【百人一首鑑賞】わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾くまもなし 二条院讃岐
■わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾くまもなし 二条院讃岐
(詠んで味わう)わがそではしおいにみえぬおきのいしの ひとこそしらねかわくまもなし
92番目の讃岐の和歌を取り上げました。
讃岐という名前だから讃岐と関係ある人なのか??
→確認すると関係ありませんでした。
■現代語訳
わたしの袖は たとえればあの沖の石のよう
ひき潮にもあらわれぬ深海の石
ぬれにぬれ 人は知らないけど
涙は乾くまもないの
みのらぬ恋を悲しんで 田辺聖子著「田辺聖子の百人一首より」
■語句解説
見えぬ・・・「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形=みえない
現代風にいうと「恋がつらくてむっちゃ泣き続けてる」
平安の恋というのは、和歌を見ている限り
『しっとり』時に『じっとり』、場合によれば『ドロドロ』と。。。
湿気の国らしく、執念がせまってきます。
身分の差がわかりやすいでしょうが、両人が願っても
二人の越えられない壁(障害)が多くあり、またその壁の高さも
富士の山以上に高かったことでしょう。
でも、必ずしも作者が和歌と同じ体験をしたか?というと
それは分かりません。想像で作歌している可能性も大いにあります。
もしかしたら、「恋とは苦しめば苦しむほどいいものなのよ」
なんて価値観があったのでは?
あっさりした恋なんて恋じゃないわ!みたいに。
個人的には清少納言辺りに「あっさり派」の恋を語ってみてほしいところですが。
百人一首は、ひもとけば親戚
この記事では、なるだけ作者のことも書き記しております。
百人一首に至っては調べてみると
「●●さんの母親違いの▲▲で、■■さんの姪にあたる」
みたいなことが多いです。
和歌なんて、それはもちろん宮廷人しか作らなかったでしょうから
蓋をあけたらみんな親戚じゃん!と。
さて、讃岐のお父様は、なんと源頼政さまなのです!
といっても、頼朝や義経などに比較するとあまり知られていませんよね。。。
大河ドラマ「平清盛」(2012年)では俳優の宇梶さんが演じていらっしゃいました。
父上の頼政さまは、なかなかと出世できずに苦しんだそうです。
それもそう、時代は平家全盛の時代です。
「平家であらずんば人にあらず」ですからね(汗)
当初は清盛に信頼されていたようですが、
おごれる平氏の横暴に源氏たる者として感ずるものが大いにあったのか
以仁王と組んで挙兵いたします。
しかし、戦いに負けて宇治で自害。。。
そのようなお父上をお持ちになったのが讃岐なのです。
頼政一族は非常に多くの歌人を出した家系で、
頼政自身も和歌を作り、賞賛されておりました。
【辞世の句】
埋木の花咲く事もなかりしに身のなる果はあはれなりける
父の壮絶な死は、讃岐に一体どのような
心境をもたらせたのでしょうか。。。
彼女の人生には何度も、
自身の袖を濡らし続けるほど泣き暮らしたことがあったのではないでしょうか。