【百人一首鑑賞】田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 山部赤人
■田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 山部赤人
(詠んで味わう)たごのうらにうちいでてみればしろたえの ふじのたかねにゆきはふりつつ
百人一首4番目のこちらの和歌を取り上げたいと思います。
これは、日本国民ならば、一度は口ずさんだことのある和歌だと思います。
富士は古代日本人の心も捉えていた、不変の美しさがあの山にはあるのですねぇ。
■現代語訳
駿河の国の田子の浦にたたずんではるかにみれば
真白き富士の高嶺に雪は降りつむ 田辺聖子著「田辺聖子の百人一首より」
■語句説明
・白妙・・・白い布のこと
・(降り)つつ・・・反復・継続の接続助詞。よって、ここでは「降り続いている」
ん?教科書で見たのと少し違う!
皆さんも知っているはずの赤人の和歌、、、ん?でも暗唱して覚えたものとは少しちがーーーう気が。
それもそのはず。皆様の暗唱した歌はこちだではないでしょうか?
『田子の浦ゆ うち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける』
ですよね???万葉集にて掲載されているのは上記の和歌なのです。
鎌倉時代に編纂された新古今和歌集に掲載されるときに
百人一首調に変えられてしまいました。。。
万葉バージョンの文法がずーっと気になっていた件について
私中学生の時、この歌の
・「真白にそ」の「そ」
・「田子の浦ゆ」の「ゆ」
この格助詞的なものの言い回しが気になって気になってしょうがない人間でした(汗)
普通に
・真白なる、でええやん。
・「田子の浦」で五文字だから、「ゆ」はいらん!
と思っていたのです。 とっても気になりながら大人になってしまいました(汗)
ようやく調べるチャンスをもらいました。では、文法解説をすると、
・田子の浦ゆ→「ゆ」は、「~を通って」の意
・真白にそ→「そ」は係助詞。奈良時代以前は「ぞ」のような濁音がなかったため「そ」になっている
私達の言い方に近づけると「真っ白にぞ」「ぞ」は強調ですね。
長歌も諳んじたのではないでしょうか?
私は、下記の長歌を暗唱したことを覚えています。
現代人の私が音読してもなんて「ぴったり」くる語呂感だろう!
と感じます。これこそ赤人の職人技!
しかも、長歌の最後を体言止めにしているとことなんて、
なんて「日本的」!!主語をいっちばん後ろに持ってくる。
全く持って英語と真逆の文化ですね(笑)
天平の時代から。
天地(あめつち)の わかれし時ゆ 神(かむ)さびて
高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 ふりさけ見れば
渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり
時じくそ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 富士の高嶺は
赤人が絶賛した富士に風景は
彼の和歌で詠ったように、後世の私達にもしっかりと語り継がれています!