自然を征服したい西洋人、感謝する日本人
アメリカ製の深海潜水艇「タイタン」が深海に眠るタイタニック号の近くで消息を絶ったのが2023年6月18日のこと(4日後にタイタンの残骸が発見されたという)。
便利な技術文明を創った人類(主として西洋人)は相変わらず自然の巨大な力に対して果敢に挑戦を続けています。
創世記の出だしには「はじめに神は天地を創造された」とあり、「神は自分の形に人間を創造され、これに魚と鳥と獣と地を這うすべてのものを治めさせよ…と告げた」とあります。
一方の日本人は、毎年の自然災害に苦しむと同時に、自然の恵みに対しては深く感謝する畏敬の念を持つようになりました。
西洋人のエコロジー思想は現在もなお「人間が自然を保護する」とほとんど間違った言い方をしますが、日本人は「人間が自然に保護されている」と感じています。
だから霊峰や神木を拝み、岩や滝に手を合わせ、朝暗いうちに家を出て御来光を崇めます。
だから霊山とか霊峰富士という山岳信仰という考えも、チベットやいくつかの山に暮らす先住民ぐらいが持っているもので、白人たちは相変わらず、未踏峰とか処女峰などと呼んで遠征隊を繰り出し、初登頂を競い、自然は人間が征服するものだと考えているのだろうと思います。
西洋の庭園でも同じことが言えます。
自然は人間より下等で野蛮なものだから、人の手を加えてこそ美しくなると考え、人工的な幾何学模様の造園をします。
ブラジルでもタトゥーをした人が増えました。(日本ではいかがでしょうか?)
「身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く、 あえて毀傷せざるは孝の始めなり」(故事「孝経」から)というように、体も自然のママが美しいのに、鼻や唇に穴を開けてリングをはめたり、髪を赤や青にしてサングラスをして飾りを増やすほど美しいと思うのは、リオのカーニバル(※)と同じ発想でしょう。
西洋文明の一神教徒は「万物の霊長たる人間は自然“なんか”に負けてたまるか」という気が満々で、例えばナイヤガラの滝の上から冒険家が樽に入って落下したり、暴れる牡牛に手綱もつけずに乗るロデオ、大きなタイヤを着けた車で泥田を走ったり、二台で加速を競うドラッグレースなどのモータースポーツが盛んです。
そのほかオートバイで岩山走破や何台もの車を並べた上を飛び越えたりと勇気を競うような危険なことがとても好きです。
この延長線上にあるのが先のタイタニック観光潜水艇や、リニアモーターカーではないかと私には思えます。
※リオのカーニバル・・・南米最大の真夏の祭典(2月に開催)。春の農耕の祝祭がその原型といわれているが、現在は仮装や演劇的なショーやコンテストを競い合う要素が強めになっている。
【今日の名言】
「子供の時に自然の精妙さに驚き、それに対して畏敬の念を抱くこと。これが自然観や生命観、人生観の基礎になる」
by 生物学者 福岡伸一
※編集協力
和の国チャンネル