最後の目的地オランダへ
8月18日 晴。
7時起床。1階の食堂で昨日と同じくパンにジャムと紅茶の朝食をとる。支払いはカードで済ませて近くの市電の停留所に行く。8時55分発の電車に乗り、車内の改札機に昨日もらった回数券を差し込むと日時が印字される。
約10分でブリュッセル北駅に到着。9時19分発オランダ・アムステルダム行きECに乗車。途中アントワープから逆向きになる。
ヨーロッパでは、駅に改札口がないところがほとんどで、国が変わると車内検札が1回ある。線路脇のフェンスにはドイツと同じように落書きが見える。少し長いトンネルに入ったが車内灯は点灯せずそのまま出るまで真っ暗だった。
12時過ぎ、アムステルダム中央駅に到着。両替所がなかなか見つからず右往左往していたら、なんと下車したすぐ近くにあった。ベルギーの硬貨も交換可能で1485Fを74.6G(ギルダー)に100US$TCを157.5Gに交換した。
駅舎は東京駅のモデルとして有名
アムステルダムの名称は13世紀にアムステル川をダムで堰き止めて町を築いたことに由来している。以来アムステルダムは自由な貿易港として発展し、各地で迫害された人々を受け入れ、ドイツ占領下の第2次世界大戦中、アンネ・フランク一家を代表とするユダヤ人たちを危険を冒しながら匿ったのも寛容で自由を愛する精神の賜である。
アムステルダム中央駅は赤煉瓦の3階建てで東京駅のモデルになった駅として有名である。鉄道旅行者としてはぜひ訪ねてみたい重要な名所でもある。
インフォメーションに寄らずにガイドブックを頼りに最初のホテルに行くも満室、次いで駅前からダム広場に向かうダムラーク通りの小さいホテルDeltaへ。小さい部屋でよければあるとのこと。110GでOKする。
早速トイレ、シャワー付きの部屋に入る。通りの裏側らしく遠くから微かに光の入る換気用?の小窓がひとつあるのみであった。
荷物を置きサブザックを持って外に出る。近くの店でパインサンド、ハム、ビールでしめて8Gであった。店内ではビールは飲めないとのことだったので外に出て運河の上にかかる橋の欄干にもたれながら、遊覧船と中央駅を眺めながら昼食とした。
20日に帰国を控えて念のため駅に行き空港行き時刻と、ユーレイルパスが明日きれるので乗車券の買い方を調べる。自動券売機があるが操作法がわからず窓口で買うことにする。
話のタネにSEX MUSEUM
駅前の運河から14時発の運河巡りの遊覧船(1時間で12G)に乗る。地図を見ながら航路を確認する。駅前の運河を少し西へ、その後北に進んでプリンセン運河へ。そこからカイゼル運河へ出て、ヘーレン運河をへて、アムステル川に入り、市長舎、レンブラントの家を右に見ながら駅前に帰る。町の中の水上交通路なので橋が多く、この間にくぐった橋は34個であった。
下船してすぐ近くのダムラーク通りに面して、堂々とガイドブックにも紹介されているSEX MUSEUMがあったので話のタネに見学(12G)した。ドイツのベルリンにもEROTICMUSEUMがあるそうだがそこは見ていない。
会場は明るく、各国の写真や日本の屏風に描かれた浮世絵のほかいろいろなものが展示されている。結構若いカップルや女性の観光客も多く、北欧ならではと思った。
アンネの家、今は博物館に
地図を頼りに商店街が並ぶダムラーク通りを歩いて真っ白な解放記念塔の建つダム広場へ。19世紀のはじめ、時のフランス皇帝ボナパルトによって王宮として接収され、現在は迎賓館として使われている王宮がある。
ここから右に曲がってプリンセン運河に行く。最初に目に入るのが西教会。その少し北側にアンネ・フランクの家が17世紀当時のまま建っている。今は博物館になっており入場料10Gを払って入る。
アンネ一家は1942年7月6日から1944年8月4日にゲシュタポに発見されて強制収容所に送られるまでの約2年間、この建物にすんでいた。建物は「前の家」と「後ろの家」に分かれていてアンネ達は「後ろの家」の3階と4階に住んでいた。「後ろの家」への入り口の前では隠れ家の内部を紹介したビデオが上映され日本語のイヤホーンで説明を聞く。
回転式の書棚の向こうはフランク夫妻と姉のマルゴットの寝室、次がアンネとデュッセル氏の寝室で隣にあるトイレと洗面台は前の家の1階で働く人の就労時間以外のみ使用されていた。
急な階段を登って上に出たところがファン・ダーン夫妻の部屋兼10人共通の居間で食事や読書・体操などをした。その隣がペイターの部屋で、ここから梯子が天井裏に続いておりアンネはよくここでひとりで時を過ごした。
ペイターの部屋から前の家に出るとフランク一家の歴史とアンネの第1冊目の日記のほか60か国語で出版された「アンネの日記」が展示されている。中央の階段を降りると国家社会主義および反ユダヤ主義の展示室、さらに2階には今日の問題ーネオ・ナチズム、人種差別などーの一時展示場がある。1階の売店でアンネ・フランク財団編集の日本語のアンネ・フランク・ハウスを求めて出る。
運河を渡って対岸からスケッチしていると日本の若い娘がふたり声をかけてきた。先ほど着いたばかりの大学生でこれから1か月ヨーロッパを旅行するとのこと、本当に良い時代になったものだと思う。
帰り道に黒人が2人で開いている小さな店に入り、ハンバーグとビール(11.75G)で夕食を済ませホテルに帰った。洗濯をしてシャワーを浴び、ハガキを2枚書いてベッドに入った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?