)。
「法の解釈とは何かについて著名な理論のひとつに,次のようなものがある…。…。公園に『自動車の進入禁止』の表示があれば,自家用車を乗り入れてはいけないという点では誰も異論がない。他方,…,自転車で講演に入ってもよいことは,やはり異論は生じない。では,クラシックカーを展示用に持ち込むのはどうだろう。また,大型バイクで走り抜けるのはどうか。工事用のクレーンはどうか。これらの事例になると,異論が生じうる。…,複数の解釈が成り立ち,そのいずれを採用すべきかを法律の条文は指示しない。だから,解釈者の価値判断で,様々な利益を考慮して決めるしかないのだ,と考える。このような考え方は,法実証主義と呼ばれ,今日の有力な理論の一つである」(8頁下から12行~9頁2行。ゴシックは私による。)
民法勉強された方は、条文のあてはめを勉強し、条文にあてはまるかどうかちょっと条文の文言からは微妙なときは、条文の趣旨を見てみて、その趣旨からすれば、…なんてして、法の適用をしますよね。時に、類推適用なんて出てきたりします。趣旨の類推適用なんてものもありましたね(爆)。なお、刑法では類推適用はダメです。類推適用で死刑にされたらたまりませんからね。もちろん、捏造もダメ!
クレームの文言解釈もパラレルで、まずは、クレームの文言を見て、被疑侵害品等との関係で、(当事者が争っていることが前提で、)充足性が微妙なら、その技術的意義や課題や効果を探求すべく、明細書を参酌するという感じです(もっとも、前提として、明細書に定義があるかもしれないのでそれは逸脱できませんし、また、クレーム文言を拡張するような解釈はできませんが)。
あー、もう3000字を超えてしまった。
こんな感じですが、じゃぁ明細書に技術的意義とかが書いていない場合に、広辞苑やら必殺の「技術常識」という名の下での後付け主張・立証やら、といったものもありますね。代理人は、依頼者のために、色々やります。
また、クレーム文言だけを見てもよくわからんとの関係では、クレームドラフティングにおいて、機能的・作用的なクレームなんてものもありますし、最近は、効果をクレームアップするなんて提唱されている先生もいらっしゃいますね。課題をクレームに書くなんてのもある?
特許実務において「課題」というものが重要であることは異論がないと思いますが、「条文」(具体)に対する「趣旨」(抽象)と同様、「クレーム」(具体)に対する「課題」(抽象)ですので、まぁ、課題が重要なのは至極当然です。
社会の問題を解決するために、法律(条文)を作る。
技術的問題を解決するために、発明を創作する。
だんだん何言ってるか分からなくなってきましたね。まだ仕事中(3時の休憩中)なのでお酒を飲んでいるわけではないのですが。
また、見直して適宜修正します。おかしいこと言ってたら、Xでこっそりメッセージください。
ある程度時間があって、気が向いたら、また、続けます。