ヒトの向社会的行動の進化:なぜ人は利他的に振る舞うのか
ヒト(ホモ・サピエンス)は他人を助けたり、援助したり、協力したりする向社会的行動(prosocial behavior)を示す。向社会的行動は、心理学や社会科学などの分野から数物系や情報科学、脳神経科学、人類学、進化学の分野など様々な分野で関心をもたれている。「向社会行動の重要な側面である利他行動や協力行動がなぜ進化したのか」についての進化理論は、心理学の分野でも引用され、考察されている。しかし、協力行動や利他行動の進化に関しては、多くの理論があり、それぞれが適用される状況や説明する行動が異なっていて複雑である。また、人類の進化過程のなかで、向社会的行動と関連して進化的変化を遂げた遺伝的性質とは何か、という問題も明確に議論されていないことが多い。そこで、本稿では、ヒトの向社会的行動がなぜ進化したのかについて、これまでに提唱されてきた主要な進化理論を整理し、その適用条件を議論したい。そして、利他行動や協力行動のどのような側面が進化するのかという問題について解説する。また、ヒトが進化してきた過程で、どの段階でどのような進化が生じた可能性があるのかについても考察したい。
向社会的行動とその進化
向社会的行動とは
一般的に、向社会的行動とは、「他者の利益になる行動」と定義される。向社会行動には、お互いに協力してお互いに利益を得る協力行動、報酬を期待せずに他者の利益になる援助行動、自らのコストをかけて他者の利益になる利他行動(あるいは他愛行動)がある。また、実際に他者に利益にならなくても「他者の利益を意図する行動」と定義されることもある。
向社会的行動は、それを引き起こす状態や欲求の種類に基づいて以下の3つに分類される(1)。(a)慰め: 他者の感情的苦痛によって誘発され、他者のストレスを緩和する,(b)援助:他者の目標を手助けする、(c)分かち合い:他者の物質的欲求によって資源・報酬を共有する。
向社会的行動とされる利他行動や協力行動も類似の定義が用いられる。行動生態学や進化学においては、利他行動とは、行為者にはコストがかかり、受益者には利益がある行動と定義される。協力行動は、他の個体(被援助者)に利益をもたらす行動であると定義される(2)。この定義では、他者に利益のある行動をとるとき、コストがかかる場合を「利他行動」、コストの有無にかかわらず他個体に利益をもたらす行動を「協力行動」と呼ぶ。一方で、「共通の目標を達成するために他者と協力する行動」を協力行動と呼ぶことがあるが、これは調整(coordination)行動として区別されている。
社会学や心理学で用いられる定義と進化学で用いられる定義の重要な違いは、行動がもたらす利益とコストの意味である。進化学においては、生物個体の適応度(一生涯に残す子どもの数の期待値:生存率 x 子供の数)に、マイナスになるかプラスになるかがコストと利益である。しかし、心理学や社会学などで用いられる場合の利益は、社会的価値、評価、健康などを意味することが多い。この違いは、しばしば曖昧にして語られる場合が多い。
現代社会では、危険を冒して他者を助けるような利他行動は少なく、何のコストもかからず手助けしたり、援助したりするのではないかと考えるかもしれない。しかし、他者を助けるという行動が生存率を明確に下げるような過去の環境で、利他行動は進化したのかもしれない。また、他者を助けたいと意図するだけならコストはかからないが、そのような感情や動機を持つ人はリスクのある利他行動を取りやすい性質をもっているかもしれない。
分野や研究者によって、利他行動、協力行動という用語は、異なる意味でもちいられている。それは、それぞれの分野で注目している現象が異なるのと「何を説明するのか」が異なっているためでもある。しかし、分野を超えて進化について考えるときは、定義を統一しておく必要がある。本稿では、進化について解説するので、ここでの利他行動や協力行動は進化学における定義を意味している。
向社会的行動の進化とは
向社会的行動が進化するとはどういうことだろうか?「進化とは、時間とともに集団の遺伝素材(genetic material)が変化する過程」あるいは「生物物のもつ遺伝情報(主にゲノム配列)に生じた変化が、世代を経るにつれて、集団中に広がったり、減少したりすること、またそれに伴って、生物の性質が変化すること」である。(進化とは何かについては『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか』を参照) 。
ヒトの場合、一つのゲノムは約30億のDNA塩基配列をもち、この塩基配列の情報がヒトの祖先(チンパンジーとヒトの共通祖先)から約700万年かけて変化(進化してきた。突然変異で生じたゲノム配列の変化が集団中で頻度を増加させ、次第に集団のゲノム配列の構成を変化させていくことで進化が生じる。そのようなゲノム配列のうち、利他行動や協力行動を発現したり、変容させたりするゲノム配列の変化が生じることで、向社会的行動の進化が生じる。実際には、ゲノム上の一箇所の変異が影響しているわけではなく、多くの変異が影響し、それらが頻度変化をすることで向社会的行動に関連する様々な性質が進化している。
たとえば、ゲノム上のある一箇所の塩基Gだったとしよう。ヒトは父親から引き継いだゲノムと母親から引き継いだゲノムがあるので、1人のヒトのその箇所の2つの塩基の組合わせ(遺伝型という)になり、両方ともGなら遺伝型GGとなる。突然変異により集団中でAをもったゲノムが出現すると、一人の人の遺伝型はGAとなる(図1)。このとき、一つの塩基AあるいはGをアレルとよび、集団中でのAアレルあるいはGアレルの頻度が変化していくことが進化となる。
図1では、突然変異で生じたAアレルが頻度を増大させ、集団中のAアレルの頻度が1となる。もしこのAアレルはGアレルに比べて、利他行動を発現する確率を高くするなら、利他行動をとる人は集団内で頻度を増加させる。このように、アレルの頻度が変化した結果、利他行動は進化したことになる。
ヒトの向社会的行動の進化といったとき、2つの場合を考える必要がある。一つは、現在のすべてのヒト(ホモ・サピエンス)が共有しているが、ヒトとチンパンジーの共通祖先の集団のすべての個体は持っていない向社会的行動である。それは、祖先からヒトになる過程で、向社会的行動に影響するゲノム配列がヒトの集団ですべて置き換わったからである。たとえば、ゲノム配列上のある箇所が向社会的行動に影響するとしよう。ヒトの祖先集団のすべての個体は、その箇所の配列がGであるのに対し、ヒトの全ての個体はAであるとする。Aアレルは特定の利他行動を発現するとすると、ヒトとチンパンジーの共通祖先ではみられない利他行動をすべてのヒトは発現していることになる。
もう一つは、向社会的行動の程度や様相が時間ともに変化していく場合である。たとえば、一万年前のヒトの狩猟採集民の集団では、ゲノム配列のある箇所の塩基がGGのヒトとGAの人がいるとする。その狩猟採集民の集団が一万年かけて現代の集団になる過程で、Aアレルの頻度が0.2から0.6で増加したとする。Aアレルを持っているヒトはGアレルを持っているヒトに比べて、より向社会的行動をとりやすい、一万年の間にヒトの向社会的行動の程度が高まる方向へ進化したといえる。
この2つの場合のいずれにしても、向社会行動が進化するためには、個人間でみられる向社会的行動(利他行動や協力行動など)の違いがゲノム上のDNA配列の違いと関連している必要がある。上では、一つの塩基の違いだけを例に説明したが、実際には、ゲノム上の多くの塩基の違いが、個人の向社会行動の違いに影響している。
個人間の向社会性や行動の違いのうち、遺伝的な違いで説明される割合いを遺伝率とよぶ。単純化して説明すると、遺伝率が50%ということは、向社会行動の個人間の違いのうち、半分はゲノム配列の違いであり、半分は環境などの非遺伝的要因によるものといえる。
現代人での向社会的行動(分かち合い、社会的関心、親切、助け合い、共感的関心)の遺伝率を推定した研究では、それらの遺伝率が40から70%と推定されている(3)。また、1万人以上のゲノム配列と援助行動の違いとの関係を調べた研究では、17箇所のゲノム上の塩基の違いが統計的に有意に、援助行動の違いに影響していることが推定された(4)。
これらのことは、少なくとも向社会的行動の個人間の違いは、遺伝的な違いによって影響されており、現在でも進化している性質であるといえる。実際には、後述するように、向社会的行動といっても異なる脳神経メカニズムが関与しており、それぞれが進化することになる。
ヒト特有の利他行動あるいは協力行動とは
ヒト(ホモ・サピエンス)以外の動物でも利他行動や協力行動はみられる。ヒトだけでみられるヒト特有の利他行動あるいは協力行動とはどのようなものだろうか?
ヒトの子どもとチンバンジーの協力行動の比較からヒト特有の行動が推測されている(5)。ヒトの子どももチンパンジーも、他個体と協力して餌などの資源を獲得しようとする協力行動を示す。また、自分に見返りはなく、他個体を助けるという援助行動に関しても、チンパンジーや子ども報酬がなくても何度も手助けをする。しかし、子どもは、チンパンジーに比べて複雑な方法で手助けし、合図など手がかりがなくても積極的(proactive)あるいは自発的に手助けをするが、チンパンジーは反応的(reactive)にしか手助けをしない。チンパンジーは、手を差し伸べる援助が必要なときなど、目標が明確に把握できる場合は手助けをするが、意図がはっきりしない状況では援助行動をしない。チンパンジが他者に食糧を与えたり、手助けをするのは、他者の「幸福」が動機になって行うことはないとされる(6)。
また、チンパンジーは餌などの資源を分け合うことに対して個体間の許容度が低い。資源を独占できる状況では、協力関係が保てない傾向がある。一方、ヒトの場合、資源を容易に独占されやすい状況でも、チンパンジーよりも容易に食物を共有し、協力を維持することができる。
ネアンデルタール人との比較で、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが分岐した約60万年前以降に獲得したヒト特有の行動が推測できる。ネアンデルタール人がどのような利他行動や協力行動をとっていたかは不明な部分が多い。しかし、ネアンデルタール人は10から30人の小集団での協力行動であったと思われ(7)、現在のヒトでみられる数百人規模の集団内での向社会的行動や数千人から数万人あるいは出会う可能性のない人へ向社会的行動の可能性といった大規模集団内での協力関係はホモ・サピエンス特有である(8)。
まとめると、以下のような点がヒト特異的な向社会的行動の特徴であると思われる。
(1) 自発的利他行動 ヒトは、より積極的に複雑な利他行動をする
(2)資源の共有 協力して得た資源を共有するという傾向がある。
(3)見知らぬ個体への協力 遺伝的に無関係で(非血縁個体)、一過性に相互作用する個体とも協力する傾向がある(9)。
(4)大規模集団内での協力 (3)の協力行動に伴い、大規模集団内で、出会ったことや相互作用することのない人の間で向社会的行動がみられる。
他の類人猿を含む霊長類と比較して、ヒトは極めて緊密な協力を示している。特にヒトでみられる(3)や(4)の利他行動や協力行動には、ヒトの特異な認知能力の進化や、それによる技術、社会的ネットワークでの情報伝達や規範の生成、文化的性質の獲得などが関連していると考えられている(9, 10, 11)。また、ヒトの顔の個体間の違いやそれを記憶する能力などのヒト独自の進化も協力行動の進化に大きな影響を及ぼしているだろう。さらに、長期間にわたって記録し、共同活動における個人の貢献度を把握し、これらの関連情報をすべて他者に伝達できる独自の認知メカニズムを進化させてきたと推測される。
利他行動および協力行動の進化理論
なぜ向社会的行動が進化したのかという問いは、向社会的行動を誘発したり、その程度を変えたりすることに関わるゲノム上の配列(=アレル、図1参照)がなぜ頻度をなぜ増加させたのか、ということである。利他行動や協力行動の進化理論では、どのように自然選択が働いて集団中に生じた新たな配列(アレル)が集団中で頻度を増大さるのかが議論されてきた。新たに生じたアレルが個人の適応度(一生涯に残す子供の数)を高めたとき、自然選択によってそのアレルの頻度は増大する。
ここでは、向社会的行動として、利他行動と協力行動をとりあげる。利他行動や協力行動の進化が、特に注目してとりあげられるのは、利他行動は、自らの適応度を低下させたり、他個体の適応度を高めたりするからである。自然選択は、集団内で相対的に個人の適応度を向上させるアレルの頻度を増大させる。適応度が低下したり、集団内で相対的に適応度が低下すると、その行動に関するアレルは頻度が増大できない。
自然選択によって向社会的行動アレルが頻度を増大させる条件を考えるときベースとなるのが、個体の適応度である。利他行動の進化理論において、個体の適応度の表し方にはいくつかあるが、その一例をつかってみてみよう。
ここで、遺伝型AAの人(遺伝型AGの人も存在するが、説明の簡略化のため省略する)は、コストCを払って他者に利他行動をするのに対して、遺伝型GGの人は他者の利他行動による利益は享受するが、利他行動をしない。利他行動は、他者がどのような人(遺伝型AAあるいはGG)であれ、関係なく行われ、利他行動によってBの利益をえる。このとき、遺伝型AA人の適応度($${W_{AA}}$$)は以下のようになる
$${W_{AA}}$$= $${W_0}$$$${ + B - C}$$
同様に遺伝型GGの人の適応度($${W_{GG}}$$)は
$${W_{GG}}$$= $${W_0}$$$${ + B}$$
となる。$${W_0}$$は、利他行動とは関係しないベースラインの適応度である。
遺伝型AAは遺伝型GGに比べて、適応度がCだけ減少する。このため、アレルAは、集団中に頻度を増大させることはできないし、逆に頻度を減少させていく。このとき、遺伝型GGの人は、自分は利他行動をせずに、他者からの利他行動の利益をえるので、「フリーライダー(ただ乗り者)」と呼ばれる。
もし、遺伝型AAの人は、遺伝型AAの人だけに利他行動をすると、遺伝型GGの人は利他行動による利益を得ないので、
$${W_{AA}}$$= $${W_0}$$$${ + B - C}$$
$${W_{GG}}$$= $${W_0}$$
となり(式1)、B - C > 0ならばアレルAは頻度を増大できる。これは、利他行動を発現するアレルAを被援助者が持っているかどうかを確実に識別できれば可能である。特に、同じアレル(この場合A)が利他行動を発現させると同時にそのアレルを持っているかどうかの識別を可能にする場合、そのアレルは「緑髭効果」をもっているとされ、利他行動が進化する一つのメナニズムである。ただ、この効果による進化は難しいとされている。
ここまでコストのかかる協力行動(=利他行動)について述べたが、コストがかからない場合はどうだろうか?様々な場合が考えられるが、以下のような場合を想定してみる。集団内で個体がお互いに相互作用し、他者に利益Bを与える協力行動をする遺伝型と利益だけを享受するフリーライダー遺伝型がいる。集団内で、協力行動遺伝型はN人である。
このとき、協力行動(遺伝型AA)をする人は、集団中で自分以外の協力者(N-1人)から利益Bを受け取る。
$${W_{AA}}$$= $${W_0}$$$${ + B(N - 1 )}$$
同様にフリーライダー(遺伝型GG)は、N人全員から利益を受けるので、適応度は:
$${W_{GG}}$$= $${W_0}$$$${ + BN}$$
となる。
集団内では、フリーライダー遺伝型は、協力行動遺伝型に比べてBだけ適応度が高くなるので、協力行動遺伝型は進化できないことになる。このような場合、たとえコストが掛からなくても、協力行動は進化できないことになる。
このような適応度の関係は一つの例である。この適応度関係の例ではない場合においても、協力行動遺伝型が協力によって受ける利益よりも、フリーライダー遺伝型が受ける利益の方が大がより多くの利益を得るので、集団内での相対的な適応度は、フリーライダー遺伝型の方が高くなると想定される場合が多い。
血縁選択
自分が犠牲になって、他個体を助ける行動がなぜ進化したのか説明するもっとも一般的な理論が血縁選択説である。上述したように、利他行動を発現するアレルをもっている人に、選択的に利他行動を向けると、「フリーライダー」の利益がさがり、利他行動は進化しやすくなる。
利他行動を発現するアレルAをもっている人が、血縁関係の人にむけて利他行動をすると、血縁関係のある人の間では同じアレルを共有する確率がたかまるので、アレルAをもっている確率も高まる。血縁関係のある個体同士で相互作用することで、利他行動を発現するアレルが頻度を増大させるというのが血縁選択である。
また、利他行動をした人が適応度を低下させても、利他行動を発現するアレルを共有する血縁個体がより適応度を上げることで、利他行動アレルが集団中に増加するという説明もされる。
ここで、個体の適応度をWとすると、
$${W}$$= $${W_0}$$$${ + Bx’ - Cx}$$
xはこの個体の遺伝型で、x'は相互作用する他個体の遺伝型である(たとえば遺伝型AA=2, AG=1, GG=0)。
このとき、利他行動が進化する条件(アレルAの頻度が増加する条件)は
$${B * 血縁度(x,x') – C > 0}$$
となる(詳しい導出の説明は(12))。
ここでの血縁度とは、相互作用する個体同士の間のアレル頻度の関係(回帰係数)となる。たとえば、遺伝型AAはかならず遺伝型AAと相互作用し、AG型はAG型どうし、GG型はGG型同士で相互作用すると、ここでの血縁度は1となる。このときは、上記の式1と同じになり、B–C>0が利他行動進化の条件と同じになる。血縁個体に利他行動を向けることで、利他行動を発現するアレルを共有するどうしが相互作用する可能性を高め、利他行動が進化するというメカニズムである。
血縁個体と相互作用する確率を高めるのは、血縁個体を認識して血縁個体間で相互作用する場合と、空間的に近くに血縁個体がいたり、集団内の個体が血縁個体である可能性が高い場合である。
(詳しくは「利他行動の進化は利己的遺伝子によるものか:「利己的遺伝子」の誤解を招かない使い方」あるいは『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか』を参照)
多くの生物での利他行動は、血縁個体に対して行われる。ヒトにおいても血縁間の利他行動の例が多く研究されている(13)。
集団選択
自然選択は、図1で示したように、個体間の適応度の違いが原因となり、結果として適応度を高めるのに貢献するアレルが、集団中で頻度を増大させる。一方で、集団の絶滅や再形成、集団サイズの増減が集団間で異なるとき、その集団間の違いが原因となり、アレルの頻度を増減させることがある。このような集団間の性質の違いが影響する自然選択を「集団選択」と呼ばれる。
(集団選択の詳しい解説は「「種の保存のための進化」はどこが誤りなのか」あるいは『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか』の3章を参照)
集団選択には、いくつかの異なるタイプが想定されるが、大きくわけて以下の2つのモデルがある(図2,3)。ここでは、説明のために利他行動や協力行動をする「向社会的遺伝型」と協力や利他行動をしないが利益は享受する「フリーライダー遺伝型」(ただ乗り型)を設定する。
集団選択I 集団内では、フリーライダー遺伝型の適応度が高く、頻度が増加さするが、向社会的遺伝型の多い集団は、集団の増加率が多い。そのために、集団サイズが減少して絶滅する過程や、集団サイズを拡大した集団が分割することで新たな集団ができる過程を通じて、向社会的遺伝型の頻度が増大する。粘性型(V型)の集団選択の場合、集団間の移動は限定されるため、次世代の集団は、前世代の集団を引き継ぎ、集団内の個体は同じ遺伝型になる傾向が高い(お互いの血縁関係が高い) 。また、次世代集団を形成する際、集団間の移動が大きいと集団間の違いはランダムな違いとなる(ランダム型)。このような集団選択をデーム間集団選択とよぶこともある。
集団選択 II 世代内では集団選択Iと同じだが、集団内で選択をうけた後、次世代では、新しい集団が再形成される。集団選択 Iとのモデルの違いは、集団を形成する個体は、同じ遺伝型同士で集団を形成する傾向がある場合(粘性型)と集団間の違いがランダムに生じる場合(ランダム型)がある。家族などの血縁者同士が新たな集団を形成するとき、粘性型になる。デーム内集団選択とよばれるものもこのタイプである(14) 。集団選択IおよびIIにおいて、集団間の移動分散の程度によって粘性型とランダム型は連続的に変化する。また、完全に移動が自由におこなわれているときは、集団選択Iと集団選択IIのランダム型は同じ結果になる。
集団選択 IとIIの粘性型では、集団内では、同じ遺伝型をもった個体同士が相互作用する程度が高くなる。これは、相互作用が血縁個体間で生じ、利他行動が血縁個体間で行われるという血縁選択とほぼ同じである。ヒトが時空間的に集まり一緒にいる「集団」でなくても、もし個体が血縁者かどうかを認識できるとすると、相互作用している血縁集団というふうに捉えれば、集団選択と同じになる。
(血縁選択と集団選択が同じプロセスであるという解説は「進化を説明する上で「利己的な遺伝子」という比喩は適切か?」の補足1あるいは『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか』の3章を参照))
集団間の遺伝型がランダムに割り当てられる場合(集団選択IとIIのランダム型)、利他行動などの向社会的行動は進化しづらくなる。協力行動のコストがかからない場合でも、前述したように、集団内では向社会的行動型より大きな利益を協力行動によって受けることでフリーライダー遺伝型が有利になることが多い。しかし、協力行動した個体にも何らかの利益が生じる場合、集団間の差がランダムな場合も集団選択によって協力行動が進化することが可能である(15)。
我々vs.自然(us versus nature)と我々vs.彼ら(us versus them)
上で述べてきた集団選択を考えるときに、集団間でどのような選択が起こるのかについて、さらに2つの集団選択モデル「我々vs.自然」と「我々 vs. 彼ら」を区別する(16)。
「我々vs.自然」モデルでは、以下のような場合を想定する。集団内の個体は協力して資源(たとえば食糧)を確保する。たとえば、協力して多くの食糧を得た集団は、集団全体としての適応度(集団サイズの増大や集団の複製率)を増大させる。他の集団に比べてより多くの食糧を獲得できた集団は、次の世代に向社会的遺伝型の個体を引き継ぐ。ただし、その集団でどれだけ食糧を得たかは、他の集団には影響しない。
それに対して「我々 vs. 彼ら」モデルでは、集団は、限られた資源(たとえば食糧)を巡って競争する場合を想定する。そのため、一つの集団がより多くの食糧を得れば、他の集団はその分食糧が減る。また、集団間で争って食糧を得るために負けた集団は相対的に食糧が減ってしまう。「我々 vs. 彼ら」は、このように直接的な集団間コンフリクトを仮定したモデルである
Gavriletsら(16)の研究では、「我々 vs. 彼ら」のモデルでのみ、協調的協力能力(協力する人数が増えるほど得られる成果が相乗的に増やせる能力。たとえば、目標の共有や協力的コミュニケーションなど)が進化した。そして、この協力能力の向上が進化したおかげで、利他的行動や協力行動が進化した。「我々 vs.自然」モデルでは、利益を確保するために必要なコストと集団サイズの両方が比較的小さい場合にのみ、積極的な集団努力が行われると予測された。しかし、この場合でも、協調的な能力(より協力の効果が高い場合)が高くない限り、協力行動は、集団内の一部の個体によってなされるだけで、残りの個体はほとんど何も協力に貢献しないようになると予測された。
「我々 vs. 彼ら」の集団選択IあるいはIIの粘性型のモデルで、協力行動は進化するが、集団内の血縁度が低い場合でも(ランダム型)でも進化が可能であるという。
集団選択が生じる条件
集団選択 IあるいはIIによって向社会的行動(特にコストがかかる利他行動)が進化するためには、いくつか条件が必要である。重要な条件は(1)集団間の遺伝的違いが充分にあるかどうかという点と(2)集団の入れ替わり率あるいは集団間の増加率の違いがどう次世代の遺伝的組成に影響するのか、という点である。
(1)の点に関しては、集団間の移動が制限され、どれだけ遺伝的に類似した個体が同じ集団内に存在するか、という点が重要になる。(2)の点については、集団内でフリーライダー遺伝型が増えるより早く、集団サイズの増加や集団の入れ替わりによって利他行動型が増える必要がある。このような条件を考えると、集団選択による利他行動の進化が可能な集団の大きさは比較的小さくなければいけない。
ところで、この集団選択(血縁選択)の阻害要因となるキャンセル効果というものがある。一つは、集団内で利他行動や協力行動が増加すれば、集団サイズが大きくなる。個体数が大きくなると協力者同士が様々な側面で競争する機会が増加し、個体数増加が抑制される可能性がある。これを集団内のキャンセル効果という。もう一つは、集団サイズが増え、新たな集団が増えたとき、成功した集団同士は近くに存在する。その場合、同じ遺伝型をもつ集団同士での競争が生じると想定され、集団数が増えたという効果が減少する。これが集団間のキャンセル効果である。
個体の移動分散が制限されると、集団間の遺伝的違いが増大したり、空間的な場所での遺伝的異質性(場所によって遺伝型が異なる)が増大し、集団選択が生じやすくなる一方で、同じ遺伝型同士の個体間や集団間での競争が増え、集団選択を制限する。
このようなキャンセル効果が実際にどの程度生じるかどうかは、空間分布や資源競争に関わる様々な条件による。多くの集団選択モデルでは、集団間の移動分散が小さくなり、集団の血縁度が増大するほど、協力行動や利他行動が進化しやすくなる(17)。
集団選択のランダム型のように、移動が大きく集団間での遺伝型の分布がランダムに配置されるとき、「我々 vs. 自然」モデルでは、コストを払うような利他行動や協力行動は進化しない。「我々 vs. 彼ら」モデルでは、ランダム型の集団選択でも協力行動や利他行動が進化する。ただし、これは、個体の集団への投資のコストを下げて集団全体の資源獲得能力を向上させるような「協調的協力能力(目標の共有、共同注意、共同意図、協力的コミュニケーションなど)が高いときである(16)。この協調的協力能力も「我々 vs. 彼ら」モデルで進化すると予測されている。
直接互恵性
協力行動が進化する主要なモデルとして直接互恵性(互恵的利他行動ともいう)がある(13,18)。これは、簡単にいうと相手からの見返りを期待して、コスト(C)をはらって利他行動をすると相手は利益(B)を得る。もし、相手も自分に対してコストを払って、利他行動を返してくれるとすると、B–C (返してもらった利益–払ったコスト)の利益を得る。B>Cであれば、利他行動はプラスになり、進化しうるというものである。
しかし、相手に対して利他行動をしても、相手は利他行動を返してくれるとはかぎらない。このような利益だけを享受する「フリーライダー(ただ乗り)個体」が進化しやすくなるので、それを排除するメカニズムが必要になる。
この直接互恵性が成り立つ条件として提案されたモデルとして「しっぺ返し戦略」(tit-for-tat strategy(19))が提唱された。これは、協力するとお互い利益を得るが、一方のみが協力し、他方が裏切った場合、この「裏切り者」は高い利益をえる。両者が協力しない場合は、損益となる。このような状況のとき、最初に、見知らぬ人と出会い協力するかどうかの場面では、協力し、2回目以降、同じ人との協力場面では、相手が以前協力していた場合は、協力し、裏切った場合は、裏切り返すという行動である。この「しっぺ返し戦略」の研究を皮切りに繰り返し囚人のジレンマゲームにおいて、フリーライダー遺伝型を抑えて協力行動が進化できるのは、どのような協力的戦略なのかに関する研究が行われてきた。人間以外の種で、直接互恵性が一般的かどうかは疑問が呈されているが、ヒトにおいては、重要な進化メカニズムであると考えられている(49) 。
間接互恵性
直接互恵性は、利他行動によって利益を与えてくれた人に、コストを払って利他行動を返すというものであった。間接互恵性とは、利他行動をした人の行動を目撃したり、利他行動をしたというゴシップの評価をもとに、第3者がその人に利他行動をする。利他行動をした第3者の人は、また別の人がその人の評価をもとに他の人から利他行動を受ける。利他行動をした人は、その人の評価によって第3者から利益が得られるというものである(20)。
間接互恵性の進化が成立するためには、その人が「利他行動をしたか」どうかだけでなく、「利他行動をしない「裏切り者」に対しては制裁行動をとっているか」を評価できるかどうかによる。利他行動をとる人に対しては利他行動を返し、そうでない「裏切り者」には制裁を加えているかどうかという「厳しい評価」をもとに、第三者の利他行動をとるかどうかを判断出来る場合に間接互恵性は進化しうる(21)。間接互恵性理論では、人が正当な離反(相手は「裏切り者」の場合)とそうでない離反(協力者なのに利他行動を返さない)を識別することが必要である(22)。また、「報復的、謝罪的、寛容であるといった特定の道徳や社会的規範が、間接互恵性による協力の進化が可能になると予測されている(23)
パートナー選択
特定のパートナーと選択的に相互作用することで、お互いに利己的な振る舞いをしない確信を高めたり、約束させることができる。 そこで、利他行動をしてくれる相手をパートナーとして選好することで、利他行動が進化しやすくなる。パートナー選択のモデルでは、個体が最も協力的なパートナーをめぐって競争し、最も協力的なパートナーをお互いを選ぶことで、直接互恵性が進化する(24)。
パートナーを選択するときに、その人が協力的かどうかを判断するするき、評判やその人の発している情報(シグナル)を基に判断するするという理論が「評判ベースのパートナー選択」理論である(22)。潜在的に協力的相互作用をする人は、その人の質や意図を他者が判断するための公開情報(シグナル)を提供する。それらシグナルをもとに人は相互作用のためにパートナーを選ぶことができるというものである(22)。
間接互恵性では、評判によって評価の高い人に対して利他行動をした人は、別の人に助けられるのに対して、評判ベースのパートナー選択では、評判をもとに、相互作用するパートナーを選ぶ。「評判ベースのパートナー選択」で重要となるのは、個人が自分の質をしめす正直なシグナルを伝達し、受け手の行動を変容させるという、シグナル理論を組み入れている点である(22)。
繰り返される相互作用の中での一度きりの協力
ヒトは、血縁者でもない、見知らぬ人との一度きりの相互作用で、協力行動をする(one-shot cooperation)。集団内で繰り返し相互作用が生じていると、見知らぬ相手と出会った場合、もう一度遭遇する可能性が高い。そうならば、最初の出会いでは協力行動をとり、互恵利他関係となることで有利になるかもしれない。あるいは、協力行動で、その後の評判を高めることがでるかもしれない。
ヒトの思考には、素早く直感的に考える「システム1」とスピードが遅く、熟考し、論理的に思考する「システム2」があるといわれる(25)。もし、日常的に協力しているような環境では、直感的な判断は協力することを選ぶかもしれない(26)。理論的研究では、直感的に協力を選ぶかどうか、また熟考した後に協力をするかどうかは、どれだけ協力か非協力の判断を求められる相互作用が繰り返されるか、熟考することでどのようなどのような相互作用の情報を知ることができるのかなどによって影響される(27)。実際に、直感的に協力するかどうかを実験に調べた多数の研究をメタ解析した結果では、直観が協力を促すという仮説は支持されていない(51)。
直接互恵性によって集団中に協力行動が広がるためには、最初に見知らぬ人とであったときに、協力を選ぶ傾向が高くなければいけない。集団間の競争は、最初から協力を選ぶ個体が進化する可能を高めるかもしれない(28)。最近の理論的・実験的研究によると、直接互恵性による協力行動と集団選択の両方が、一度きりの相互作用のなかでの協力には必要であるという(29)。繰り返される相互作用のなかで、直接互恵性による進化のみでは、協力行動は進化的に安定せず、集団間の競争が必要であるとされる。集団選択があることで、異なる集団間のメンバーには非協力的に振る舞うということが有利になることで、集団内のメンバーに対しては協力的な行動が進化できるというものである。
文化集団選択
集団選択が働くための制限となっているのが、集団内での「フリーライダー(ただ乗り者)」の有利性と移動などによる集団間の違いの縮小である。集団間で移動が大きいと、集団間の遺伝的な違いが減少する。一方で、移動がない場合、集団内で「ただ乗り個体」が頻度を増大させて集団間の変異を減少させていく。
文化集団選択では、利他行動や協力行動をとるかどうかは、文化的要因によって影響されるとする。集団内の行動の違いを減少させ、非協力者に対する集団内選択を減少または除去するという文化的要因を想定する。そして、最も協力的な集団が他の集団より成功し、その文化的要因が伝播され拡大することで、利他的・協力行動が維持・拡大するという理論が文化集団選択理論である(図4)。
このとき、集団内で行動を均一化させる要因として「社会学習バイアス」と「規範心理」が主に考えられている(30)。社会学習バイアスとは、一般に受け入れられていることに従う同調伝達(conformism)や高い地位や名声をもつ人から学んだり、従ったりする傾向がある名声バイアス伝達(Prestige-biased transmission)がある。規範心理とは、集団規範を守り、規範違反者を罰するよう個人を動機付ける心理的メカニズムである。
社会学習バイアスによる協力行動は、非協力的行動にくらべて集団内では不利であり(適応度が低い)、不適応であるとされる。しかし、同調伝達や名声バイアス伝達によって集団内で広がる。そのようにして集団内で協力行動をとる人が占めるようになった集団が文化集団選択で有利になり、成功する。このようなプロセスでは、利他的・協力行動は、進化的には不適応なので不適応文化集団選択といわれる(30)。
一方で、集団の規範やルールをもとに、協力する人は、協力しない人よりも有利になる(適応度が高く)なる可能性がある。それは、規範やルールを破った非協力的な人は罰せられる可能性があるからだ。規範に従ってお互い協力し、協力しない人や非協力者を罰しない人も罰するという行動をとる人が占める集団は成功するというモデルが規範的文化集団選択である。文化集団選択は、利他的・協力行動をとるかとらないかは遺伝的に決まっていないと想定されている。しかし、利他行動をとるということは進化的に有利になるので、規範に従って利他行動をとるという遺伝的性質は進化するかもしれない。
何が進化するのか?:向社会性における神経基盤
向社会的行動(協力行動、利他行動)のモデル(血縁選択、集団選択)では、利他行動をとるかとらないかに関するアレル頻度の増減を仮定するか、利他行動の程度を量的遺伝(複数の遺伝子が相加的に関わる)としてモデル化している場合が多い。つまり、利他行動をとるかとらないか、あるいは利他行動の程度が遺伝的変異があり、それが進化すると仮定されている。
直接的互恵性、間接的互恵性などの進化に関する理論研究では、特定の行動戦略をとるかとらないかが遺伝的に違っていると仮定される場合が多い。つまり、協力者に対して協力するが裏切り者には非協力的に振る舞う「戦略」、常に協力しない「戦略」がそれぞれ異なる遺伝子(アレル)によって決まっていると仮定されている。また、遺伝子としてとらえず文化や規範として利他行動を捉える場合もある。この時は、社会学習バイアスや規範心理によって行動を変えることは遺伝的要因ではなく、文化的要因が影響すると想定される。
前述したように、向社会的行動(利他行動や協力行動)の様相や程度は遺伝的な違いが原因になっているということが示されている。しかし、進化モデルは現実を単純化していることもあり、そこで想定される「戦略」が実際に異なる遺伝的変異(アレル)によって影響されているという証拠はない。また、文化的要因によって行動を変えるということに遺伝的変異が関与していないとはいえない。実際には、向社会的行動は、複雑な複数の神経機構プロセスで引き起こされており、それぞれのプロセスに影響する遺伝的変異がそれぞれに進化することで、異なる側面の向社会的行動が進化していると思われる。そのため、向社会的行動がどのような神経メカニズムによって引き起こされているかを理解する必要がある。
現在、向社会的行動が引き起こされる脳神経基盤として、図5のようなプロセスが考えられている(文献1の総説による)。まず、外部からの情報やシグナルによって他者(被援助者)の否定的な状態や満たされていないニーズが伝わる(A)。他者の状態が知覚・評価され(B)、共感を引き出す(C)。被援助者の状態の知覚と共感は、行為者が向社会的行動をとるかどうかの動機と決定に関わる(D)。向社会行動が引き起こされる過程では、他者、行為者や状況などの情報を認知・判断・評価し、情動(感情)との相互作用のなかで決定が下される。援助者の感情反応を調節できないと、自己防衛行動が促進され、向社会的反応を低下させる(E)。行為者の向社会的介入(たとえば援助)は、他者の否定的状態を緩和し(F)、それが援助者にシグナルとして返ってくる(G)。向社会的行動 それ自体、または、被援助者が援助によって安心したり、否定的状態が改善されると(F)、援助者は幸福を知覚し(G)、報酬を得る(H)。向社会的行動は動機づけられ、報酬を得るプロセスであると考えられている 。
向社会的行動が引き起こされるまでには、認知、判断、動機づけ、行動決定などに関与する異なる神経メカニズムが関与している。向社会的行動の進化を左右する要因として、たとえば、直接互恵性、間接互恵性、パートナー選択などの理論では、(1) 被援助者の状態を認知し(どれだけ困窮しているか、過去に援助してくれたか、裏切らないか、相手はどの集団に属するか)、(2) 向社会的行動を行うかどうかの主観的評価・判断する能力が必要である(援助行動がどれだけ利益があるか、どれだけ被援助者と利益を分け合うか、協力にどれだけ時間を費やすか、など)。
これらには、援助に対する価値評価などの認知思考判断や被援助者の心の状態を認知し反応する共感(認知的共感と情動的共感)などによって影響される。援助に対する価値評価には、思考や判断、感情の制御などを司る前頭前野やその他の大脳皮質が関わる。また、共感性には前帯状皮質や線条体などの複数の脳領域が関係している(文献(1)の引用文献を参照)。
たとえば、他者に協力するかどうかの決定には、共感に関係している前帯状皮質の活性化が関係している。また、援助にどれだけ時間を費やすかなどは、前頭前野(背外側前頭前野)の活動が関係し、どれだけ援助するか(たとえば寄附の額など)は、大脳皮質の前部島や側頭頭頂接合部が関係しているらしい。また、ヒトは、同じ集団(内集団)の他者には、外集団の他者と比べて、より資源や報酬を共有したり、助けたり、協力 したりする傾向がある。このような効果は、内集団成員と比較して外集団成員に共感する能力が弱まっている可能性があり、前帯状皮質の活動やオキシトシンなどの神経伝達物質の役割が指摘されている(文献(1)の引用文献を参照)。
これらが関係する各脳領域の活性や大きさ、領域間の神経結合、神経伝達物質の量や受容体の変化は、ゲノム上の異なる複数の変異が関わっていると思われる。これらのゲノムの変化によって、図5で示したような向社会行動を引き起こす個々のプロセスのそれぞれが進化すると考えられる。今後は、これまでの利他行動や協力行動の進化モデルで仮定されているような単純な遺伝モデルではなく、現実的な遺伝支配を想定した、進化モデルによる予測、検証が必要であろう。
また、文化的集団選択説では、向社会的行動をとるかどうかは遺伝的に影響を受けているわけではなく、文化などによって可塑的に個人が判断すると想定されている。しかし、外側前頭前野の活動はルール遵守の意思決定と相関しており、規範やルールを遵守するかどうかは、大脳皮質の外側前頭前野が重要な役割を果たしていることが示唆されている。さらに、外側前頭前野への刺激は規範遵守を変化させる(文献(1)の引用文献を参照)。また、規則を破るかどうかという傾向は40〜50%の遺伝率であると推定されている(31)。したがって、規範やルールに従って、向社会行動をとりやすいかどうかという性質自体が遺伝的な違い(ゲノム配列の違い)によって影響を受け、進化する性質であるといえる。同様に、同調伝達(conformism) についても、他者にどの程度従うかなどの程度には遺伝的変異が影響を受け、その遺伝率は、約20〜40%と推定されている(32)。
向社会的行動が進化する可能な集団の大きさとは
ヒトの向社会的行動(利他行動や協力行動)は、血縁集団などの小規模の集団から、大規模の集団内で見知らぬ人に対しても生じる。しかし、そのような利他行動や協力行動に関わるアレルが出現し、集団中に頻度を増大させていくような進化を可能にする「集団の大きさ」と、利他行動や協力行動が維持されているときの「集団の大きさ」は必ずしも一致しないかもしれない。
たとえば、ヒトの利他行動が進化したのは、小さな血縁集団で暮らしていた時代であり、現代においても利他的であるのは、利他的行動の遺伝子が自然選択によって好まれなくなったにもかかわらず、それを保持しているからである、とする考えがある。これを、「大きな誤り仮説」(Big mistake hypothesis)と呼ぶ(33)。この説によると、現在の大規模な集団内での利他行動は、大規模な集団内で特異的に進化したのではないことになる。
上記で紹介した進化理論は、どのような規模の集団で利他行動あるいは協力行動は進化すると予測しているのだろうか。血縁選択、集団選択IおよびIIでは、集団が大きくなるにつれて、あるいは、相互作用する人の人数が大きくなるにつれて、急速に相互作用する個体間の血縁関係が減少したり、集団間の血縁度の差は減少する(V型からR型へ近づく)。この場合、利他行動や協力行動に関係するアレル頻度の集団間の違いが少なくなり、血縁選択やそれと同等の集団選択による進化は困難になる。
たとえば、集団選択Iを過程したシミュレーションでは、集団サイズが数十を超えると、利他行動は進化しない(34)。おそらく、集団選択IIでも同様である。集団選択IあるいはIIの「我々 vs. 彼ら」モデルのように、集団間で資源を争うモデルでは、血縁関係のない個体間でも協力行動が進化したが(16)、モデルで仮定されている集団サイズは小さく(多くて十数人)、協力行動などが進化できるサイズはそれほと大きくない。
直接互恵性による利他行動が進化するためには、相互作用する相手の識別と過去の協力を記憶する必要がある。人が安定な社会の中でお互い認知して関係をもつことのできる上限が150人と言われている (35)。この150人という人数については、この値が意味のある数字であるかどうかはわからないが、狩猟採集生活での共同体が100から200人であることと対応しているといわれる(36)。
しかし、ある研究では、ヒトが15人のグループメンバーの最後の行動が協力的であったか否かを記憶しなければならないとき、24%という割合いで記憶間違いを起こしたという(37, 38) 。このことは、直接互恵性が進化しうる集団サイズは150よりもずっと小さいかもしれないことを示している。
間接互恵性は第3者の評価やゴシップ(噂)などの効果(52)により、顔見知りでない人に対しても協力行動が進化する条件を示しており、直接互恵性よりも大きな集団サイズで進化すると思われる。しかし、間接互恵性が進化するためには、行動をする相手が以前に他の個体を助けたかどうかを正しく知る確率(その評判)が、助けることのコストよりも大きい場合に限られる。パートナーの評判を正しく知る確率は、集団の規模が大きくなるにつれて減少することが期待されると主張されている(38)。具体的な人数は不明確であるが、数百人を越える大きな集団では間接的互恵性による助け合いの進化は制限されるのではないかと考えられる。
文化的集団選択の一つは、集団内の行動変異が社会学習(同調伝達や高い地位や名声をもつ人から学ぶ傾向がる名声バイアス伝達)によって行動変異が保たれるとする。しかし、このような社会学習によって多くの人がコストの掛かる協力行動をとるのは限られていると思われる(38)。また、社会心理学の研究では、大規模な集団では、まれな行動の方が他者に対して影響力を持つ可能性が高いという反適合性バイアスを支持する傾向がある(39)。地位や名声をもつ人から学ぶ傾向がる名声バイアス伝達の場合も、多くの人がリーダーなどの一部の人の特性に盲目的にコピーすると考えるのは難しいかもしれない。
一方で、規範的文化集団選択では、規範心理あるいは制度伝達により、協力行動が維持されるとされる。規範やルールのもと、協力しない人を罰したり、協力する人がコストを上回る利益をえる場合は、大規模な集団で利他行動や協力行動は維持される可能性が高いかもしれない(38)。しかし、Gavriletsら(50)のモデルでは、規範を受け入れ、従うという心理的性質は、小集団の集団選択によって進化したと予測されている。もしそうだとすると、文化的集団選択に必要な規範に従うという性質は、小集団でのみ進化可能かもしれない。文化的集団選択は、利他行動や協力行動が出現し、進化したことを説明する理論ではなく、規範に遵守するという性質や利他行動を促すような遺伝的性質を大集団で維持している役割があるのかもしれない。
人類進化の過程でいつ向社会的行動は進化したのか
ヒトの独自の向社会的行動は何時進化したのだろうか? 前述したヒトにおける特徴的な向社会的行動(自発的利他行動、資源の共有、見知らぬ個体への協力、大規模集団内での協力)は、それぞれ別の要因で、異なる時期に進化した可能性もある。
自分と同じかそれ以上の大きさの動物を定期的に利用するのは、他の霊長類にみられない、ヒトだけの特徴である(40)。このヒト特有の捕獲・狩猟を可能にするのは、集団での協力による狩猟かもしれない。また、捕獲した大型動物を集団内で確保すると、資源が集中し、集団間の闘争が引き起こされる可能性も指摘されている(41)。このようなヒト特有の大型動物の捕食パターンが、自発的利他行動や資源の共有などの向社会的行動の進化に結びついた可能性がある。そうだとすると、血縁関係のある小集団(バンド)内で血縁選択や集団選択が主要因となり、積極的な協力行動や資源の共有などが進化したと考えられる(図6)。
280〜240万年まえから出現したホモ・ハビリスはおもにスカベンジャーで死肉をたべていたらしく、狩猟を主に行っていたのはホモ・エレクトスであるらしい(図6)。大型動物の利用が開始された時期はよくわかっていないが、ホモ・ハビリスの後期からホモ・エレクトスにかけてではないかと指摘されており(40)、200から150万年前だと思われる。あるいは、ホモ・サピエンスに分岐してからの小集団(バンド)で進化した可能性もある。
60万年前にヒトの共通祖先と分岐したネアンデルタール人は、10人から30人の小さい集団で生活し、狩猟していたと考えられている(7)。さらに、南シベリアのチャギルスカヤ洞窟で発見されたネアンデルタール人のゲノム解析からは(42)、婚姻は女性が群れから移動していたが、血縁者からなる小集団だった可能性が高い。ネアンデルタール人も大型動物を捕獲し、資源を共有していた可能性があるが、見知らぬ人との協力や大規模集団での向社会行動を示した証拠はない。
ヒトの特徴的な向社会的行動(見知らぬ人への協力行動、大規模集団内での向社会行動)が進化するためには、他者の状態を認知したり、他者との過去の相互作用での貢献度や価値を評価する能力、これらの関連情報を他者に伝達できる独自の認知機構が必要である。また、協力行動が集団間闘争で有利に進化するためには、集団での協力的行動によって個人の効果を足し合わせた利益よりも大きい報酬を獲得できることを可能にする認知能力が必要であると予測されている(16)。
ヒトの創造的で特徴的な認知能力は4~5万年前の「認知革命あるいは人類革命」によって生じたとする研究者がいる。しかし、その特徴を示す構成要素の多くは、2〜30万年前のアフリカでみられる中石器時代だとされる(43)。40万年以降の中石器時代の開始により、より複雑な行動が採用され、10万年前以降に、想像力や思考力などを示す現代的行動の最も特徴的な特徴が出現したことが示唆されている(44)。
見知らぬ人への協力や大規模集団内での協力といったヒトにみられる特徴的な向社会的行動が、現在のすべての人類がもっている共通の特徴であるとすると、それらの性質が進化したのは、ヒトがアフリカからでて世界各地に拡散する5から6万年前より以前であるべきだろう。4〜5万年前にヨーロッパで進化したと仮定すると、ヨーロッパの集団から全世界に遺伝的に拡散される必要があり、その可能性は低い。ヒト特有の認知機構の獲得と同時あるいはその後に多数の見知らぬ人への協力行動を促す潜在的性質が進化したとすると、ネアンデールタール人との共通祖先から分岐した後、おそらく中石器時代以降から出アフリカ前、3-40万年前から7-10万年前だと思われる(図6)。
前節の集団サイズのところでも指摘したように、ほとんどの理論では、比較的小さな集団でなければ、ヒト特有の向社会的行動は進化できないと予想できる。 ヒトの集団サイズについては、ネアンデルタール人は10から30人の小集団での協力(7)であり、また、Dunberも長い進化の歴史のほとんどを小規模社会で過ごしてきたとしている(36)。5から10家族(30人から50人)が移動する小さなバンドを構成し、さらにバンドがいくつか集まって、一定の土地を支配する共同体(氏族とよばれることもある)を構成している、共同体および氏族は100人から200人で(平均150人)という。さらに同じ言語を共有することで、相互作用をする集団を部族とよび、部族内では、全員が知り合いというわけではない。これが1500人から2000人の規模であるという。
しかし、現代の狩猟採集民の研究では、大規模の集団内で社会的ネットワークが構築されていると指摘されている(45, 46)。この見解では、一緒に生活しているバンドなどの小集団と、密接な社会的相互作用のネットワークによって結びついている社会組織を区別する。Hillら(45)は、小規模コミュニティをはるかに超えて定期的に相互作用をしているような大規模な社会的ネットワークが、移動狩猟採集民に特徴的であるとしている。また、狩猟採集民のバンド内の血縁度は低く(0.054)、頻繁にバンド間で移動が生じているとする。
Hillら(45)は、利他行動や協力行動が進化した当時の人の集団が、現在の狩猟採集民と同じように、集団間の移動がはげしく、血縁関係も非常に小さいとすると、血縁選択やバンドレベルでの遺伝的集団選択もありえないように思われると主張している。しかし、実際には、人の血縁個体間の協力は一般的であることから、少なくとも初期の人類では血縁選択は重要であったと考えられる。現在の狩猟採集民は、高度な認知機能をすでに進化させており、過去の狩猟採集民の社会と同じとは考えづらい。また、現在の進化理論では、大規模集団の条件で、利他行動や協力行動は進化することはないと予測されている。
繰り返し相互作用する集団で顔見知りの非血縁個体への協力や、見知らぬ人への協力は、おそらく、集団選択や直接互恵利他あるいは間接互恵利他による進化が可能な比較的小さな集団(数十人)から大きくても100人から200人規模の集団で進化したのではないだろうか?
また、そのような小規模集団において、規範の作成や伝達を可能する認知能力、そして規範やルールに従ったり、罰したりする遺伝的性質が進化したと思われる。
過去12,000年の間に、人類社会は比較的小規模な共同体から広大な国家へと規模を拡大した。人類の協力に関する理論は、この急速なプロセスを説明する必要があるとされる(47)。向社会的行動、規範に従ったり罰したりする心理的性質、高度な認知思考能力は、ヒトがアフリカを出る5から6万年前より以前に獲得したと思われる。それらの進化的に獲得した遺伝的性質が、文化的集団選択が作用する基盤となり、多数の人々の相互作用や情報ネットワークが形成されていくなかで、向社会行動が維持され、拡大していったのではないだろうか?
現代人にみられる見知らぬ人への援助や他者を助けるという道徳的行動は、それが直接自分の利益に繋がったり、自分の評価を上げるというためや、制度や宗教などに従って行われるというだけでなく、ヒトが過去に進化的に獲得した向社会的な心理が結果的に現れている副産物ではないかと思われる。
また、規範や制度に影響され、文化的に向社会的行動が維持されている状況(農耕牧畜社会から現代)においても、向社会的行動に関わる遺伝的側面が進化している可能性がある。同じ集団内でも規範やルールに従い、利他行動をとるかどうかは遺伝的変異が影響しているので、その頻度や程度に関わるアレル頻度は変化し、進化していると思われる。おそらく、ヒトがアフリカを出て、世界のそれぞれの異なる集団で、異なる選択をうけ、向社会行動の程度や性質は異なるように進化していることが想定される(図6)。世界の異なる集団間での、向社会性の違いを調べた研究では、その違いは文化的違いや集団間によって異なっており(48)、少なくともそれらの違いのある割合いは遺伝的な違いを反映していると思われる。
まとめ
利他行動の進化モデルのほとんどは、利他行動をとるかとらないかを決定するアレルの頻度を問題にしている。あるいは、特定の行動戦略を遺伝的と仮定し、どの戦略が進化するのかというモデルである。
しかし、ヒトにおける向社会的行動は、他者の状態の認知や評価、共感、利他行動の決定、それによる報酬などからなり、それぞれがゲノム上の多数の箇所の異なるアレルによって影響を受ける。このような、より現実的な機構を考慮した進化モデルが必要である。また、見知らぬ人への向社会的行動や大規模集団内での行動には、過去の相互作用の記憶や評価できる能力、規範やルールを設定し、それに従う心理的傾向、規範や制度を破るヒトへの罰則衝動などの心理も遺伝的な違いによって影響をうけており、進化する対象である。これらの心理・精神的性質は、利他行動が進化する状況と同時に進化したのか、それとも別の要因でそれより前に進化したのか、という問題も考える必要がある。
今後の研究では、これらのそれぞれの行動、心理状況に関わるゲノム上の変異をGWAS解析などで検出し、それらを用いて、ネアンデルタール人や数万年前の古代人ゲノムとの比較解析から、向社会的行動の遺伝的要因がどのように進化してきたのかを探ることで、ネアンデルタール人からホモ・サピエンスの狩猟採集民で何が進化し、さらに、狩猟採集民から農耕牧畜の影響をうけ人口拡大でなにが進化したのかを探ることが可能であるかもしれない。
さらに、国家間や民族間あるいは異なる文化間で向社会的性質がどう異なり、その違いにどの程度の遺伝的要因が関与しているかを調べる必要がる。それにより、現代社会において、どのような要因が向社会行動の進化に影響しているのかが明らかになるであろう。
ヒトが向社会的行動をなぜとるのか、という問題の解明には、進化の理論的研究、脳神経学的機構の解明、行動や情動の差を引き起こすゲノム配列の変化、人類の進化史、現代社会での向社会行動の心理学的・社会学的解析など、様々な分野の統一的な研究が必要である。
謝辞
大槻久氏、中丸麻由子氏、内田亮子氏、田村光平氏に本稿を読んでいただき、間違いなどの修正や有益なコメントを頂いた。
引用の仕方
本記事を引用する場合は、以下でお願いします
河田雅圭 (2024) ヒトの向社会的行動の進化:なぜ人は利他的に振る舞うのか. note記事. https://note.com/masakadokawata/n/n596036cdff25
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